第二〇話 喫茶店モン・ブラン

 ——関東近県、東京のベッドタウンと過去には呼ばれていた街中、とある繁華街の裏路地を一人の男が歩いている。


「……おや? 何かご用で?」

 男はラフに着こなしたスーツに黒いコートを羽織っており、四角い眼鏡を掛けているがその奥に光る目は、まるで猫科の猛獣のように瞳孔が細く見え、白目の色はヘーゼル色に変化しており、一見かなり異様な外見にも見える。

 彼はふと何かに気がついたかのように歩みを止める……その眼前には数人のチンピラが立っており、ニヤニヤと笑って彼を見ていた。

「兄ちゃん、こんな場所に不用心だなあ……お金貸してくれねえ?」


「おうおう、この辺りでは俺らに金払うのが常識なんだよ、さっさと金出せや……」

 一人のチンピラが下卑た笑みを浮かべながら、コートの男にゆっくりと近づくが……男は、バカにしたようにフッ……と笑みをこぼすと、チンピラへと手のひらを向け、猫の目を持った男は笑顔を浮かべたまま口を開く。

「正直、君のような存在クズには、その手は


「え? ……ひぎゃあああああっ! 手が! 手があああっ!」

 次の瞬間、男が握ったチンピラの右手の手首から上が消失する……まるで鋭利な刃物で切り落とされたかのように、鮮やかな断面から血が吹き出す。

 チンピラはそこにあったはずの手がないという恐怖と、吹き出す血液に顔を真っ青にしながら失禁してその場にへたり込む……猫目の男はおや? という表情を浮かべると、再び手首を失ったチンピラの頭に手を軽く載せて呟く。

「……早く病院へ行ったほうがいい、血は止めてあげよう」


 次の瞬間、手首から吹き出した血液がまるで魔法のように噴出が止まり、それと同時に地面に流れたはずの血液も、まるで存在そのものがなかったかのように消えていく。

 手首を押さえて座り込むチンピラを尻目に、猫目の男は彼らを無視して歩き出す……チンピラ達は恐れを感じつつも、その男の異様さに絡む気力を失ってしまう……。

 男はその場所を少し歩いたところにある雑居ビルに備えられた非常口の中へと姿を消していく……チンピラ達は手を失った仲間を病院へと連れていくべく、慌ててその路地から離れていく。

「な、何者なんだありゃあ……この辺りにあんなのがいるなんて、俺は知らなかったぜ……」


 裏路地の雑居ビル内にある、隠れ家的な喫茶店……モン・ブラン、この店が一般人に知られることはほとんどない……。危険な裏路地にあるビルの中、しかもエレベーターすらない小さなビルに文字の消えかけた看板しかないような、小さな店であることと、集まる客層があまり、という評判があるためだ。

 口コミサイトにすら載らず、忘れられた頃に掲示板などで噂が流れる程度……都市伝説のように扱われている寂れた店なのだ。


「いらっしゃい……」

 入り口の扉を開けて、黒いコートの男が入ってきたのに気がつき、店主である連翹 山彦れんぎょう やまひこは、カウンターに置いてある缶に入ったフィルターなしのタバコを口に咥えるとチープな一〇〇円ライターで火をつける……。

 コートの男はわざわざカウンターへと座ると、連翹に笑顔を向ける……何者だ? 連翹はその男の少し異様な外見に目を奪われる……赤い髪に四角い眼鏡の奥に光る猫のような瞳孔にヘーゼルの瞳……ラフに着こなしたスーツと、一目で堅気ではないと思った。

「コーヒーを一ついただけますか? それと軽いものを」


「……あいよ」

 不機嫌そうに連翹はカウンターの奥で準備を始める……元々この店は裏社会の面々が使う連絡場所のような店で、汚職警官達により店の存在は握りつぶされており、半ば治外法権のような扱いになっている。

 そんな場所へ来る客は当然の如く、まともな人物ではない……長年裏社会にいた彼は、目の前の客が普通ではないことを理解した。

「ああ、私はネゲイションと呼ばれています……初めてお目にかかりますね、店長さん」


「……否定ネゲイション? そりゃ通り名ってことかい?」

 出来合いのミートパイを用意しつつ連翹が男の方向を見ずに答える……そんな店主に笑顔を向けつつ、猫目の男は懐からリトルシガーの箱を取り出し、オイルライターで火を灯すと軽く燻らせる。

 随分と洒落たことで……とちらりと男の方向を見た連翹は、彼の前にミートパイを載せた皿を置き、コーヒーの準備を始める。

 一息ついたのか猫目の男は手元の灰皿にリトルシガーを置くと、とんでもない一言を連翹へと伝える。

「ええ、ヴィランネームってやつですよ、往年の凶悪ヴィラン……通称クレバスさん」


「……どこでその名前を知った? 俺の後ろにいる連中のこともわかってやってるのか?」

 連翹の目が鋭く光る……だが、目の前のネゲイションと名乗った猫目の男は興味深そうにサンドウィッチを眺めて……軽く指さしてから食べてもいいか? と言いたげに笑う。

 敵意はない……自分からヴィランと名乗る、というのは相当に馬鹿者だな……と呆れを感じる。自分から「私は犯罪者です」などと名乗る愚か者がいるだろうか。

「ええ、今日はあなたを勧誘しにきたんです……私が目指す理想の組織づくりのためにね、それとこれ食べれます?」


「……スウィーニー・トッドじゃねえんだ、ちゃんとした肉屋から仕入れてる、ほらよ……で、俺のヴィランネームをどこで知った」

 連翹は淹れたてのコーヒーを男の前に置くと、タバコを燻らせながらカウンターから少し距離を取る。彼自身は過去ヴィランとして指名手配もされていた凶悪な犯罪者……だが今は裏社会との契約により、この店の店主として静かな日々を過ごしている。

 彼の過去を知っているものはそう多くない……すでにヴィランとしての活動を止めている彼がまさか犯罪者などと考える一般人はこの辺りでは皆無だ。

「蛇の道は蛇って言うでしょ? 私もヴィランなんで、大先輩の名前はちゃんと知ってますよ、空間の裂け目クレバスを作り出す才能タレント……それを表すヴィランネーム、クレバス……」


 一〇年以上前……凶悪ヴィラン、クレバスは二〇件以上の犯罪に手を染め、数人のヒーローを殺害した罪で指名手配を受けていた。

 すでに三〇台になっていた彼はヒーローからの逃亡生活に疲れ、裏社会へと救いの手を求めた……裏社会の汚れ仕事をこなす代わりに、身の安全を保障して貰う。

 喫茶店も表の顔としての隠れ家として、裏社会における連絡場所としての役割のために作られたものだ。

「俺のことを知ってる奴は裏の連中くらいしかいねえ、お前はどこで俺を知った」


「それは企業秘密ってやつでお願いします、私は組織を作ろうとしてまして……戦闘能力の高いメンバーを集めています……割と美味しいですね、これ」

 ミートパイを摘みながら、ネゲイションは懐に手を入れ連翹の前に一枚の名刺を提示する……そこに書かれている名前は連翹と契約している裏社会の人物……地元ヤクザの代表の名前だった。

 その名刺を見て連翹は理解した、すでにネゲイションは組織と話をつけている、と言うことなのだろう。

「アンタが組織を作る目的は?」


「ヴィランの王の復活、そして十七年前に成し得なかったヒーロー組織と秩序の破壊……ま、暮らしやすい世界を作ろうって話です」

 連翹はネゲイションに不審な目を向けるが……彼はニコニコと笑って連翹を見ているだけだ……そしてその目は不気味に輝いている。

 どうやら彼は本気らしい……そのためにどうやったのか裏社会と……堂々としているのは自分が殺されないだけの自信と、実力があると言うことか。


「……わかった、ただこの店の経営は割と気に入ってんだ、ここを拠点にしていいか?」

 ヴィランは拠点を持つことは少ない……だが、拠点となる場所がありそこに裏社会の情報網と、資金力、そして治安組織との癒着による情報の秘匿などが組み合わされば……この場所は秘密裏に犯罪組織の集合場所となり得るのだ。

 元々連翹と裏社会の手により、この喫茶店は治安組織から見て見ぬふりをされ続けており、誰も気に留めるものはいなくなっている……これほど都合の良い場所はないだろう。ネゲイションはクスッと笑うと、連翹の言葉に大きく頷く。


「ええ、私も美味しいコーヒーは大好きなので……組織の拠点はここを使用させていただければと思います」

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