第3話『吹雪の夜に』

 町を出てからしばらくは雪まじりの草原で過ごした。解けた雪でそこかしこに水たまりができていて、なかなか移動がしづらかった。それでも、生きていく上では特に困ることはなかった。時々、テントが張ってあるのを見つけては、近くに行って見た。だけれど、皆そろって私には興味を示さなかった。




 段々と夜が冷え込むようになって、夜中には雪もうようになった。獲物の野ネズミもなかなか見つけるのが難しくなってきた。たまに見かけるテントも、数が減ってきた。


 水たまりにはいつしか氷が張るようになって、昼でも寒くなってきた。太陽が雲に隠れていることも増えた。獲物もほとんど見つけられず、食事にありつけないことも増えた。テントは雪のドームに変わって、あるのかないのかすらもわからなくなってきた。




 いつしか辺りは真っ白な雪原になっていた。おまけに空は、青色を忘れてしまったかのように毎日灰色の雲が空をおおっている。


 日が沈んで、雪が降りだした。そして――強い風が吹き始めた。白くて平らな平原には、吹雪ふぶきしのげる場所などない。


 寒いわ……。でも、休めそうな場所もない。丸まって動かずにいたら、雪にもれちゃいそうだし。動いていた方が多少マシな気がするわ……。


 横なぐりの雪の中、全身に雪を受けて、体の表面をこおらせながら歩く。

 ゆっくりと、ひたすら。あてもなく、どこまでも。


「…………」


 お告げを聞かないほうが、幸せだったのかな?


「……違う」


 お告げは『疑わずに信じる』もの。疑っちゃダメ。


 その時。ふっと、何かが見えた――気が、した。

 

 何もないはずの暗闇に、目をらしてみる。


 遠くにぼんやりと、かすかな明かりが見える。視界をさえぎる横殴りの雪に隠されながら、途切れ途切れにだけれど。それでも、微かな光がそこにはあった。


 あの光は、まぼろしかな? それとも、本物……?


 そんなことは、どうでもいい。そんなことすらも、もう考えられない。

 4本のあしは無意識にその光の方に向かっている。意識のあるうちに。冷たく、感覚のなくなりかけている脚が、まだ前に進んでいるとわかるうちに。


 前に進め。行け。そこに。


 頭は……いや、私の本能は、その命令を出し続ける。それに反抗はんこうする理性は、もうない。本能に従って、脚を動かして前に進むことしかできない。まるで、魔法がけられた人形のように。何も考えずに、ただその直感を信じて。ぼんやりとした意識で前に進む。




 ……どれくらい歩いたんだろう、私。


 見える景色も、頭の中も。暗闇に支配されてきている。ぼんやりとした意識の中で、そんなことを考える。


 サクッ。


 顔が、何かにめりむ。


 何に当たったんだろう?


 いつの間にか閉じてしまっていた目を開ける。凍り付いた重いまぶたを、ゆっくり、ゆっくりと開く。


 まっしろ。


 ……少し息が苦しい。さっきの衝突しょうとつ衝撃しょうげきで、少しだけ意識がはっきりしてきた。顔を動かすと、呼吸が楽になった。だけれど、目の前がまっしろなのは変わらない。


 ……?


 前に進もうと前足を動かすと、今度は前足が何かに当たる。


 これは、壁……? 壁にぶつかったらどうするんだっけ? ……あぁ、後ろに下がればいいのね。


 ゆっくりと後退すると、何にぶつかったのかが段々とわかってきた。私がぶつかったものは、雪でできたドームだった。


 ……中に入ったら、休めそう。


 雪の壁に沿って歩くと、すぐに入り口は見つかった。中を見ると、燃え尽きそうな焚火たきびと、が眠っていた。


 体力も気力も尽きそうな私は、躊躇ためらうことなくそこに入って焚火の傍に座る。

 暖かく、ゆっくりとれるほのお。これを最後に見たのはいつだったかな。……見たこと、なかったかも。


 こごえる体を温めたら眠くなってきた。眠気にいざなわれるまま、眠りについた。私の意識は、音もなく闇の世界に吸い込まれていった。




 ……体がぽかぽかしてあったかい。それに、まぶしい。


 丸まっていた体をめいっぱいばながら目を開けると、そこは知らない家の庭にいた。


 花壇には、青紫色の花が咲いている。ブドウの房が土から生えてきたようなその花は、不思議な感じがするけれど、とっても綺麗。


「おーい、……!」


 私を呼ぶ声がする。声の方に顔を向けるけれど、その声の主の顔はよく見えない。


「あーあ、どろだらけになっちゃって。なんで汚しちゃうかなぁ。白い方が綺麗なのに」


 耳がぴくっと動く。そんなこと、言われたことがなかったから。


「あなたは……誰?」

「君と契約けいやくした魔法使いだよ。もう忘れちゃったのかい?」

「私の……ご主人?」

「そうだよ。ほら、泥落としに行くよ」


 体に手を回されて、持ち上げられる。その状態のまま、お風呂場に連れていかれて、体を洗われる。

 石鹸せっけんをわしゃわしゃみ込まれてあわあわになる。泥を被るよりよっぽど心地いいし、何よりあたたかい。


 お湯をかけられて、石鹸のあわを洗い流して、タオルに包まれて。


「毎回毎回、手間かかるんだから……。さあ、あとはれた体を乾かそう」


 タオルに包まれたまま再び持ち上げられて、別の部屋に移動する。私のご主人? はソファに腰掛けると、私をひざの上に着地させる。

 私はされるがままに膝に乗せられて、濡れた頭をでられる。今までにない優しさに包まれて、ゆっくりと。


「もう、自分から汚れに行っちゃダメだよ」


 ご主人? の魔法で出された暖かい風が吹き始めて、私の濡れた毛並みを揺らし、乾かしていく。


 心地いい、暖かい風に吹かれて。


 ……あれ? あたたかい、風……?

 

 段々と、その風は強く、冷たくなっていく。


 嫌。行かないで……。


 まるで高いところから落ちているように。そのあたたかさは遠くなる。脚を伸ばしても、何も変わらない。無慈悲むじひにその体はあたたかさから離れていく。


 段々と遠のく、優しくれられている感覚とあたたかさ。それと入れ替わるようにどんどんと背中に近づいてくる冷たさ。その冷たさに耐えられなくなって、前足後足うしろあしをあたたかさに伸ばしながら目をつむる。その足に、あたたかい感覚はない。その足が触れているのは、背中と同じ凍えるような冷たさだけだ。


「…………」




 何もかもが暗闇と冷たさに包まれてから、どのくらい経ったのだろう。


 ……あれ?


 暗闇の中で、頭に微かな重さを感じる。


 意識を重さを感じる方、頭の方に移してみると、その重さが加わる場所がゆっくりと移動しているのがわかる。


 自分の前足後足は動いていない。動かしていない。じゃあ、いったいだれが……?

 ゆっくりと目を開けると、寝ていたはずのと目が合った。

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