デジデラレ

@paruseon

第1話 どうか息子の高校へ

「あの子受験票持って行ってない…。」

 とある田舎の主婦、中村音は、机の上に置かれた受験票を見てゾッとした。その受験票とはもちろん、まさに今日高校受験を控える息子、遼のものだ。

 遼が目指している県立中央高校は県内屈指の学力に加え、バスケットボール部も県内屈指の強豪で、昨年の冬は県内でベスト4、全国まで後一歩だった。

「涼太、出て…!」

 音は何度も涼太の携帯の電話を鳴らすが応答はない。

「どうしよう…電車の中かしら、それともバス…今から走っても間に合わないし…。タクシーで駅まで行けばもしかしたら…?」

 音は急いで携帯で電車の時刻表を調べる。中村家から中央高校までは、まずはバスに20分乗って大神駅へ、そこから北平川線で2駅、さらに快速に乗り換え5駅乗り平川学園大学前で下車、そこから歩いて10分ちょっと。ドアtoドアで1時間ほどの道のりだ。

「涼太が出たのは30分前でしょ、今から受験時間と逆算して…あ、受験開始時間知らないや…今から走って、タクシーを捕まえて…、ダメだ考えていてもきりがない。」

 音は気がつけば家を飛び出していた。どちらにしろこの受験票がないと遼は試験を受けれない。お願い神様、間に合わせてください。心の中でそう祈りながら。





「師長、お願いが入りました。」

「お、ご苦労、今日は依頼が多いな。やはり受験日は忙しいな。」

 師長である大曽壁太郎はそう言いながら手塚光一から依頼表を受け取る。

「そうですね、日頃の行いが鍵を握ってくる日です。」

 手塚はそう言いながら和室の障子を閉めて部屋を出る。

「んー、受験票忘れか…いつの時代も忘れない奴はいないな。」

「忘れないように机の上に置いておいてそのまま忘れていくんでしょうね。」

 そう言ったのは京本和葉。この冬1級命導師に昇格したばかりだ。

「忘れたくないなら前日にカバンに入れておけばいいものを…。」

 太郎はそう言いながら髭を剃ったばかりのあごを撫でる。

「よし、陣、この案件は君に任せる。和葉には別の案件を任せているのでな。」

「わかりました、良歴と悪歴を照らし合わせてきます。」

 高屋敷陣は依頼表を受け取ると和室の部屋を出て、隣室の抽出部屋に向かいパソコンを開く。

「なかむらりょうた、検索っと。」

 抽出部屋では依頼主の過去の行動歴を洗い出す。簡単に言えば、良い行動である良歴と、悪い行動である悪歴をどれだけしてきたか、どちらの割合の方が多いのかという割合を出す作業だ。それにより、今回の依頼を実行するかしないか、もしくはちょっとだけ実行するかを決めるのが、彼らの仕事だ。

「陣、どうだ?良さそうな奴か?」

「んー、どうかな、すげえポイ捨てする。あとありがとうって言わねえ。兄ちゃん的にはどう思う?」

 陣に話しかけてきたのは高屋敷礼、陣の兄で、代々命導師として大曽壁家に遣える御三家の1つ、高屋敷家の長男だ。

「あんまりよくねえな。後輩にジュース買いに行かせたりしてるのか。上下関係を悪用する奴が一番好かねえ。と言っても好き嫌いで判断するわけじゃないから良歴も洗い出そう。」

 兄からの指令を受け、陣は手を動かす。

「兄ちゃん見てくれ、電車で妊婦さんに席を譲ってるぞ!」

「ダメだ、日付を見てみろ。」

「2月12日、今日…?なんでダメなの?」

「ああ、まだお前に教えてなかったな、当事者の当日の良歴はカウントされないんだ。なんか、あからさまに験担いでる感出てるだろ?そんな行動を入れ出したら今までずっと良いことしかしてきてない人がバカを見るだろ。」

「確かに…厳しい世界だね。あとさ、今回依頼してきたのは中村涼太君のお母さんだよね?なんで涼太君の良歴を洗い出してるの?」

 陣は1ヶ月前に自分が命導師一族だとばかり、まだ見習いの段階だ。

「結局高校を受験するのは涼太だからな、基本的にはその物事の当事者の行動を抽出するって感じだな。」

 礼は陣よりも6歳上、経験も豊富だ。彼ら命導師は13でその任務を任される。いや、知らされると言った方が正しい。別に彼らは神様でも仏様でも閻魔様でもない。人間だ。普通に生まれ、普通に学校に行き、他の人となんら変わりのない生活を過ごしている。ただ、を持っている。

「洗い出せたよ、最終抽出するね。」

 陣がエンターキーを押すと、青と黒、2つの棒グラフが競い合う。それが終わるとスクリーンに大きく文字が出る。

「30%、可なれども全てを可とはみなさず。一定の不利益を被ることは致し方なし今後の行いでこの選択の方向性を再度決められ…、兄ちゃん、これどういう意味?」

「そうだな、この人の場合だと…」




 「この席、座ってください。」

「あ、すみません、ありがとうございます!」

「いえいえ。もうすぐ降りるので。」

そう言いながら涼太は心の中で良いことをしたとニンマリする。なんせ今日は受験だ、験担ぎなんかすればするだけ良いに決まってる。ようやくこの日が来たかと思う。進路を中央高校に定めてから、脇目も振らず勉強した。友達の誘いも、好きなアニメを見るのも我慢し、毎日のほとんどの時間を勉強に費やした。これで合格しなかったら神様は何見てんだって話だ。

<次は〜、平川学園大学前、平川学園大学前です、お出口は右側です。>

「よし、降りるか。」

涼太はそう小さく呟くと膝の上に乗せたカバンを持ち、席を立つ。受験票の入っていないカバンを。改札では大学生であろうか女性が、財布を落としたと駅員に相談している。きっと験担ぎが足りなかったんだと涼太は胸の内ではニンマリする。

 平川学園大学前駅を降りるとまっすぐに商店街が続いている。ラーメン屋、ファーストフード店、カフェ…中学生の涼太にとっては夢のような道だ。その商店街をまっすぐ歩き、突き当り、左に曲がると平川学園大学、右に曲がると中央高校だ。校門を入って桜の木が植えられた道をまっすぐ進むと<新入生の方はこちら>という立て看板が見えて来た。

「おっす、涼太!」

「おお、いよいよ今日だな。」

「そうだな、ここで一緒にバスケするぞ!」

熱血漫画の主人公のような言葉をかけて来たのは高梨周平。涼太と同じ中学のバスケ部のキャプテンだ。

「どう?自信は?」

教室へ向かいながら涼太は周平に聞く、答えは知っているが。

「自信しかない、俺が受かる自信も、涼太が受かる自信もある!」

本当に朝から暑苦しい奴だと涼太は苦笑いを浮かべる。ただこの熱がどれだけチームを救って来たか、同級生からはもちろん、後輩からも信頼されていたことはよく知っている。

「じゃ、俺こっちだから、受かれよ、涼太!」

「おう。」

自分の席に向かった周平を見送ったあと、涼太も自分の席に向かう。

「受験票、受験票…」

大きなファイル、側面のポケット、筆箱の中…次第にカバンの中をかき分けるその手が早く、荒くなり顔が真っ青になる。

「机の上…」

思い当たる節はある。昨日寝る前に、絶対忘れないようにと机の上に置いたのだ。朝ごはんを食べるときに見つけることができるように。ただ、今日は緊張で朝ごはんが食べられなかった。つまり、机の上を見ていない。

「すみません、受験票がなくても受験は受けれますか?」

頼むYESと答えてくれ。訴えかけるような目で試験官を見る。

「いやー、それはできません、規則なので…。忘れたんですか?」

終わった。心の中でいろいろなものが崩れていく音がする。

「そうなんです、なんとかなりませんか?」

「お家の方はいらっしゃいませんか?今から持って来ていただくとか…。」

「あ、そうか…。」

お母さんだ。涼太は急いで携帯を見る。5件の着信が来ている。なんで気づかなかったんだと軽く空を見上げる。緊張で携帯を見る暇はなかった、いつもならずっと見ているのに。

「もしもし、涼太?今会場?受験票忘れていったでしょ!」

母の音は走っているのか息を切らしているかのような声で涼太に問いかける。

「そうなんだ、今どこ?あと20分で受験始まるんだ!」

涼太は声を荒げる。人生がかかっているのだ。

「ごめんね、走って大通りまで出て、タクシーが一台来たんだけど捕まらなくて…。今からバスに乗る。」




「師長、抽出の結果が出ました。」

礼は障子を開け、片膝をつくと師長に話しかけた。その横で陣も真似をしながら同じポーズをする。

「結果は?」

「30%、可なれども全てを可とはみなさず。一定の不利益を被ることは致し方なし今後の行いでこの選択の方向性を再度決められ。そう出ております。」

「ふふふ、そうか、あまり良歴が見られなかったようだな。陣よ、この結果の意味がわかるか?」

師長は温かい緑茶を飲みながら、陣に尋ねる。

「申し訳ありません、理解できませぬ…。」

陣は申し訳なさそうに師長に答える。

「謝るな、まだ難しかったかな。」

「そうですね…教えていただけますでしょうか?」

「答えはな、受験までに受験表は届かない。よって、この高校は不合格。ただ、その代わりに行った違う高校で成功を収めるかどうかは今後の行い次第、そういうことだ。」

「なるほど…。」

「和葉、詳細を話してあげなさい。」

師長は緑茶を飲み干すと和葉の目を見ながら優しく呟いた。

「今回の行動の分岐点は、母である音がタクシーを捕まえられるかどうかという点よ。そしてそのタクシーは2人の大人が同時に乗りたがっていて、そのもう1人の人物は私に依頼があった人物だった。最終抽出結果は78%。つまりそのタクシーはそのもう1人の人物が乗ることになる。そういうわけよ」

陣は残酷だと思った。この涼太という人物が、この高校に受かるためにどれだけ勉強して来たかというデータも見たから。その想いや、かけた時間は間違いなく本物だった。ただそれを覆せるほどではなかったということなんだろうと思う。これからこの仕事をするんだ。他人の人生を変えてしまうような、そんな仕事を。






































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