台詞屋 〜あなたに言葉を差し上げます〜

Lemon

一人目のお客様 99回の愛してる

ある日のこと、本当に突然の出来事だった。


「はじめまして! お名前はなんていうの?」


可愛らしいボブカットの黒髪、美しい紫色の瞳、少し高めの身長。


名前はアイカ。


中学校の入学式の日、教室の隅っこで読書をする僕に、いきなりそう尋ねてきた君が、本当に綺麗だったんだ。


僕はなんの前触れもなくアイカに心を奪われた。


彼女は音楽が好きな子だった。

小学生の時から吹奏楽部でバリトンサックスを吹いていると聞いた時は少し驚いたが、あの華奢な体で支える楽器から放たれる深い重低音も、僕はとても魅力的に思えた。


そんな僕は、アイカと同じ低音パートに入ろうと思って入部した吹奏楽部で、担当楽器がフルートになって少し困惑した。


「先生、僕の希望はチューバだったはずなんですが……」

「あぁ、あなた、肺活量チェックやったでしょ?」

「やりましたね」

「実は、ワースくんは小柄だし初心者なのにすごい肺活量を持っているの。その場合、チューバよりフルートに適してると先輩たちが判断したのよ」

「なるほ……ど……?」


おかしい。

どう見たってチューバの方が大きいし肺活量がいるはずだ。


けれどネットで検索をかけてみると確かにチューバの方が肺活量が必要であると書いてあるサイトがたくさんあった。


結局は僕はフルートパートになってしまった。


「低音と高音だから、一緒に練習できる時間はきっと少ないだろうね……」


アイカが残念そうに言う。


「あ、でもカラオケで一緒に練習したりすることはできるかも! 時間ができたらやってみようよ!」

「そうだね」


こうして思わぬ形でパートが決まった僕だけど、割と功績を残した方なんではないかなと思う。


コンクールではソロパートを吹いたし、ソロコンテストで県内優勝を果たして、進んだ先の関東大会では惜しくも二位という結果を残した。


けど、アイカはもっとすごかった。


部長として部員たちを導き、関東大会のソロコンテストで僕から一位を奪ったのもアイカだ。


やっぱり彼女は高嶺の花だなぁと、同じ高校、同じ部活から旅立とうとしている卒業式の日である今日でも思う。


今でもまだアイカに気持ちを伝えることはできていない。

出会ってからもう6年も経っていると言うのに、未だに降り掛かってくるあの笑顔が眩しい。

かけてくれる言葉の一つ一つが愛らしくて仕方がない。


ずっとずっと僕には彼女にこの気持ちを伝える勇気がなかったのだ。


今日伝えないと、もう後がないのにな。


そんなことを思いながら、僕は通学路を歩いていた。

すると、あまりこの辺りでは見かけないような白い鳩が僕の元へ飛んできた。

奇妙な鳩だった。首元には小さな小瓶をぶら下げ、くちばしにはスプルースの封筒を咥えている。


小瓶についているタグに『受け取ってください』と書いてあったので、僕は鳩から小瓶と封筒を受け取った。


封筒の中にも、スプルースのカードが一枚入っていた。

そこには印刷のように綺麗な手書きの字で


『きっとお困りなのではないでしょうか?

 その薬を飲んで、台詞屋へいらしてください。

 言葉と発する勇気を売らせていただきます』


こう書いてあった。


(怪しい手紙だな……それに伝書鳩って……)


僕は怪しく思ったけれど、それと同時にアイカへの気持ちを伝えたいという心も大きくなった。


「……行くだけ行ってみよう」


僕は目を閉じて薬を一気に飲み干した。

最初は、イチゴのような、レモンのような甘酸っぱい味がした。

後味は白ブドウのようにすっきりとしたものだった。





目を開くと、さっきまでいた通学路が、3メートルはありそうな本棚がずらずらと並んでいる、図書館のような部屋になっていた。


いきなり豹変した周囲の景色に戸惑っていると、ブラウンの髪の毛を持ち、キャラメル色のスーツにスプルースのネクタイを締めた男性が現れた。


「エンカンタード。言葉売りの商人、イヒ・リーベ・ディヒと申します。ご来店、誠にありがとうございます」


どうやら、さっき伝書鳩が運んできたカードの字を書いたのはこの人のようだ。

とても高貴な見た目をしている。


「本当に、言葉を売ってくれるんですか?」

「はい、もちろん。あなたにピッタリな言葉を差し上げましょう」


少し低めの声で発せられる丁寧な言葉に、僕は少し安心した。


「お代は?」

「お代は、買った言葉を向けるお相手様の持ち物でございます。一度でもお相手様の持ち物となっていた過去があれば、それで構いません」


大変だ。お代は現実世界のお金だと思っていた。


「ご安心なさってください。そちらの世界にあるものは、魔法で取り寄せることができます。」

「ならよかった……」


いや、安心するのはまだ早い。


「どれくらいの価値があればいいんですか?」

「お相手様がその持ち物をどれくらい大切に思っていたかどうかで、言葉の重さが決まり、その個数とお相手様が持ち物に持っていた愛着によって言える回数が決まります。」



やっぱり、物の価値によって変わってくるんだ。

僕が持っているアイカの持ち物なんて……

大したものは無かったような……


「あ……!」


一つだけあった。

中学校を卒業するときにアイカと交換した、楽譜のファイルだ。


僕がそのことを頭に浮かべると、いつの間にか僕の横にはそのファイルがあった。


「お代はこちらでよろしいですか?」


僕は少し迷った。

このファイルは今の僕にとって、とても大切なものだ。

手放すのは少し、気が引ける……

けど……


「はい。これでお願いします」

「承知いたしました。では、言葉と勇気を作って差し上げましょう」

「ありがとうございます」


アイカに伝えたいという気持ちの方が強かったのだ。


「ではまず、回数に関しての見積りをさせていただきます」

「わかりました」

「このファイルの中には120枚の楽譜が入っています。書き込まれた字の中には、幼い子供が書いたような字もたくさんありますね。かなり長い間使われていたものと思われます」


アイカは小学2年生の頃からバリトンサックスを吹いているから、中学までだと8年分の楽譜が入っているということになる。

これだけ練習していれば、あそこまで上手くなるのも納得できる。


「あまり愛着のなさそうな楽譜も併せて見積もると……言葉を言える回数は99回分で売らせていただきますね」

「そんなにですか?」

「はい」


アイカがとても大事にしていたものを使ってしまったようで、なんだか罪悪感を感じる。


「伝える言葉の重さですが……これは、あなたが今、お相手様をどう思っているかによって変わってきます。お相手様に対して思っていることを、全て教えていただけますか?」


僕はアイカに対しての感情を全てリーベさんに話した。


「なるほど。では、あなたに一番ピッタリな言葉を作って差し上げましょう」


そう言うと、リーベさんは本棚にある本の中から、一冊のチェリーピンクの本を取り出した。


「言葉は魔法。人と人を紡ぐ奇跡。誰かが残した軌跡。それを忘れないでください」


リーベさんのその一言を聞くと、僕の周りはその本と同じ色の光で満たされた。


眩しくて、思わず僕は目を閉じた。





目を開けると、そこはいつもの通学路に戻っていた。


「なんだったんだよ……」


結局あの人はどんな言葉を言ったらいいのかは教えてくれなかった。


「ワースくん、どうしたの?」


何が何だかわからず、僕が道で突っ立っていると、アイカが現れた。


「あ、ごめん! 行かなきゃだね!」


卒業証書を受け取り、理事長の長い長い長い話を聞き終え、僕たち2人は中庭を歩いていた。


「今日でもう全部終わりなんだね」

「そうだね……少し、寂しい」

「うん」


周りに人はいない。

みんなはクラスメイトたちと語らっているのだろう。


「ねぇ」


次の瞬間、僕は無意識に口にしていた。


「君のこと、愛してる」


アイカは顔を真っ赤にし、とてもびっくりしたような表情を浮かべた。

僕も、自分の口から無意識に出た言葉にびっくりした。

それと同時にリーベさんが売ってくれた言葉はこれであると実感した。





それから月日が経っていき、25歳になった僕たちは結婚することになった。


一年に一回以上『君のこと、愛してる』という言葉が無意識に出てくることがあるので、魔法の効果はまだ切れていないんだなと思う。

あと何回分魔法が残っているのかは、もうわからない。


けれど、アイカと過ごしていく日々は本当に楽しかった。

子供が生まれてからもそれは変わらず、淡々と年月が過ぎていく。


気づいたら僕は寝たきりのおじいさんになっていて、一日中病院のベッドに寝転がっていた。

年齢は確か……86歳だったかな……


それすらわからないけれど、未だに『君のこと、愛してる』という言葉は出てきた。




結局、僕には寿命が来るようだった。

心音のテンポがどんどん遅くなっていく。


近くにいる、まだ自分の足で歩くことができる、美しいお婆さんになったアイカが、顔をぐしゃぐしゃにして泣きじゃくる。


「まだ行かないで……私を置いていかないで……いやだ……」


ごめんね、アイカ。君を置いて行ってしまって。

最後に、言いたいことがある。

ずっと言えなかった。

伝えたかったけど、いや、伝えていたけど、自分の意思じゃなかった。

最後の最後になってしまってごめんね。


「きみ、の、こと、せか、せかいで、いちば、ん、あいし、て、るよ」







「まだ……魔法は使い切っていなかったのに……」


店の中で本棚を整理しながら、魔力が手元に帰ってきたことでワースの死を感じ取ったリーベが小さな声で呟いた。


「これでは、魔法が一回分余ってしまいますね。お代を頂きすぎてしまいました」


そう言ったリーベの顔は、少し寂しそうなものだった。

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