春の陽気に誘われて

 昔の人は言った。

 男子門を出ずれば七人の敵あり、と。

 当然こんな事もあろうかと入学前に作戦を考えていた。

 争いに巻き込まれた時の対策を。

 もちろん無三流の存在を知られたら切腹という掟は覚えている。

 だから無三流の存在を知られずに、しかも血を流さずに勝つ作戦を編み出した。


 うん、虎雄相手なら試すのに丁度いい。

 今は校舎裏には2人だけ。


「おれも海老鯛小の猛虎と呼ばれた男だ。器は大きい。謝りゃ許してやらんこともないがどうする?」

「大きく出たな。嫉妬に狂うヤキモチ焼きのモテない男のひがみに付き合うオレこそうつわが大きいよ」

「貴ッ様ァ~!」

 虎雄が殴りかかってくるが余裕でかわしブレザーを脱いだ。

 お次はミドルキックだが余裕でかわしワイシャツを脱いだ。

 虎雄はさらにオレの肌着をつかんできたので一気にしゃがむと胴体からスポッと抜けた。

 つまりオレは今、上半身裸だ。

 これで作戦はほぼ終了。

 後は言葉で説得すればいい。


「おい虎雄。どうだ、オレの鍛え抜かれた上半身は。ビビったか。謝りゃ許してやらんこともないがどうする?」

「笑わせにきてんのか? ずいぶんと貧相な体じゃないか。ナメやがって!」


 しまった!

 粗食しか食ってないからまだ筋肉はないんだった。

 見る人が見りゃ鍛えられた体というのはわかるのだが、虎雄じゃわからなかったか。


「ま、待て、ならば下半身だ。よく拝むが良いぜ」

 疾風の如くズボンを脱ぐオレ。

「どうだ、この大腿四頭筋だいたいしとうきんにハムスト。腓腹筋ひふくきんにヒラメ筋。仕上がってるだろ?」

「……鉄太、お前もしかして変態なのか? お粗末な下半身をさらすな」

 虎雄は呆れているようだ。

 まあ、今のオレはトランクス1枚という姿ではあるから虎雄が呆れるのもしょうがない。

「おれは変態でも容赦はしねえ。この一発で眠らせてやる」

 虎雄は右の拳を大きく後ろに引いた。

 しかし右ストレートを出すのは見え見えだ。


 その時。

「お兄ちゃん、こっちこっち」

 声のする方を向くと辰っつあんが生徒会長の手を引っ張ってやって来た。

「ウッ! “静寂せいじゃくの辰巳”じゃ相手が悪すぎる。おい鉄太、勝負は預けとくぜ。ここはトンズラ~!!」

 虎雄はそう言い残してさっさと逃げて行った。

 生徒会長は七三分けで銀縁メガネだが見た目に反して剣道部の主将。

“静寂の辰巳”というのは異名か何かなのだろう。


「ふ~む、なるほど、ね。状況を見れば何が起きたかはわかった。大体の流れは葵から聞いてるし。だけどなぜ裸に? さっきの彼にイジメられてたのかな?」

 生徒会長の質問に正直に答える気にはなれなかった。

 鍛えられた筋肉を見せつけビビらそうとして失敗したなんて恥ずかしすぎる。


「あ~、春の匂いを感じませんか? 今日は特に春めいてポカポカといい天気。全身でじかに春を感じたかったんです。つまり春の陽気に誘われて裸になったんです」

 咄嗟とっさに口からでまかせが出た。

「嘘だろ、鉄太。ホントは虎雄に脅されたんだろ!? あんなヤツをかばわなくったって大丈夫。お兄ちゃんに全部言っちゃいな」

 ああ、辰っつあんはなんてピュアなんだろ。

 オレなんかがクラス委員のパートナーで本当にゴメン。


「そうだよな。こんなにも春めいているんだから脱ぎたくなる君の気持ちもよくわかるよ」

「お兄ちゃん!?」

「しかし見れば見るほど鍛えられた体をしているね。ムダな肉が一切ないし筋肉には筋金すじがねが入っている。ちょっと僕と手合わせしてくれないか」

「お兄ちゃん!?」

 生徒会長は素手で竹刀を持ってない。

 だけど上段に構えたその両手から持ってないはずの竹刀が見える。

 デキる!


 生徒会長は左上段の構えで微動だにしない。

 オレは剣道の知識はないからどこを撃とうとしているかわからない。

 だがよかろう、右半身をくれてやる。

 静かに右足を前に出し、後ろの左足のつま先は真横を向き直角を作る。

 体重の配分は前足4、後ろ足6。

 すなわち中国拳法の丁八歩ていはちほだ。


「ふむ、そう来たか。僕が左手のみで撃とうとすれば君は右足を円を描くように引き左足に寄せ、左拳でカウンター狙いか。ならばこれならどうだ?」

 オレの戦術を読み切った生徒会長は両手を胸の中央に持ってきた。

 中段の構えだ。

 攻め入るスキが全くないぞ。

 ただ、持っていないはずの竹刀が長く光って見えたのは気のせいだろうか。

 それに周りの音が聞こえなくなった。

 やけに静かで平和な雰囲気。

 争いなんて意味がなくて虚しいだけ……。

 世界はただ静寂の中にある……。

 その時、腹の虫がグゥ~ッと鳴いた。

 そのおかげでオレは我に返ることができた。

 あっ、これが“静寂の辰巳”と呼ばれる所以か!

 イカンイカン、いつの間にか敵の術にハメられていた。


 ならばこちらも相手が攻めにくい構えをにしなければ。

「よいか鉄太よ。相手にとって一番やりにくい構えはやはり自然体じゃ。そのやり方は……」

 じいちゃンの教えを思い出す。

 足は肩幅、肩の力を抜き両手はダラリと下げる。

 気息を整え、臍下丹田せいかたんでんに気を流す。

 目線は瞳孔どうこう不睨ふげい。両眼を見開くが視線を一点に定めず。

 姿勢は立身中正りっしんちゅうせい含胸抜背がんきょうばっぱいを保ち、身体を貫く重心線に身を委ねる。

 自ずと精神は明鏡止水めいきょうしすい無念無想むねんむそうの境地へ。


「そこまで。イヤ参った参った。僕の静寂の術を破るなんて! 君はよほどの師のもとで修行をされたはず。これほどの新入生がいるなんて驚いた! やはり世界は広い! まさしく後生畏こうせいおそるべし! 君は確か鉄太と呼ばれていたね。どうだ鉄太くん、剣道部に入らないか?」

「せっかくですが封建的ほうけんてきなのは苦手なものでして……」

「えっ!? 滅多に人を褒めないお兄ちゃんが鉄太をベタボメしている……。鉄太ってお兄ちゃんが認めるほど強かったの?」

 辰っつあんは驚いている。

 言っちゃ悪いがこちとらリアルの真剣を相手にしているんだ。

 本当に竹刀を持っていたとしても恐るるに足らずだ。


 だが、そろそろ制服を着なければ。

 ん、校舎裏に向かって足音が聞こえてくる。

 イヤな予感。

「会長、そろそろ会議の時間です……って、イヤァ~~、へ、変態ィ~~ッ!!」

 風紀委員の腕章をつけたソフィが叫んだ。


 ――約10分後、オレは職員室で落合先生に事情を説明していた。

 幸い、辰っつあんと生徒会長もフォローしてくれたので助かった。

「ウワハハハ。こんなポカポカ陽気ならパンツ一丁になりたくもなるわな、ウワハハハ」

 正直に一から説明したら落合先生は豪快に笑い飛ばしてくれた。

「なあ鉄太。ケンカをしない為に脱いだのはよくわかったがどうもお前はトラブルに愛されているらしい。これは運命だと思って受け入れろ。これから先もお前はトラブルに巻き込まれ続けるだろうし、場合によっちゃ説教もせにゃならん。だが曲がったことだけはすんなよ。これで説教は終わり、帰ってよし」

 もっとこってりとしぼられるかと覚悟していたが、ぜんぜん怒られなくて拍子抜けした。

 それよりもこれから病院にじいちゃンの洗濯物を持って行くのが面倒くさい。

 修行に比べりゃましではあるけど。

 今日のケンカの収め方を話したらどんな反応をするだろうか?

 決まっている。

「修行が足らん! もっと修行せい!」

 と怒鳴られるので今日の出来事は黙っていようと心に決めた。

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