魔女と古強者と

 網走あばしりの夜はとっても寒かった。

 ヒグマとの対決ではひたいを少しえぐられたので頭には包帯が巻いてある。

 雪中行軍せっちゅうこうぐんとかで雪山を一人歩かされた時は遭難しかけた。

 上半身裸で雪の中の寒中稽古をしたら高熱で苦しんだ。

 決してレジャーやグルメ、物見遊山ものみゆさんとしての旅行ではなく、寒さに耐える修行としての北海道。

 

 帰りの飛行機の中でじいちゃンはゴキゲンで言ってのけた。

「鉄太よ、楽しかったな。次は灼熱しゃくねつ地獄よろしく暑い地域にするぞい。南米のアマゾンとかアフリカのサハラ砂漠なんてどうじゃ? カッカッカッ」

「灼熱地獄はともかく、今度は寒くない所がいいや。タヒチにグアム、ハワイやサイパンとか。コート・ダジュールもいいな」

「タワケめ。まあ帰ったらゆっくり休め。明日からはいつも通り鍛えてやるからの」

 悪いがじいちゃンの言葉には従えない。

 だってオレは脱走するから。


 平日の十時はじいちゃンお気に入りの時代劇が再放送している。

 テレビに夢中のじいちゃンはその一時間はテコでも動かない。

 脱走の絶好のチャンスを逃してなるものか。


 高い塀で囲ってある武家屋敷の出入り口、正門は大きくて分厚かったけどあっさり開いた。

 フラリと外に出て山道を下れば駅前の交番にたどり着ける。

 児童虐待じどうぎゃくたいを訴えて保護してもらおう。

 だが、じいちゃンはテレビを見ていたはずなのに、

「鉄太ぁ~ッ! どこに行ったぁ~ッ! 出て来いやぁ~!」

 ダミ声が耳をつんざく。

 反射的に物陰に隠れると声がだんだん小さくなった。

 ソ~っと顔だけ出すとじいちゃンはオレとは反対に山道を登っていくのが見えた。

 しかも愛刀を抜き身で振り回して。


 やたら勘の働くじいちゃンだ。

 見つかるのは時間の問題。

 駅前に辿たどりり着く前に捕まるかもしれない。

 だから予定を変更。

 途中の適当な民家に助けを求めることにした。

 勝手に人の家の敷地に入るのは犯罪だけどそれどころじゃない!


 大きな庭に駆け込むと若い女性が花壇を手入れしていた。

「助けてください! 日本刀を持った頭のおかしな老人に追われています! 少しの間でいいので匿ってください。それから警察を!」

 と必死にお願いしてみた。

 目の前の金髪で青い目の外国人に。

 ん!? 

 外国人!?

 日本語は通じたのか?

 そう心配したが、

「さあ、早く中へ」

 と家の中へ招き入れてくれたので、日本語が通じたのがわかった。


「ゲッ、ゲホッ、ゲホッ、オエッ」

「イチゴのタルトは逃げないからそんなにがっつかないの、もう」

 テーブルの上には初めて味わうイチゴのタルトとハーブティー。

 急いで食べたので胸につかえた。

 それをハーブティーで流し込む。


「あまりにも美味しかったんでついつい。一日三食のメニューは一汁一菜いちじゅういっさいで間食は一切禁止。だから砂糖や油が五臓六腑に染み込むようです。それにこのハーブティーも美味しいです。いつもはクソ苦い梅昆布茶だし。あ、よければおかわりをください」

「このハーブティーは気分が落ち着くレモンバームを中心にブレンドしたんだから味わって飲んでね」

 ローズ姉さんはあきれながらも微笑んで、ティーカップにハーブティーを注いでくれた。


 話は十五分ほど前にさかのぼる。

 オレは家に入れてくれたすぐ後に早口で詳しい事情を説明した。 

 若いお姉さんは乃木のぎローズと名乗った。

 オレも自己紹介を済ませた。

「待って。すると九段くんはあの白金一鉄しろがねいってつさんのお孫さん?」

「はい、そうなんです。名字が違うのは母方の祖父だから。でもなんでわかったんですか?」

「日本刀というワードで白金さんが真っ先に頭に浮かんだの。最近、お孫さんが引っ越してきたのも噂になっているし。それにね、あのおじいさんはこの辺りじゃ色々と有名よ。ええ、色々とね」

 色々の中身は聞きたくなかったので聞かなかった。

 そのままテーブルに案内され今に至る。


 落ち着いたら段々と周りが見えてきた。

 まず、乃木ローズさんはまぶしいくらいの美貌びぼうの持ち主。

 例えるなら欧州ヨーロッパ映画に出演していた女優のような。

 多少ウエーブのかかった金髪に青みがかった瞳。

 長身で品のある笑顔。

 黒いジーンズとベージュのフィッシャーマンズセーターという出で立ちにエプロンをかけている。 

 だけど気さくで話し好き。

 思わず時間を忘れて話し込んだ。


「確かあのおじいちゃんは海老鯛市の警察署長をお弟子さんにしていたそうだから交番に駆け込んでも望み薄ね」

「それは初耳。この辺じゃ有名なんですか?」

じゃみちへび

 そう言うと乃木さんは微笑んだ。


「でも安心して。この屋敷は人払いの結界が張ってあるから滅多に人はやって来ないはず。あなたのおじいちゃんも、ね」

「だけどオレは入ってこれたよ」

「うん、そうね。必死な人には効かないのかも。今後の課題にしてもっと研究せねば」

 乃木さんが言うには、猛犬注意とか防犯カメラ作動中なんて注意書きが人払いの結界になるそうだ。

「もちろん私が魔女でここが魔女の館という噂をわざと広めたのも結界の一種。気味悪がって訪ねる人は少なくなる」

「待って、すると乃木さんは魔女!?」

「ノン、私のことはローズ姉さんと呼んでくれるとうれしいな。ソフィと同じようにね」

「ソフィ?」

「私のたった一人の妹よ。一昨日から親戚の家に泊まりに行ってるから今日は会えなくて残念ね。ところで鉄ちゃんは今何歳?」

「5月で13歳になります」

「へえ、じゃあもしかしたらソフィと同じクラスになるかもしれないね。その時はよろしくね。だけど泣かしたら呪うわよ。魔女の呪いは強力なんだから。ちなみに私は二十五歳。ってどうでもいいか、ウフフ」

 ローズ姉さんはそう言うとまた笑った。


 このローズ姉さんはとにかくよく喋る人だった。

「私はね、お母さんがフランス人でお父さんが日本人なの」

 それからは話が止まらない。

 日本で生まれ日本で育ったから日本語は不自由なし。

 時々フランスで過ごしたりもするのよ。

 両親は現在、フランスでお仕事。

 私の職業は個人貿易商で主にフランスからハーブや雑貨を仕入れているの。

 それと時々、魔女として働いているんだから。

 簡単な占いや簡単な恋の魔術なんかでね。

 お母さんが魔女の家系なの。

 まだ修行中で見よう見まねだけどね。

 簡単な占いや簡単な恋の魔術なんかでね。

 でもあんまり派手にやると魔女狩りされちゃうから控えめに慎重に。


「ふう、さすがにしゃべりすぎて疲れちゃった。何か音楽をかけようか」

 ローズ姉さんはハーブティーをゴクリと飲み、スピーカーの方に向かった。


 ♬~ふんばれふんばれ、チータン。戦い終われば、戦い終われば、愛しいあの娘の胸の中で~♪

「あっ、この曲知ってる!」

「そう、『ふんばれ、チータン』の主題歌。フランスでも大人気だったんだから」


 この『ふんばれ、チータン』は社会現象になった格闘アニメ。

 マネをして怪我けが人が続出して問題にもなったけど、当時の子供はオレも含めてみんなマネをした。


 懐かしの主題歌を歌っていると、

「この歌には魔法がかかっているわ」

 とローズ姉さん。

「魔法? 本当に?」

「だって歌ったら元気になったでしょ。魔法っていうのは人の心に何らかの変化を起こす行為。ってちょっと難しかったかな」

「うん、確かに力が湧いてくるよ」

「じゃあ魔法がかかったのね。鉄ちゃんはちょっと前まではおじいさんに怯えていたはず。その変化をよく覚えておくといいわ」

 そうだ、じいちゃンのことをすっかり忘れていた。

 どうしよう。


「今、私の使い魔が知らせてくれたんだけどもうすぐ鉄ちゃんのおじいさんがここにやって来るわ。悪いことは言わないから一緒に帰りなさい」

「はい、そろそろ潮時しおどきですね。ハーブティーとイチゴのタルト、ご馳走様でした」

「ウフフ、また遊びにいらっしゃい。それとおじいさんは見た目よりも強くないわ。心は悲鳴を上げている。だからこれからもおじいさんを支えてあげてね」

「いや、そんなことを言われてもこっちはリアルな悲鳴を上げているわけで……」

 戸惑とまどっていたら扉が勢いよく開いて聞き慣れたダミ声が部屋に響いた。


「コラッ、魔女め。ワシの孫をかどわかそうとしてもムダじゃぞ。今すぐ鉄太を解放せい。老いてなおさかん。古強者ふるつわものあなどるでない」

 じいちゃンは全身を甲冑かっちゅう姿に包み、頭には兜をかぶり、手にはやたら長い刀(野太刀のだちというらしい)を持ってローズ姉さんに突きつけている。


「あら、丸腰まるごしの女性に刃物を突きつけるのを古強者というのかしら?」

 しかしローズ姉さんは余裕の笑みで切り返す。

 勝負あった!

 じいちゃンの負け。


「じゃかましいッ! 完全武装で挑むのはむしろ魔女を侮らずに敬意を払っているからこそよ」

 そう言いながらも野太刀はさやに納めるじいちゃン。

 さっきの一言が効いたらしい。


「ところで魔女ローズよ。魔女の秘薬づくりだか何だか知らないがあのニオイはどうにかならないもんかのう。臭くて臭くてたまらんわい」

「古強者白金一鉄さん。不動金縛りの練習だか何だか知らないけど、妙な気合いはやめてくれないかしら。儀式の妨げになるの」


 このまま帰れるかと思ったら嫌な雰囲気になってきた。

 一触即発いっしょくそくはつか!?


「本来なら成敗すべきじゃが今日のところは矛を収めてやるわい。カッカッカ」

 意外にもじいちゃンは笑い出した。

「迷惑はお互い様ですもの。今度出来上がった魔女の秘薬を差し上げるわ。ウフフ」

 ローズ姉さんも笑い出した。


「カッカッカ」

「ウフフ」

 オレも一緒に笑おうとしたけどそんな空気じゃなかった。

 だけどなぜ急にケンカをやめたんだろう?

 実は仲がいいから軽口かるくちたたける間柄あいだがら、なんてそれはないか。


 ローズ姉さんはオレの頬にキスをしてから、

「じゃあ、またね」

 とウインク。

 外に出てわかったのだが、じいちゃンの武家屋敷とローズ姉さんの魔女の館は隣り合っていた。

 もっとも距離は五十メートルほどあったけど。


「今日はもう鍛錬はなし。その代わりワシの話を聞け」

 家に着いてからじいちゃンが言った。

 てっきり無茶苦茶な修行が待っているかと思ったのに。

 だが修行よりツラい説教をたっぷりとイヤになるほど頂戴した。

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