とある修行の一日

 ・あり得たはずの日常生活

 朝七時半。

 父さんと母さんとオレ。

 東京山の手のマンション。

 テーブルの上にはリンゴと昨日の残りのビーフシチュー。

 軽くトーストしたフランスパンにバターを塗って口に入れる。

 目玉が二つのベーコンエッグに醤油をかけ、かぐわしいコーヒーを飲むと体がシャッキリとしてくる。

 家族みんなでテーブルを囲んで朝食を食べながら会話をしている。

「鉄太、中学生活は順調か? 新しいガールフレンドはできたのか?」

 父さんが話しかける。

「ケンカを売られても相手にしちゃダメよ。鉄太は鍛え方が違うんだから」

 母さんが注意をしてくる。

「うん、大丈夫。彼女ができたら紹介するし、ケンカだってもうしないよ」

 オレは答えた。

 いつも通りの穏やかな日々。


 アレ、でもなんかおかしいぞ!?

 だって今オレはじいちゃンの家で過ごしているのに。

 中学校に入学するのはもうちょい先なのに。

 夢なのかな?

 うつらうつらしていたら。

 殺気ッ!

 寝たまんまの姿勢でゴロゴロと横に転がる。

 直後、オレの寝ていた布団に竹刀が刺さる。

「ウム、よくぞ我が殺気を感じ取ったな。それでこそワシの孫よ。次からは竹刀ではなく木刀で襲うとするかの。カッカッカッ」

 じいちゃンは朝っぱらからゴキゲンで何よりだ。

 ちなみに今は午前四時。


「ねえ、じいちゃン。今日は日曜だろう。修行や鍛錬はお休みなんじゃないの?」

「バッカ者~ンッ! 公務員じゃあるまいし敵がカレンダー通りに襲ってくるもんか、タワケめッ! 戦や修行に休みなんかないぞ。月月火水木金金げつげつかすいもくきんきん、今日も鍛えに鍛えてやるから覚悟せい」

 そうだった。

 オレの現実は修業の日々。

 夢で見た風景とは大違いだ。


 ・早朝の素振り

 そのままの流れで洗面とトイレを済ませ、道着に着替えて道場へ。

 振り棒という棒をひたすら素振りする。

 鬼の持っている金棒を木製にしたような。

 野球バットをクソ長くしてクソ重くしたような形の棒。

 古流剣術ではお馴染みの鍛錬たんれん法だとか。

 スタミナに体幹や膂力りょりょくはもちろん、全身を使う感覚も養われるステキな修行。

 もう限界、というまで振るとようやく朝食にありつける。


 ・超能力

 ツラい稽古を終え道場を出ようとすると、じいちゃンの手がオレの肩をつかんだ。

「待った。鉄太の部屋は少し汚れていたぞい。今すぐに清掃と整理整頓に取りかかれ」

 と、ダミ声で命令。

 ああ、しまったと思いながら部屋へ走った。

 じいちゃンはよく言っていた。

「敵の不意打ちをかわすような危機を察知する超能力は確かにある。手っ取り早く身に付けるにはだ、部屋の掃除を徹底しろ。整理整頓もだ。道にゴミが落ちていたら拾え。異常に対する感性はそれだけで磨かれる。何事も凡事徹底ぼんじてってい

 オレとしては多少部屋が汚い方が人間らしくって好きだ。

 超能力なんか欲しくもない。


 ・不意打ち

 やっぱ前言撤回。

 敵の不意打ちをかわせる超能力はあった方がいい。

 なぜって。

 メシの最中に苦くて酸っぱい梅昆布茶をズズズと飲んでいたらまたもや殺気!

 じいちゃンの正拳突きを両腕でブロッキングすることに成功。

「不意打ちを避けるのだけは褒めてやろう」

 じいちゃンは少しだけ残念そうな顔をしている。

「食事中だよ、じいちゃン。マナーがなってないんじゃないの」

 さすがにたしなめた。


春秋しゅんじゅう時代の中国。の公子である慶忌けいき。この慶忌という人は常々こう言っていたらしい。『いつ如何いかなる時でも我が身を襲っても可なるべし』と。いつでもどこでもかかってきやがれ、という心意気はまことに天晴あっぱれ。ゆえに彼を狙う刺客しかくは手も足も出なかったそうじゃ。鉄太よ、お前も慶忌を見習うが良い」

 オレの注意を無視してじいちゃンは話し始めた。

「で、その慶忌さんは寿命まで生きられたの?」

「いや、要離ようりという名の知恵が回り覚悟を決めた刺客にやられちまった」

「えっ、それじゃ不意打ちに対する訓練はムダなんじゃ?」

「喝ッ! 修行や人生にムダなどないわッ! 男子たるもの常在戦場じょうざいせんじょうむねとし緊張感を決して絶やすな。これからは寝てる時はもちろん、トイレや風呂でも油断するなよ」

「うへぇ」

 ならばオレはいつどこで心と体を休めることができるのだろうか?


 ・鬼ごっこ

「う~ん、今日は日曜で天気もいい。たまには修行を休んでワシと遊んでみるか」

 大きく伸びをしながら腰帯こしおびに日本刀を差しているじいちゃンがおもむろにオレに向かって言った。

 ん、なぜ腰に日本刀が?

「鬼ごっこをしよう。今から十秒数える。ワシが鬼役をする。ただし真剣で容赦なく斬りつけるがの。さあ逃げろ、カッカッカ。い~ち、にぃ~い、さぁ~ん」

 じいちゃンは数えながら刀を鞘からスラリと抜いた。

 それを見た瞬間、ダッシュで逃げた。


 約一時間後……。

 畳の部屋で上半身裸になって座っているオレ。

「少し染みるが我慢せい」

 じいちゃンは酒を口に含むと背中の切り傷に“ブッ!”と酒を吐き出した。

「クッ」

 思わず悲鳴。

「後は軟膏なんこうを塗っておくか。こんなもんはツバをつけときゃ上等じゃがサービスしといてやる」

 じいちゃンは口では悪態をついているけど心のなかでは反省していると信じたい。

 とにかくのどはカラカラ、足は走りすぎてガクガク。

 もう鬼ごっこはゴメンだ。


 ・食卓のメニュー

 朝食は雑穀米が茶碗に一杯、豆腐とワカメの味噌汁、タクアンが三切れ。

 梅昆布茶が食卓に華を添えている。

「あの、オレは食べ盛りなんだけど。もしかしてこんだけ!?」

「そうじゃ。体についている余分な脂肪を落とさにゃならん。その段階が過ぎたら逆にイヤっていうほど食べにゃならん。ワシも同じメニューにするから我慢せえ」

 そう言われたら従うしかない。

 ただ腹が空いていたせいか、美味しく感じる。


 昼飯も朝とまったく同じ献立。

「ねえ、じいちゃン。もしかして晩飯もこんな感じ?」

「いや、さすがにワシも飽きてきた。なら晩飯は茶漬けにでもするかのう」

「賛成ッ! お茶漬け大好き。マグロ茶漬け、ウナギ茶漬け、フグ茶にウニ茶。ああ、楽しみだなぁ」

「わかった、シーフード系の茶漬けにしてやろう」

 じいちゃンだって人の子、孫が可愛いに決まっている。

 ああ、それなのに。

 晩飯はひじき茶漬けだった。


 ・北海道二人旅

「カッカッカ。そんなに落ち込むな、鉄太よ。明日は北海道に発つ。しばらく楽しむが良い。ワシからの中学入学祝いじゃ。わかったら旅の準備をしておけ。明日は早いぞ」

「ほっ、本当!? やったぁ~」


 北海道と言う言葉を口に出すだけでワクワクしてくる。

 函館ラーメン。

 札幌ラーメン。

 海鮮丼。

 イクラ丼。

 豚丼。

 石狩鍋。

 スープカレー。

 ザンギ。

 ジンギスカン。

 スキーにスノボ。

 温泉、露天風呂。

 じいちゃン、最高の入学祝いをありがとう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る