『土曜日〈1〉』
まだ
以前はミキも一緒だった。別荘での僕は一心不乱にキャンバスへと向う事ができ、ミキはそんな僕の為に
「こっちで暮らさないか」
と笑いながら本気とも冗談ともつかない言い方をして説得してはいたんだが、
「それでもココは不便過ぎるわ」
本音なのか
「ま、アナタが幸せなら別にいいけど」
と微笑みを付け加えながら、
「私の幸せも同じだから」
とコーヒーを
「ゴメンなミキ、こんな
そんな妻の方を見もせずキャンバスに集中しながらコーヒーを
「アナタは子供達と変わらないわ」
幼い頃のメイやジュンが別荘で遊んでいるのを見ながらミキは僕をそう形容したが、たまたまメイが聞いていて、
「メイは子供じゃないもん」
と口を
雨の中のメイやジュンを見ながら、子供なんだよ、と小さく
相変わらずメイはバタバタとSUV《エスユーブイ》ヘ荷物を入れている。逃げる別荘を追いかけているみたいだ。そう言えば車の運転は半年振りになる。あの日からSUVを動かしていない事に
丁度、後ろを見るとメイが荷物を入れ終わった所だったんだが、ん?、何か
「メイ、パパの荷物重くなかったか」
さりげなく関係のない事のように装いながら様子を
「あ、パパのバッグはソコの青いのに全部入れ替えておきましたけどぉ」
しまった、
「なんかさぁ、重くはなかったけどぉ、多かったんだよねぇ、クスリが」
ニヤニヤと
「文句は······ないよねぇ」
「······文句はありません」
しかし危ない所だった。こんな事もあるんじゃないかと、
「じゃあパパ、今度はポケットの中身をチェックするから出して」
我が娘はどうしてこんなに
「ヘヘっ、オ・ミ・ト・オ・シだよ」
いやもうまったく参りました。という訳で車のダッシュボードに
でもその時、メイの左手首に光る物が見えた。腕時計、僕のだった。ミキと僕とのペアウォッチだ。結婚1年目に少し無理して買った思い出の腕時計、見間違える筈がない。
「メイ、その時計は?」
子供へ喋る
「ん?コレ?」
と言ったかと思えばムッとした表情に変わり、メイは案外な
「この腕時計、パパがメイにくれたんじゃんっ」
僕が?
メイに?
ミキとの結婚記念の腕時計を?
いくらクスリでおかしくなっていても、そこまでバカな事はいくら僕でもしないと思う······待てよ、あげた気がしてきた。いつあげたんだ?それに何故、僕の方の腕時計を渡したんだろう。ミキのではなくどうして僕のを。
コレは思い出さなくてはいけない事なのに、クスリの所為なのか頭の中がゴチャゴチャとして
大丈夫なのか、僕は。あ、やっぱりヤバいなコレは。クスリを飲まなきゃもっとおかしくなる。
「パパ、そんな事まで忘れちゃってるの?」
メイの言葉に
「もうジュンも乗ったし後は別荘に着いてからにしようよ」
いつの間にかジュンは後部座席に乗っていた。メイも
だがなんだろう。この
別荘ヘ向かう道すがら、買い物をする為に小さなスーパーマーケットで車を停めた。雨は相変わらずだったが、郊外だからなのか雨粒は
SUVを駐車場に停めると、メイはジュンを連れてさっさと車を降りた。おそらくトイレだろう。僕はこの
スーパーマーケットで調達したいのは今日から月曜日までの約4日分の食料品だ。差し当たってはそれくらいで問題はなかろう。何か足りなければ車を出せばいい。
店内は
以前は、妻が元気だった頃には、ここのスーパーも明るい雰囲気があったように思う。いや、僕は細かな部分にまで
時期としてはスランプから抜け出す方法ばかりを思案していた頃と重なる。当時は自分の事ばかりしか考えていなかった。ミキが僕の不調をあれこれと
タイムマシンがあるならもう一度、そんな失敗をした時の
レジまでカゴに入った肉や野菜を運び、精算待ちをしているとメイが
「パパ、お
と言いながらレジ台に置かれたカゴの中身を見てメイはたじろいだ。
「うわぁ、やっぱりもういらない」
当然だが、お菓子だって子供が引くほどカゴに入れている。
「でもジュンのコレだけは買ってあげて」
いつの間にかメイの横に立っていたジュンが大事そうに持っていたのは、オマケのキャラクターシールが有名なチョコレート菓子。本当に久し振りに見た、懐かしい。確かにカゴの中には入ってなかった。僕はジュンに向かって笑いながら、いいよ、の意味で
ジュンは遠慮気味にオズオズとカゴの中へ、
「コラッ、危ないよジュン。パパごめん、ジュンの所へ行ってくる」
まるで母親みたいな心配をしながら、ジュンと同じように走っていくメイ。僕は二人の後ろ姿を店内から眺めながら、ほんのちょっぴりではあったが、幸福、というのを思い出していた。
ヤル気のない店員がぶっきら棒に精算金額を口にしてきたので、ほんのちょっぴりの幸福、を終了させられた僕は、
床の上に白くて小さな何かが目に止まったのはその時だ。僕がそっちに目をやっている中で店員は、
「すっげぇ······ブラックじゃん」
と僕のクレジットカードに感心
生きている。モゾモゾと床の上を
「君、床に蛆がいるよ」
冷たい言い方で店員に注意する。店に対するよりも目の前の店員への
「えっ、マジっすか?」
軽い口調からも店員の
「うわっ、ホントだ」
慌てて
「そっちのカゴはキャンセルだ。こっちを頼む」
いそいそと箒で蛆を取りながらも、流石に申し訳なさそうにレジを打ち直す店員。本来だったら他の店に行く所だが、悔しいのはこの店が文明の恩恵が得られる最終ポイント。仕方なしにレトルト食品やカップ麺で手を打つ事にした。
「······スンマセンした」
店員は愛想悪く謝っていたが、僕は何も言わずに店を出て子供達の待つ車へと向かった。
「遅かったね、何かあったの?」
既に車に乗っているメイは呑気に聞いてきたが、僕はやはり無言でエンジンをかけ発進させた。店が見えなくなり運転もあってか気持ちも少し落ち着いたので、やっとメイに事情を説明できた。
「噓っ、マジで?」
メイも言葉少なく驚いている。
「だから肉も野菜も全部返してきたんだ」
「それでカップラーメンとかレトルトのカレーばっかなんだ」
メイはガサガサとビニール袋の中を漁っている。
「あれ?パパ、ジュンのチョコは?」
あっ、しまった、うっかりしていた。ジュンが後で入れたチョコレート菓子を忘れていた。
「ごめんジュン、引き返すか」
だけど言った瞬間に感情は
「どうするジュン、さっきのお店に蛆虫がいたんだって。汚いかもよ、チョコ」
メイは僕の雰囲気を察してくれたのか、やんわりとチョコを諦めるように言うと、ジュンは
「パパ、ジュンはもういいみたい。そんなに気にしなくても大丈夫だよ」
メイは気を
「すまないメイ、パパ、クスリを飲んでいいかな」
「しょうがないなぁ、今日はあと2錠しか飲めないよ」
本当に余分に隠し持ってきて正解だった。さっき飲んだばかりだけど関係ない。メイに僕の
SUVは緑の中を走っていた。
しかしメイとこんな風に会話するのなんていつ以来だろうか。記憶の限りではミキが自殺してからはなかったし、それ以前のミキが精神を
メイが奇妙な話をし始めしたのはどのタイミングだったかまでは思い出せない。僕が昔の事ばかりを考えていて意外と
「そんな事言うんだったらパパ、こんな話もあるの知ってる?」
みたいな流れから始まったような気もするので、僕の返事が余程に的を外した内容だったのは間違いない。
「さっきのスーパーの蛆なんだけど、虫がいるのって実は安全な証拠なんだよ。今の食べ物って殆どに沢山の
中学生が話すテーマにしては些かダークなモノではないだろうか。
「誰からそんな話を聞いたんだ」
テレビ、と
その時、唐突に電子音が響いた。
「もうこんな時間」
メイが腕時計のアラームを止めながら少し
「パパ、お腹空いたしちょっと眠い」
どちらか一つに選べないのか、心の中で笑う。お
「別荘に着いたら起こして」
と伝え終えると、メイは座席を後ろへと倒した。
「判った」
静かに答えた僕。メイはそのまま何も言わずに、僕の腕時計を大事そうに誰にも取られないように右の
それでもジュンは、外の緑を見ているだけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます