第3話 狂気

 梅が嫌いだ。

 身も蓋もない話になるが、父親の郷里きょうりが梅で有名な所で、シーズンになるとまだ干してないさおな梅がこれでもかと届き、シーズンオフには漬け終わったな梅干しが大きなびんでしこたま送られてくる。実家は年に二回、必ず梅にまみれた。

 青い梅の方はそのままよく洗い、表面を天日で軽く乾かしたら口の大きなびんめて一緒に蒸留酒じょうりゅうしゅを入れる。後は氷砂糖を思っている以上にドッサリ入れて大体3ヶ月待てといったところか。梅酒ができあがる。

 こういうのは大人がたしなむ為に作られるモノだと思われるだろうけど、父親が梅の熱狂的ねっきょうてき信奉者しんぽうしゃだったので何かあれば、

「梅は元気のみなもとだぞ」

 と、まだ子供だった僕に梅酒を飲ませていた。必然ひつぜん、身体によい事などあまり無く、アルコールに弱い子供なのだから時折、もどしていた。なのに父親は、

「いずれは慣れるもんだ」

 と、バカの一つ覚えで目の前の子供が嫌がっているのに気付こうともしなかった。体調を崩せば梅酒を与え自己満足を繰り返す姿は、今の世の中なら虐待だと通報される事案だ。

 また送ってきた梅干しの方も、塩分がこれでもかと濃いめで漬けてあったので、子供の口に合うはずがない。紫蘇しそとの相乗効果も相俟あいまってあごが吹っ飛ぶっぱさだった。

 流石さすがに母親は、子供向きではない、と気付いてくれたみたいだが、昭和の家庭とは父親の権力が幅を利かせているものなので、どうしても毎食に1個は食べなくてはならなかった。

 これがなかなかの苦行で、余りの塩辛さと酸っぱさに、ウッ、となってしまい、父親ににらまれるなんて事も多かった気がする。勿論もちろんだがしかられもしたし、手も飛んできた。

 僕の食が細くなったのを心配した母親は、送られてきた大量の梅干しをコッソリ捨ててくれたのだが、

「おい、梅干しはどうした?」

 との父親の質問に、

「もう全部食べましたよ」

 素知そしらぬ顔して答えた母親ヘ、

「そうか、じゃあまた送ってもらうか」

 との返答。どうやら郷里の梅干しストックは常識的な量では無かったようで、母親もあなどっていたらしい。それ以来、母親は梅干しを捨てなくなり、逆にあまり酸っぱく無い梅干しをコッソリ買ってくるようになった。食べられない僕の為の苦肉くにくの策である。母はそこまでしてくれたというのに、私は梅そのものがどうしても好きになれなかったのだ。


 小学生の低学年だったか、私は学校でイジメにあっていた。

「オマエんちの前を通るとっぺぇんだよっ」

 子供のボキャブラリーは悪意が希薄な分だけ直球で届く。昔のイジメなんてのはこんなんだったが当時の私にはそれなりのダメージがあり、泣きながら家に帰った記憶しか残っていない。まぁ今となって考えてみれば、子供とは面白い発想をするもんだ、ぐらいで笑い話になるんだろう。単純に梅が沢山届く家だから、酸っぱい家、となったに違いない。相変わらず送られてくる梅を、母親がご近所にせっせと配っていたのがあだとなった訳だ。私の梅嫌いがブーメランのように回りに回って帰ってきたかと思うと、梅の存在が忌々いまいましく感じてならなかった。

 イジメていたヤツがどうなったかまでは知らない。私が小学校を転校してしまったからだ。これも梅に関する嫌な出来事の一つと数えていいだろう。


 中学高校大学と、私はとことん梅から逃げる生活を送っていた。オニギリの具なんてもってのほか、コンビニなんかじゃ弁当コーナーには近寄りもしなかった。当然、昼食は一人で食べている思い出しかない。友人も私の梅嫌いを知っていたので昼食の時だけは気を利かせて放っといてくれた。どうやら私は梅を見るだけで機嫌が悪くなるらしい。そう優しく指摘してくれた当時の彼女の顔が思い出せないのだが、理由はよく判らない。まぁ、悪い別れ方はしていないつもりなので、あまり考えないようにはしている。


 結婚して一番最初に妻と喧嘩けんかした原因も梅干だった。

「俺は梅が嫌いって前に言ったよなっ」

「何よっ、そんなの初めて聞いたわ。何処どこの女と勘違かんちがいしてるのよっ」

 手作り弁当に入れてくれたカリカリ梅1個で、新婚2ヶ月目に危うく離婚するトコロだった。この一件以来、我が家からは梅と名の付く物が一つもなくなった。

 子供が生まれて幼稚園に通い始めると、妻が僕に相談してきた。

「ねぇ、今日幼稚園でね······」

 娘が友達のオニギリの中にあった梅干しを見かけたらしい。帰ってきた娘の第一声が、あの赤いの何?、だったとか。

「あなた、食育しょくいくって知ってる?」

 言葉としては知ってはいたが、果たして必要な事なのかは理解してなかったと思う。

「別にどうしてもアレを食べなきゃいけない訳じゃないだろ。なんなら世界の三大珍味を今から食べさせでもするのか?」

 この言い方がどうも気に入らなかったらしく、

「どうしてウチの子だけ梅干しを知らないって言われなきゃいけないのっ」

 今でもこのりの何が地雷じらいだったのかわかっていないが、2度めの離婚の危機もやっぱり梅干しだった。

 そういえば、会社の新人歓迎会でも私に梅酒を飲ます飲まさないで気まずくなった事もあったっけ。たかだか梅酒一杯で、出世街道からエスケープしそうになった事もあった。たまたま人事部長が会社を辞めたから良かったものの。

 かく、僕が人生経験を積めば積むほど梅との相性の悪さが如実にょじつになり、嫌いで仕方無くなってしまった。今では視界に赤か青の球型の物体が入るだけで、関節が固まり筋肉が痙攣けいれんしてしまう。酷い時は記憶が無くなる事もあった。どうしてこんなにも梅に対して悪意を持ってしまったのか、と自分をあきれるしかなかった。まったく、誰か笑い話にでもしてくれ。


 娘も成長し、朝早くに起きては自分の弁当を作り始めた頃、僕の弁当まで、「一緒に作ったから」と笑いながら用意してくれるようになった。

 まったく、よく出来た娘に育ってくれたもんだ。妻の教えを守っているのか、弁当には梅干しの「う」の字も見当たらない。

「外食で済まさないでよね。来年は大学受験なんだよ。お金かかるんだから」

 と少したしなめるように言う娘に、

「少しはいい大学に行って学費を少なくしようとは思わないんだ。母さんが聞いたらどう思うか」

 ふと、娘の表情が暗くなった。どうにも一言ひとこと多く言ってしまうのは僕の悪い癖のようだ。謝りつつも逃げるように会社へと向かった。今日の弁当にも勿論もちろん、梅干しは入っていない。


 娘の恋人を紹介されたのは就職して間もない5月の20日だった。緊張した面持おももちで挨拶あいさつする好青年を見て、ふと自分の時の事を思い出していた。いつの時代もこんな感じなんだな、となつかしんでいると、

「あの、出身ってもしかして······」

 青年の口にしたのは僕の父親の郷里だった。

「いや違うよ、でも父がそこの生まれだけどね」

 余計な一言を口にしてしまうのは今も治っていない。藪蛇やぶへびな発言、この感じは久し振りの嫌な予感だ。

奇遇きぐうですね、うちの父も同郷どうきょうですよ」

 爽やか過ぎる笑顔と一緒に語る青年は、予想通りのあの話題を出してきた。

「梅が有名ですよね」

 横で娘も、初耳だわっ、みたいな顔をしている。僕もその時、どんな表情をしていたか判らないが、一瞬にして青年の顔色が苔のようなモスグリーンになったので、それなりの複雑な面相めんそうをしていたに違いない。

 青年が帰ったあと、かんはつを入れずに娘が、

「ゴメン、お父さんっ。許してあげて」

 と、涙ながらに謝ってきた。

「別にお前が謝る話じゃないだろ」

 ま、口ではそうは言ったものの内心は逆であり、そういう大切な部分をどうして最初に相手へ説明しておかなかったのか、と思っていた。

 娘は相手の事を好きみたいだったが、梅絡みはもう正直コリゴリなんだ。


 母親が倒れたとの連絡を受けたのは、娘がとついで半年がたった冬だった。この所、あまり元気ではなかったので心配していた矢先の出来事だ。娘は直ぐには駆けつけられないとの事だったので、僕だけが深夜の寒い病院へと急いだ。病室に着くと何本もの管が腕に刺さった母親がベッドで眠っていた。

「あまり長くは無いです」

 医師が冷たくそう言ったのをよく覚えている。母親は娘をとても可愛かわいがってくれたので、何とか朝まで持って欲しかった。娘も、玄孫やしゃまごが見せれるかも、と喜んでいたのに。

「······母さん」

 横に立ってつぶやいた。指に触れるととても冷たかった。こんなに冷たい母の手を僕は知らない。医師が言うにはがんらしい。僕らには黙っていたという事だ。心配を掛けさせまいとした配慮かもしれないけど、息子の僕だけは何となく予感があった。

 医師と看護師が病室を出ていなくなったのを確認したかのごとく、母親は目を覚ました。唇を戦慄わななかせながら何かを言おうとしているみたいだった。もしかしてこれが最期の言葉になるかもしれない。咄嗟とっさに母親の口元に耳を近付けると、やはり何かをつぶやいている。

「······もう······やっちゃ·······ダメだからね······」

 意識が朦朧もうろうとしているのか、まるで子供に言い聞かせるように母親は言葉をこぼしていた。

「どうしたんだい母さん、しっかりしてくれ」

 一言でも感謝の気持ちやいたわりの言葉を掛けてあげなきゃいけないのに、僕はどうしても何かがいつも足りない。言葉を見つけられなくなる。

 母親の口がまたモゴモゴとさせ始めたので、あわてて再び耳を寄せた。すると突然、

「これアンタ、よく聞きなさいっ」

 今までとは明らかに毛色の違う強いトーンの声に変化した。

「アンタもう、これ以上······人殺しはしちゃいかんよっ」

 何の話なのか、病床びょうしょうの母親は一体誰に話をしているつもりなのだろうか。真面目で優しい母親の口からまさか、人殺し、なんてワードが飛び出した事に、僕は動揺していた。

「アンタ、今まで何人殺したんよ。その度に母さんが遺体いたいを始末したんやよ。覚えとらんかもしれんけど、父さんも小学生の時の友達も高校の時の彼女もアンタの奥さんも会社の上司も娘の連れてきた恋人も、全部アンタが殺したんやよっ」

 私の母親は何を言っているのだろうか。今際いまわきわに錯乱でもしているのか、それとも昔の記憶が混乱しているだけなのだろうか。

 ん?混乱?昔の記憶が?

 その時、私の記憶も一緒に混乱し始め、心の奥の黒い沼の底に直隠ひたかくしにしていた記憶を引っ張り出してしまっったっ、たたった。たたあああううぁぁァァァ······


 そういえば、梅干しばかりを食べさせる父親の梅干しへ、細かく砕いた睡眠薬すいみんやくを入れた記憶があるなぁ。睡眠薬は横柄な父親の言動にノイローゼ気味だった母親が服用していたのを使ったんだっけ。眠った所を首を狙って包丁ほうちょうで突き刺したのは今まで夢だと思っていた。

 小学校の同級生をどうしても許せず、部屋に招き入れて心臓辺りを刺したのは私だった。私の母親が白い顔で立っている記憶がある。その後、母親にも手伝ってもらってトドメを刺したんだ。まさか、イジメっ子がイジメている相手の家に行くとは考えられず、行方不明扱いになったんだっけ。だから怪しまれる前に逃げるように転校したんだ。

 高校の彼女は何かと偉そうに叱ってくるので頭にきて殺した。私の部屋でやはり母親に手伝ってもらいながらバラバラにして一日掛けてでたんだ。茹でると肉が簡単に骨から外れるんだよ。父親の時からやっていた母親の知恵だった。

 妻は食育だどうのこうのだとうるさかったから、その場で刺したんだっけか。そういや娘も見ていたなぁ。

 人事部長も刺したのは僕だわ。てっきり会社を辞めたと思ってた。帰り道を待ち伏せして滅多刺めったざしにしたんだった。

 娘の恋人も僕だったな。娘が泣いて頼んだのはそういう事か。もう刺した後だったから今更だったんだよなぁ。

 きっと他にもまだいるんだろうけど、どうしてもハッキリとは覚えていないんだ。多過ぎたのかもしれないなぁ、と死にゆく母親を目の前にして反省をしていた。


「母さん、俺、梅が嫌いなんだよ」

 私は少し自分を落ち着かせてから一つ大きく息を吐き、そう言い訳をした。

「ああ、分かっちょる、分かっちょるわっ」

 母親は泣きながら、でもかぼそく返事した。

 僕が誰かを殺すたびに母親が全ての死体を始末してくれた。それに途中からは、娘も一緒に死体の後始末を手伝っていたような気もするんだけど。

「お前の父さんは病気なんやから仕方無いんやよっ」

 と、普段は優しいお婆ちゃんが罵声ばせいを響かせるその下で、爽やかだった青年の死体を抱きながら、狂ったように泣き叫ぶ娘の姿がよみがえる。

 そうか、私は病気だったんだ。

「······もう······アカンから······やっちゃ······」

 そう言い終えると母親はもうしゃべる事は無かった。取り敢えず、娘が着くまでは生きていたけど、それを待っていたかのように母親は安心して息を引き取った。娘は母親の遺体にすがって泣いていたが、爽やかだった青年の時よりも長く泣いていた気がした。


 母親の葬式もとどこおりなく終わり、自宅の台所で娘と二人きりでお茶をすすっていると、不意に娘が、

「お父さん、もうダメだよ、殺しちゃ」

 その言い方があまりにも普段の何気ない会話みたく平凡に聞こえてしまったので、僕も思わず、

「あぁ、もうとしだしなぁ······」

 などと頓狂とんきょうで場違いな返事してしまった。娘が、クス、と笑ったような気がしたので、きっともうこれ以上は殺す事はしないと思う。母さんもいなくなってしまった事だし。


 梅が嫌いだ。今でも視界に赤か青の球型の物体が入るだけで、関節が固まり筋肉が痙攣けいれんしてしまう。ひどい時は記憶が無くなる事だってあるんだ。




【TITLE】『狂梅の詩』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る