第3話 狂気
梅が嫌いだ。
身も蓋もない話になるが、父親の
青い梅の方はそのままよく洗い、表面を天日で軽く乾かしたら口の大きな
こういうのは大人が
「梅は元気の
と、まだ子供だった僕に梅酒を飲ませていた。
「いずれは慣れるもんだ」
と、バカの一つ覚えで目の前の子供が嫌がっているのに気付こうともしなかった。体調を崩せば梅酒を与え自己満足を繰り返す姿は、今の世の中なら虐待だと通報される事案だ。
また送ってきた梅干しの方も、塩分がこれでもかと濃いめで漬けてあったので、子供の口に合う
これがなかなかの苦行で、余りの塩辛さと酸っぱさに、ウッ、となってしまい、父親に
僕の食が細くなったのを心配した母親は、送られてきた大量の梅干しをコッソリ捨ててくれたのだが、
「おい、梅干しはどうした?」
との父親の質問に、
「もう全部食べましたよ」
「そうか、じゃあまた送ってもらうか」
との返答。どうやら郷里の梅干しストックは常識的な量では無かったようで、母親も
小学生の低学年だったか、私は学校でイジメにあっていた。
「オマエんちの前を通ると
子供のボキャブラリーは悪意が希薄な分だけ直球で届く。昔のイジメなんてのはこんなんだったが当時の私にはそれなりのダメージがあり、泣きながら家に帰った記憶しか残っていない。まぁ今となって考えてみれば、子供とは面白い発想をするもんだ、ぐらいで笑い話になるんだろう。単純に梅が沢山届く家だから、酸っぱい家、となったに違いない。相変わらず送られてくる梅を、母親がご近所にせっせと配っていたのが
イジメていたヤツがどうなったかまでは知らない。私が小学校を転校してしまったからだ。これも梅に関する嫌な出来事の一つと数えていいだろう。
中学高校大学と、私はとことん梅から逃げる生活を送っていた。オニギリの具なんて
結婚して一番最初に妻と
「俺は梅が嫌いって前に言ったよなっ」
「何よっ、そんなの初めて聞いたわ。
手作り弁当に入れてくれたカリカリ梅1個で、新婚2ヶ月目に危うく離婚するトコロだった。この一件以来、我が家からは梅と名の付く物が一つもなくなった。
子供が生まれて幼稚園に通い始めると、妻が僕に相談してきた。
「ねぇ、今日幼稚園でね······」
娘が友達のオニギリの中にあった梅干しを見かけたらしい。帰ってきた娘の第一声が、あの赤いの何?、だったとか。
「あなた、
言葉としては知ってはいたが、果たして必要な事なのかは理解してなかったと思う。
「別にどうしてもアレを食べなきゃいけない訳じゃないだろ。なんなら世界の三大珍味を今から食べさせでもするのか?」
この言い方がどうも気に入らなかったらしく、
「どうしてウチの子だけ梅干しを知らないって言われなきゃいけないのっ」
今でもこの
そういえば、会社の新人歓迎会でも私に梅酒を飲ます飲まさないで気まずくなった事もあったっけ。たかだか梅酒一杯で、出世街道からエスケープしそうになった事もあった。たまたま人事部長が会社を辞めたから良かったものの。
娘も成長し、朝早くに起きては自分の弁当を作り始めた頃、僕の弁当まで、「一緒に作ったから」と笑いながら用意してくれるようになった。
まったく、よく出来た娘に育ってくれたもんだ。妻の教えを守っているのか、弁当には梅干しの「う」の字も見当たらない。
「外食で済まさないでよね。来年は大学受験なんだよ。お金かかるんだから」
と少し
「少しはいい大学に行って学費を少なくしようとは思わないんだ。母さんが聞いたらどう思うか」
ふと、娘の表情が暗くなった。どうにも
娘の恋人を紹介されたのは就職して間もない5月の20日だった。緊張した
「あの、出身ってもしかして······」
青年の口にしたのは僕の父親の郷里だった。
「いや違うよ、でも父がそこの生まれだけどね」
余計な一言を口にしてしまうのは今も治っていない。
「
爽やか過ぎる笑顔と一緒に語る青年は、予想通りのあの話題を出してきた。
「梅が有名ですよね」
横で娘も、初耳だわっ、みたいな顔をしている。僕もその時、どんな表情をしていたか判らないが、一瞬にして青年の顔色が苔のようなモスグリーンになったので、それなりの複雑な
青年が帰ったあと、
「ゴメン、お父さんっ。許してあげて」
と、涙ながらに謝ってきた。
「別にお前が謝る話じゃないだろ」
ま、口ではそうは言ったものの内心は逆であり、そういう大切な部分をどうして最初に相手へ説明しておかなかったのか、と思っていた。
娘は相手の事を好きみたいだったが、梅絡みはもう正直コリゴリなんだ。
母親が倒れたとの連絡を受けたのは、娘が
「あまり長くは無いです」
医師が冷たくそう言ったのをよく覚えている。母親は娘をとても
「······母さん」
横に立って
医師と看護師が病室を出ていなくなったのを確認したかの
「······もう······やっちゃ·······ダメだからね······」
意識が
「どうしたんだい母さん、しっかりしてくれ」
一言でも感謝の気持ちや
母親の口がまたモゴモゴとさせ始めたので、
「これアンタ、よく聞きなさいっ」
今までとは明らかに毛色の違う強いトーンの声に変化した。
「アンタもう、これ以上······人殺しはしちゃいかんよっ」
何の話なのか、
「アンタ、今まで何人殺したんよ。その度に母さんが
私の母親は何を言っているのだろうか。
ん?混乱?昔の記憶が?
その時、私の記憶も一緒に混乱し始め、心の奥の黒い沼の底に
そういえば、梅干しばかりを食べさせる父親の梅干しへ、細かく砕いた
小学校の同級生をどうしても許せず、部屋に招き入れて心臓辺りを刺したのは私だった。私の母親が白い顔で立っている記憶がある。その後、母親にも手伝ってもらってトドメを刺したんだ。まさか、イジメっ子がイジメている相手の家に行くとは考えられず、行方不明扱いになったんだっけ。だから怪しまれる前に逃げるように転校したんだ。
高校の彼女は何かと偉そうに叱ってくるので頭にきて殺した。私の部屋でやはり母親に手伝ってもらいながらバラバラにして一日掛けて
妻は食育だどうのこうのだと
人事部長も刺したのは僕だわ。てっきり会社を辞めたと思ってた。帰り道を待ち伏せして
娘の恋人も僕だったな。娘が泣いて頼んだのはそういう事か。もう刺した後だったから今更だったんだよなぁ。
きっと他にもまだいるんだろうけど、どうしてもハッキリとは覚えていないんだ。多過ぎたのかもしれないなぁ、と死にゆく母親を目の前にして反省をしていた。
「母さん、俺、梅が嫌いなんだよ」
私は少し自分を落ち着かせてから一つ大きく息を吐き、そう言い訳をした。
「ああ、分かっちょる、分かっちょるわっ」
母親は泣きながら、でもか
僕が誰かを殺すたびに母親が全ての死体を始末してくれた。それに途中からは、娘も一緒に死体の後始末を手伝っていたような気もするんだけど。
「お前の父さんは病気なんやから仕方無いんやよっ」
と、普段は優しいお婆ちゃんが
そうか、私は病気だったんだ。
「······もう······アカンから······やっちゃ······」
そう言い終えると母親はもう
母親の葬式も
「お父さん、もうダメだよ、殺しちゃ」
その言い方があまりにも普段の何気ない会話みたく平凡に聞こえてしまったので、僕も思わず、
「あぁ、もう
などと
梅が嫌いだ。今でも視界に赤か青の球型の物体が入るだけで、関節が固まり筋肉が
【TITLE】『狂梅の詩』
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