17-2 ~ 強制シャットダウン ~


「……あ、あれ?」


 我が正妻ウィーフェたるリリス嬢が目を覚ましてそう呟くのを、俺は安堵の溜息と共に見守っていた。

 当たり前の話ではあるが、今の俺はしっかりと証拠隠滅を終えており……要するに服を整え終えているし、顔を洗い涙の痕すらも消し去っている。

 正直、嬉し涙なんて記憶にある限り生まれて初めての経験であり……彼女がぶっ倒れる姿を目の当たりにして血の気が引いた直後、頬を伝う感触に気付き思わず驚きの声を上げてしまったくらいである。

 尤も、俺の記憶は今一つあてにならないので、本当に生まれて初めてだったかの確証はないのだが。


 ──証拠隠滅が間に合って良かった。


 幸いにして、俺の社会人経験はそれなりに長く、そのお陰で外面と体裁を整える技量だけは随分と鍛え上げられていた。

 彼女が気を失っていた僅か2~3分の間に、急速モードの微細泡浴で全身を洗い……使えなかった微細泡浴が俺の身体に付着していた精液が渇いて死滅した段階で普通に使えるとの通知がBQCO脳内量子通信器官経由で届いたのは、まさに地獄の中で蜘蛛の糸が下りて来た気分だったが。

 兎も角、彼女が目覚めるまでの間に、身体を洗浄して服までも着替え終えたこの早業は、恐らくこの未来社会の男性では誰一人として真似できないという自信がある。

 残念なことに、これからの人生において二度と使う場面など訪れないだろう技術ではあるのだが。


「えっと、何かを見た、ような……」


「気のせいだ、それよりも……」


 目覚めたばかりで思考回路が現実に追いついていない我が正妻ウィーフェ様の呟きを、俺は強い口調でさっさと断ち切る。

 ……彼女が倒れる前の記憶を思い出させないように、という意図からの行動であって、何か言いたいことがあった訳ではないが。

 それでも、取り合えず一度口を開いてしまった以上、何か言葉を続けなければならない。


「……あ~、その、なんだ。

 最近よく倒れるけど、何か持病でもある、の、か?」


 結局、脅迫観念に駆られて開いた俺の口から出て来てしまったのは、少しばかりデリカシーに欠けるだろう、そんな質問だった。

 あまり人の持病など口にするべきではないのだろうけれど……何も言わずあのまま固まっているよりはマシ、だろう。


「えっと、あの、その……

 実は、その、以前にその、あの、出来心で……その時に、その……」


 俺の問いに対するリリス嬢の応えはそんな要領を得ないものであり……何を言っているのかさっぱり分からなかった俺は、理解できる言葉が彼女の口から紡がれるまで待つのを早々に諦め、BQCO脳内量子通信器官を用いて彼女の状態について検索をかける。


 ──意識の強制シャットダウン設定?

 ──一定値の性的興奮を検知した際?


 この優れまくった未来の検索システムはどうやら他人のステータスも見えるようで……正妻ウィーフェ様の身体について色々と検索をしてみた結果、脳みそ付近に現れたそんな表記に俺は首を傾げる。

 ついでに言うと、腰付近に「7日前排卵」とか「出産未経験」とか、挙句にはスリーサイズや身長体重まで見えたのだが……その辺りは流石に見なかったことにする。


「ああ、なるほど」


 そうして彼女の脳みそに何が起こっているかを考えた俺だったが、7秒ほど考えた後にようやく納得の声を上げていた。


 ──設定したのは、木星戦記で遊んだ翌日……何があったっけか?

 ──そう言えばコイツ、俺を押し倒したの、自殺未遂するくらいに気にしてたっけか?


 被害者である俺的には、さほど気にすることもない……というか既に記憶の片隅にも残ってないほどのイベントでしかなかったのだが、彼女にとってはそうではないらしく。

 この生真面目な正妻ウィーフェ様はあの日から「性的興奮がある一定の閾値に達する」と「意識の強制シャットダウンを繰り返していた」ことになる。


 ──気絶しやすいとは思っていたけど、なぁ?


 まさかオチ要因程度にしか思っていなかった彼女の気絶に、こんな裏側があったとは……そもそもBQCO脳内量子通信器官を用いて意識を調節するなんて発想のなかった俺に思い当る訳もなかった。

 一応、リリスも俺の前でばたばた気絶したのを反省はしているようで、BQCO脳内量子通信器官による検索の続きを見てみると、気絶設定値がじわじわ甘くなったり厳しくなったりと微調整を行っているようではある。

 と言うより、今までコレに気付かなかった自分が如何に甲斐性がないかと責められる気分になってしまうのは……「男が女性の機微を察しなければならない」とかいう、21世紀前半の性差別の一種、だろうか?

 実際のところは、女性相手にプロフィール検索が可能という事実を今初めて知っただけであって、彼女に興味がなかった訳ではないのだが。


「……なぁ、これ、必要か?.」


 正直な話、俺としては正妻ウィーフェ相手に何かする度、気絶されるのも鬱陶しいし、そもそもこんな要らんシステムがあれば、今後一切彼女といちゃつくことすら不可能……要するに、リリス嬢からミスの文字を取り除くことも出来ない訳だ。


「……はぁ、あ、ぁ?

 ぁふん」


 俺の純粋なその問いは、金髪碧眼の正妻ウィーフェ様の性的興奮値を一定以上に押し上げる効果を持っていたらしく……またしても彼女は意識を失って床へとぶっ倒れてしまう。

 正確には床ではなく床上5cmだった訳だが……取りあえずその場で崩れ落ちても怪我をしない社会ってのも心配する必要がなくて気が楽というか、危機感を完全に失ってしまい、人類全員が飼い慣らされたハムスターのような惰弱な生き物に成り下がってしまいそうであるが。

 それでも今は、この過保護な未来社会の行く末について思い悩む場面ではないだろう。


「……って、何だこりゃ?」


 そうしておおかみの前で気を失った金髪碧眼の美少女をどうしてやろうかとじっくり眺めていた俺は、BQCO脳内量子通信器官を経由した検索結果にがあることに気付く。

 それは、「気絶解消までの時間設定」という訳の分からない項目で……見た覚えもないソレは、彼女のプロフィールデータにくっついている。


「……まさか、人の意識まで操れる、のか?」


 思わずそう呟いてしまった俺は、ものの試しと眼前の仮想モニタから彼女の気絶解消までの時間設定を触れるか、指を延ばしてみたのだが……事実、その数値はある程度好き勝手に出来るようで、3時間までは何のペナルティもなく延長できるようだった。


 ──どうなってんだ、未来社会っ!


 俺はこの未来社会における女性の人権について、もう一度冷静に社会全体で考えて欲しいと、胸中で切実な叫びを上げるのだった。


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