第十七章 「情報漏洩」

17-1 ~ 歓びの歌 ~


 その日、目を覚ました俺が最初に思ったことは、「どうやってこの不快な下着を洗おう?」という至極当然の疑問だった。

 21世紀男子としては当たり前の話なのだが、この股間の不快さ……夢精なんてものを数十年ぶりに味わった時、まず考えるのはだろう。

 寝起きだったこともあり、俺は深く考えることなくBQCO脳内量子通信器官を経由して微細泡浴を起動……最近になってようやく慣れて来た「室内で身体を洗う」という行動を選択する。

 ……だけど。


 ──エラー、だと?


 BQCO脳内量子通信器官経由で返って来たメッセージは、『微細泡浴が実行できない』という冷酷無比な現実を突き付けて来る。

 何かの間違いだと思い、BQCO脳内量子通信器官経由で再度微細泡浴を起動してみたのだが、やはり結果は同じだった。


「……何で、だ?」


 身体の洗浄が出来ないという結論に納得できない俺はそう呟き、何とかして下着の不快感を消そうと考えるものの……

 寝起きで頭が回っていないのを除いても、これは「技術に慣れ切ってしまった未来人特有の悩み」と言えるだろう。

 21世紀では当たり前のように行っていた、替えの下着を取り出して濡れた下着を洗濯機もしくは洗面台で洗う……その通常のプロセスすら思い出すのに約100秒もの時間を浪費してしまったのだから。


 ──慣れって怖いなぁ。


 便利さに慣れ過ぎた弊害を今さらながらに感じつつも、俺はそう溜息を吐き出しながら、パンツを脱ぎ捨て……上手く濡れた側が下に向かないようして、パンツを放棄、ベッドの横にあるクローゼットから新しいパンツを取り出して足を通す。

 本当ならば放出後でべたべたしている股間も洗浄したいところなのだが……何故かエラーが起こる以上、仕方ないと諦める。

 そうして下半身パン1のまま、夢精について一応は解決したと判断した俺は、脱ぎ散らかしたままの下着を眺め……


「……さて、コレを、どうやって処分する?」


 ……現実逃避的に、そんな呟きを零していた。

 何しろ、ベッドに寝転がりながら微細泡浴が可能で、服のみの洗浄はクローゼットの中に置いておけば全自動で完了……そもそも手を洗おうにも洗面台そのものがない未来社会において、パンツを手動で洗う状況そのものがあり得ない。

 全自動故の不便、というヤツだろうか。

 今の俺は「洗いたいものを個別に、手動で洗うこと自体を文明そのものが想定していない」という訳の分からない不都合に遭遇していた。

 そうしてパンツの端っこを指で摘み、何処へ持っていこうかと悩み続け、ただ立ち尽くすこと15秒間。

 困った俺は、取りあえず未来人らしい行動を……要するにBQCO脳内量子通信器官で検索することにしたのだ。

 他に手が思い浮かばなかっただけ、とも言うが。


 ──「精通」「パンツ」「処分」っと。


 そんな検索をしかけた結果、出て来た候補の殆どが、女性側のエロ後の賢者モードっぽい代物だったのは置いておいて……

 そういう今不要なエロ系情報を除外してやれば、欲しい結果はすぐさま出て来てくれた。


 ──精子検査のため、提出義務、なぁ。


 どうやら精通直後の精子については、洗面台で洗うのではなくこのままクローゼットに投棄するだけで、後は全自動で精子の検査を行ってくれる、らしい。

 ……何をどうやったら濡れたパンツから精子と下着成分とを分離するのかはさっぱり分からなかったが、まぁ、俺が今現在進行形で使用しているBQCO脳内量子通信器官すら原理はさっぱりなので、そのことについては考えないこととする。

 兎も角、そうして得た精子を分析、精子量から活動量、染色体異常等々、検査項目についての色々を調査する、ということではあるが……まぁ、男にとって出した後の精子なんざ何かの価値が見いだせる訳もなく……俺は適当にその検索結果を振り払うと、さっさとパンツをクローゼットに投棄した。


「……はぁ、これで終わり、と」


 そうしてパンツを新たにして大きく溜息を吐き出し……何となく喉が渇いたので、BQCO脳内量子通信器官経由でコーヒーを淹れ、一口飲み干したところでようやく


「……ぁああ」


 夢精という形だったとは言え、この変わり果てた俺の身体でも精子を作成できたという事実を認識し終えた俺の口がまず最初に発したのは、そんな大きな安堵の溜息だった。


「ああああああああああああああああああああああっ!」


 次に出て来たのは安堵が胸中から大きく零れ出たかのような叫びである。

 頭の中では「無理なものは仕方ない」と考えていたとしても、精子が出ない、男性機能が働かないという事実は、俺の男性としての矜持を大きく棄損していた。

 だからこそ、男性機能が元に戻ったという事実は……記憶の片隅に薄っすらとある冷凍保存前の俺のナニと比べ、現在の股間のアレがかなり縮小化している事実を置いておくとしても、思わず叫んでしまうほどの安堵をもたらしてくれたのだ。

 ついでに言うと、「これでヒモじゃなくなる」という事実も大きかったのだろう。

 この未来社会では基本、男性はは許可されておらず、ただ精子を吐き出すだけの道具と化している。

 その身分に多少物申したいところはあるものの、それでも今の俺はある意味で飯の種を……言うなれば就職試験に受かったようなものである。

 今後、この海上都市の、最も大きなビルの、最上階の部屋から追い出されない……そんな安堵も大きかった。


「ぅぉおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 

 そして、全ての安堵感を声として吐き出した後、湧いてきたのは歓喜の叫びだった。

 ヒモの危機とか就職試験とか矜持とか……そんな頭の中でこねくり回したような理屈ではなく、『男としての存在価値そのもの』を自分がようやく認めることが出来たというか。

 よく冗談で、「男のナニは第二の脳である」とか「男の本体はアレの方である」みたいなネタを聞くことがあったが……こうしてブツが本当に使用できるかどうかの瀬戸際に立たされてみると分かる。


 ──アレは、嘘偽りのない真実、だった。


 それほどまでに、男という存在にとって「下半身が使用できるかどうか」という価値は非常に大きく……文字通り「男としての存在意義そのものだった」のだと実感できる。

 そうして下半身パン1という服装のまま、両手を天に向け、身体をのけぞらせる太陽礼賛のポーズ……某ゲームよりはヨガ寄りの恰好をして、安堵と歓喜に身体を震わせていたその時だった。


「あ、ああ、あなた?

 規定値以上のデシベル値をした、すさまじい叫びがあったとBQCO脳内量子通信器官から報告があったのですが……」


 さっきから放ち続けた一連の叫びがダメだったらしく……恐らく、ストレスに弱い品種と成り下がってしまった男性が、発狂して自傷するのを防ぐためのシステムと思われるが。

 兎に角、そんな余計なシステムの所為で、我が正妻ウィーフェであるリリス嬢が俺の部屋へと入って来てしまったのだ。

 繰り返すが、俺は上半身はシャツ一枚、下半身はパンツ一枚という、この時代の女性から見れば扇情極まりない格好で、両手を天に掲げて上半身をのけぞらせていたのだ。

 彼女は何故かセーラー服を身にまとっていて……恐らく21世紀のAVリスペクト文化がこんなところにも根付いている所為だろうが、まぁ、今はそれどころではない。

 こんな有様を目の当たりにしてしまった我が優秀なる正妻ウィーフェ様に対し、俺はこれから「自分の正気が保たれていることを証明する」という、非常に困難なミッションをこなさなければならないからだ。

 ……だけど。


「……おふっ」


 運が良かったのか悪かったのか。

 我が正妻ウィーフェたるリリス嬢は俺の姿を見た瞬間、そんな小さな悲鳴を零したかと思うと……身体中から力を抜いてその場に崩れ落ちてしまったのだった。


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