14-7 ~ 決断その3 ~


 ……自殺薬とは?

 数十年前に流行ったの総称であり、苦痛なく眠るように死ねると有名な薬物、らしい。

 何故「らしい」のかと言うと、この薬が流行った頃には自殺の自由が承認されていたものの、男女比の不均衡が進んだ結果、男性の人権が無視される事案が続出……被害に遭った男性の自殺者が増えたことによって社会問題となり、この薬剤が法により禁止された経緯があるから、である。

 尤も、その所為で都市外の女性たち……要するに妊娠する可能性すらない貧困層の女性むてきのひとたちが自爆テロや大量殺人を敢行、周囲を巻き添えにする事案が横行してしまい、結果として都市外においては自殺薬を推奨はしていないものののが現状とのことだ。

 逆を言えば、都市内での自殺はよっぽどの理由がない限り……市長権限で許可を出さない限り、自殺薬の承認など下りない。


 ──それくらい知ってるだろうに……


 法を制定した正妻ウィーフェがそれを知ってか知らずか申請を提出してきた時点で、恐らくそんなことすら忘れるほど混乱の極みにあるのだと想像できる。

 ちなみにではあるが、都市住民の場合、自殺は禁止されているからこそ、仮想空間で眠り続ける……夢の世界に耽溺することが彼女たちの逃避になっていたりする。

 VR内の設定を使えば、脳内物質のコントロールも出来るらしく……自殺の原因とされる脳内物質の分泌不足を補うため、数日から数ヶ月の間、仮想空間内で休養することで彼女たちは正常に戻るとか何とか……。

 流石に現実世界で脳内物質をコントロールする行為は激しい情緒不安定を招くらしく……要するに意図的に酔っぱらうようなものなので、対人関係の問題が多発し、禁止されたという経緯がある、らしい。

 そんな緊急時には何の役にも立ちやしない知識を、BQCO脳内量子通信器官によって脳へと転写しつつ、俺は裸足のまま廊下を走り抜ける。

 今日ばかりは無駄に広い我が家……我が部屋を呪いつつも必死に走り続けた俺は……ようやく正妻ウィーフェであるリリス嬢の部屋の前に到着する。


「……開けっ!」


 この海上都市『クリオネ』では市長権限が全てに優先される……男性の意志の前では女性のプライバシーなどゴミ程度の価値しかないのを知った上で、俺は正妻ウィーフェの部屋のドアへとそう命令を下す。

 ……だけど。


 ──開かない?


 リリス嬢の部屋に通じるドアは、確かに一瞬だけ開こうとする気配を見せたものの、僅か数センチ動いただけですぐさま閉じてしまう。


「開けっ、開けっ、開けよ、何でだくそったれっ!」


 慌てている所為、だろう。

 市長権限でドアが開くという状況に慣れ過ぎていた俺は、命令通りにならない事態を前に焦るばかりで、解決策が思い浮かびもしなかった。

 ただその衝動のままにドアをぶん殴るものの、貴重な男性が住む自宅と同じ未来の合金で造られたドアは酷く頑丈で……手に痛みが走っただけでドアは歪むどころかピクリとも動きすらしなかったのだ。

 恐らくは俺の腕力が貧弱過ぎる所為もあるのだろうが……尤も、そのお陰で拳を傷つけなかったのだから、ひ弱なのも一長一短ではある。


 ──くそ、どうすれば……


 自らの両腕のひ弱さに愕然としながらも、俺は何か使えるものはないかと周囲を見渡し……たまたま目に入った、俺の知識の中で『最も単純明快で分かりやすい手段』を用いることにした。

 その手段とは、近くの廊下に転がっていた赤い斧……海上都市『クリオネ』のである。

 一見するだけでこうしてドアを開く手段を即座に思いつくあたり、以前テロリストが襲撃してきたことさえも、今では良い経験だったと言えなくはない。


「リリスっ!

 ドアから、どいてろぁあああああああっ!」


 そうしてマスターキーを取るためとは言え、正妻ウィーフェの部屋の前から数秒間離れてしまった俺は、たったそれだけの時間のロスで気が焦ってしまい……もはや理屈で動いていなかった。

 ただ衝動のまま、手にしていた赤い斧を眼前のドアへと力任せに叩きつける。


「……つぁっ?」


 たったそれだけの……斧をドアに全力で叩きつけただけの衝撃に、俺の細く貧弱な腕はあっさりと悲鳴を上げ、俺は危うくマスターキーを取り落としそうになってしまう。

 昔の……俺の薄っすらと残っている過去の身体の記憶では、この程度の力仕事なんて普通にやれていたという妙な確信が、今の自分との違いを声高に叫ぶ所為で、この白く細い腕のあまりもの無力さに、俺はますます激情を募らせる。


「ってぇな、くそったれっ!」


 そして、焦りと苛立ちのままマスターキーをドアへと叩きつけること10度ほど……息が切れてようやく少しだけ冷静になれた俺は、BQCO脳内量子通信器官から知らない内に届いていた情報にようやく気付く。


 ──マスターキーの使い方。

 ──取っ手部分下部を右へと捻ることで刃部分に内蔵されている動力を起動させる。


 穴が在ったら入りたい気分とはこういうことだろうか?

 BQCO脳内量子通信器官経由で届いた取扱説明を理解した俺は、誰かが見ていた訳でもないのに酷く恥ずかしい気分に晒されたものの、すぐさまそんな場合ではないと思い直し……未だ息が整わないままの身体に鞭打つと、慣れない力仕事をした所為で震え始めた手で何とか取っ手を捻り、マスターキーを始動させる。

 ほんの3秒ほどでマスターキーの切っ先は赤熱化を始め、俺はBQCO脳内量子通信器官によって頭に埋め込まれたマスターキーの使い方に従い、そのクソ熱い武器をドアへと押し当てる。


「……なんだ。

 力なんて、要らないのか」


 たったのそれだけで、俺の手にしたマスターキーは流石にプリンのようにとはいかないものの、チェーンソーで丸太を切るくらいの速度ではドアへとめり込み始める。

 違うのは手に振動が返ってこないこと、くらいだろうか?


 ──あれ?

 ──俺、チェーンソーなんて使ったことあったっけか?


 不意に浮かんだマスターキーの使用感に、そんな疑問が湧き出て来た俺だったが、今はそんな場合じゃないと思い直し、すぐさま横一文字に切り裂いたドアに蹴りを入れ……


「……うわっちゃとぉっ」


 落ちて来た上半分のドアに足を挟まれかけ、足に伝わってきた熱量に思わずそんな悲鳴を上げる。

 当たり前の話ではあるが、ドラマや映画のように真っ二つに切り裂いたドアへと蹴りを入れると、確かに下半分は倒れてくれるのだが、上半分は重力に従って足目掛けて落ちて来るのだ。

 幸いにしてマスターキー使用時には使用者を仮想障壁が護ってくれる仕組みになっているらしく……俺はただ熱い程度の被害で終わったが。

 もしもマスターキーを放り投げてドアを蹴飛ばしていたならば、今頃俺の右足は脛から先が潰され焼き焦げていたとBQCO脳内量子通信器官が警告を発してくれた。


「……今のは、ヤバかった」


 その事実に肝を冷やした俺は、さっきまでの焦燥を忘れ……静かにそう呟くことしか出来なかったのだった。

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