14-4 ~ 衝動 ~



 ──酷過ぎるだろう、それは。


 正妻ウィーフェの自然妊娠率は5%以下という情報を目の当たりにした……正確にはBQCO脳内量子通信器官によって頭の中に放り込まれたそのデータを前に、俺は内心でそう呟くことしか出来なかった。

 何が酷いって、これでも正妻ウィーフェ方なのだ。

 何しろ、人工妊娠とは言え、精子の優先順位は当然のように第一位……むしろ配分を決める側であって望めばいつでも妊娠は可能であり、しかも他の女性が望んで叶わない男性と対面で会話することさえ容易に実現できる立場にいる。

 むしろ、男性によって選ばれる恋人ラーヴェという立場が著しく特殊な……どうやら女性の能力や地位階級とはかけ離れている、男性のカウンセリング担当とか、精子の作成補助要員とか、そういう特別な役割のようだったが。

 そういう訳で、正妻ウィーフェという立場にいる筈のリリス嬢は、都市開発のパートナーではあるものの、自らが性愛の対象になれるとは思っていなかったらしい。


「ああああ、どうしたらどうしたらどうしたらどうしたら……

 わたしは、よしゅうもまだだったのに、こんなことになるんだったらもっとはやく、でもそんなじかんなんてどこにも……」


 正妻ウィーフェなんてやっているんだから、当然のように『それなりの期待』はあっただろうけれど、近日中に俺とどうのこうのするとは思っておらず……だからこそ、慌てふためいた挙句に彼女がその口から垂れ流している言葉通り、彼女は他の女性が行うらしきVRすらまだ未履修のようだった。

 だからこそ、性欲が暴走してしまい、俺を押し倒した段階になって、次に何をするのか分からず……悩み悩んで困り果てて、BQCO脳内量子通信器官を使い、最低限の手順だけでもとこの期に及んで学習をしようとしている、というのがこの現状らしい。

 

 ──どうしたものかなぁ、これ?


 本来ならば瞬時に学習を終えられる筈のBQCO脳内量子通信器官ではあるのだが、焦ったり気もそぞろだったりと、心身状態によっては知識が脳の表面を滑り落ちる……読書しても文字が頭に入ってこない、あの現象と同様のことが起こるらしい。

 だからこそ眼前の正妻ウィーフェは「BQCO脳内量子通信器官を使っても学習が叶わない」という滅多にない状況に陥り……その混乱のあまり、仮想モニタを開いて文字で必死に学習を始めたのだろう。

 当然のことながら、BQCO脳内量子通信器官での学習が叶わないほどの極限状態では、文字という前時代的な意思疎通手段が頭に入ってくる筈もなく……眼前の婚約者様はただ時間と共に性欲が冷めていき、焦りだけが空回りするという悪循環に陥っているようだった。


「まってまってまってまって。

 どうしたらこれいっしょうにいっかいの、でも、どうすればあああああたまにはいらないもっともっともっともっと……」


 次から次へと仮想モニタを開いては目を滑らせて閉じては開きを繰り返す彼女の様子は、残念なことに、俺には非常によく理解できた。

 初体験あるある、というヤツだろう。

 エロ漫画とかなら色々と最初から上手くやれるものだが、現実だとキスの力加減から位置、タイミング、ブラの外し方に触れる順番に力加減、その他全ての言動が手動であり、AVのように自動ではいかず……もしくはページをめくったりテキストクリックしたりで次に進むように簡易化されてはいない。

 そのお陰で、何をどうするかと考えれば考えるほど焦ってしまい、野郎の場合は焦りの所為で海綿体の硬度低下を招き……とろくなことにならなかったり。

 何となく大昔の黒歴史が噴き出しそうになった俺は、大きく溜息を一つ吐き出すと……たったのそれだけで全身をびくっと震わせ、上気していた顔から血の気が引いていく姿をリアルタイムで見せつけている眼前の正妻ウィーフェへと向き直る。


「……あ、あのあああああのわわわわたしはそのあの……」


 俺はそんな彼女の震える肩へと手を伸ばし、そっと彼女の背を押して、彼女の細い身体を……俺よりも若干大きいだけの身体を抱きしめる。


「……ぁ」


「そう焦らなくても大丈夫だ。

 時間も機会も、まだまだあるんだから、な?」


 ぽんぽんと、なだめるように触れた俺の手のひらは、彼女に対して鎮静効果をもたらしてくれたらしい。

 極度の緊張から解放された彼女の精神はそのまま極限の不眠状態を思い出したのか、ふっと彼女の全身から力が抜ける。

 どうやら意識を失ってしまったと気付いた俺は、大きく溜息を吐き出し……不意に気付く。


 ──柔らかい。

 ──その上、女の匂いがぁあああああああ


 ほんの数分前まで、俺に性欲はなかった。

 いや、ちらっと見える下着を視線が追いかけるようなが『習性』として残っていたのは否めないものの、女性を押し倒したいとかナニしたいという本能的な衝動はさっぱり消えてしまっていたのだ。

 だけど、今は違う。

 意識を失った正妻ウィーフェの、柔らかさと温かさと息遣いと生を感じさせる鼓動と、そして何よりもこの部屋に入ってからずっと意識の片隅にあった女性の匂いが、凄まじく近い距離から感じられるのだ。

 ついつい俺は身体の奥底から湧き上がってくる衝動に任せ、彼女の背に触れていた両の手を上から下へと動かしてみたのだが……

 

「……ん」


 リリス嬢が漏らしたその微かな吐息が、俺の理性をガリガリと削って来て、俺は慌てて彼女の背から手を放す。


「おーけー。

 落ち着こう、俺」


 流石に寝ている相手に色々とやらかすのはフィクションの中だけで十分である派の俺は、睡姦に挑むつもりにはなれず……数度の深呼吸をすることで、俺は身体の奥底にある熱量を減らそうと試みる。

 だけど、それは逆に俺の周辺空気中に散布されているらしきフェロモン物質を呼気と共に取り入れてしまうことになってしまい……残念ながら何度深呼吸したところで俺の冷静さは戻って来てくれそうにない。

 いや、そもそも肉体的な問題によって本番は不可能であるからして……それでも本番寸前までなら、少なくともパンツ職人までなら出来るし絶対に起きないだろうし、したところで罪にならないだろうしと凄まじい心拍数が俺を誘惑し続けて……


「だぁああああああっ!

 何で勃たねぇんだよ、くそたれぇああああああああっ!」


 結局、行き場のない衝動と葛藤との二律背反を前に何の結論も出せなかった俺は、熟睡している正妻ウィーフェを前にただそう叫ぶことしか出来なかったのだった。


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