10-10 ~ 女性の価値 ~


 ガツンという感触が右拳に伝わって来てからようやく、俺は自分が相手の顎をぶん殴ってしまった事実を理解した。

 拳に軌道がスマッシュになってしまったのは、直前まで殴りかかるつもりはなく、別に構えていなかったことが一つ、最近低空タックルを仕掛けて来るVR格闘ゲームにハマっていたことが一つ……そしてもう一つは相手が俺よりも頭一つほど背が高かったこと、だろう。

 そして、中学生ガキ相手に殴りかかるなんて大人気ないことをやらかしてしまったのも、自分の女を馬鹿にされたことと……そしてやはり自分よりも頭一つほど背が高い相手を年下と思えなかったことが理由にあったとは思う。

 尤も、そんな細々した理由や相手の強弱など頭に血が上った状態で考える筈もなく……実のところ『気が付いたらぶん殴っていた』というのが正しいのだが。


 ──健全な精神は健全な肉体に宿る、だっけか。


 要するに冷凍保存される前の大人の肉体ではなく、10歳そこそこと勘違いされているようなこのクリオネとかいう小学生サイズの身体に、俺自身の情緒が影響されていると考えるべきだろう。

 事実、社会人をやっていた頃は、これほど頭に血が上ることがあっても、どれだけ酒で自制心を焼かれていても、人様をぶん殴るような行為をやらかしたことはないのだから。

 ついでに言うと、最近延々とVRのゲームで遊んでいたのもいけなかったのかもしれない。

 VRの中でとは言え、ランニングとスパーリングとを延々と繰り返しているようなものであり……にはこの身体は鍛え上げられていたようだった。

 そして……たかが10歳程度の餓鬼の身体とは言え、渾身のスマッシュは非常に効果的だったと言わざるを得ない。

 何しろ……


「う、う、うぁあああああああああああああ。

 痛いよぉおおおおおおおおおおっ?」


 ぶん殴られた年上の……恐らく中学生で俺よりも頭一つ分背の高い大の男が、人目をはばからず大声を上げながら泣き叫び始めたのだから。


 ──は?


 あれだけ偉そうに上から目線で語っていた年上の、頭一つは大きな男が、たかが10歳程度の餓鬼にぶん殴られただけで人目もはばからず大泣きし始めた事実に俺は空いた口が塞がらない。

 少なくとも俺の生きていた時代の、少しばかり若かった頃……ヤンキー漫画が売れ筋だった頃は人様を煽ったら殴られるくらいの覚悟はするべきだったし、実のところ、俺自身の記憶としては残っていないものの、人様をぶん殴ったが初めてではないような感覚はある。

 まぁ、男として生まれたなら殴り合いの喧嘩程度、一度や二度くらいなら経験があってもおかしくないだろう。

 ……だけど。


「ひ、ひでぇっ。

 酷過ぎるぞ、おいぃいいいっ!

 ぼ、ぼ、暴力を振るうなんて、何て野蛮なっ?」


 眼前で兄を殴られたことに憤ったらしく、強姦魔レイパー様はそんな抗議の声を上げていた。

 口だけで、ではあるが。

 言っていることは素晴らしいものの、自分も殴られることを恐れてか手を前に突き出し腰の引けたその態度ではビビっているのが丸見えで、むしろ笑いを取ろうとしているとしか思えなかった。

 とは言え、彼の態度はこの600年後の未来社会では、さほどおかしくはないらしい。

 少なくとも仲良くとは言えないものの、普通に話すくらいにはなれた5名の級友たちは揃って俺を非難の目で見ていたからだ。


「人様の女を馬鹿にしたんだ。

 殴られるくらい覚悟してたんだろう?」


 俺が自分の中では当たり前だと思っているその怒りを吐露したその瞬間、周りの男子たち全員から「……はぁっ?」という言葉が零れ出る。


「おいおいおいおいおい。

 大昔の二次元動画でも見て育った口か?」


「女なんて俺たちの付属物だろぉ?

 平等主義者みてぇな言葉吐きやがってよぉ?」


「久々に見ました、頭のおかしい男性を。

 女性なら大半がそうなんですけどね」


「狂ってるぞ、お前。

 もうちょっと常識を学んでから……ああ、学校だったわ、ここ」


「そ、そそそそんなで兄ちゃんを殴ったのか、お前っ?

 絶対に狂ってる。

 精神安定の処方が必要だぞっ!」


 その後は級友全体から非難の声が殺到する始末だった。

 どうやらこの未来社会では男が女のために怒ること自体、「狂人扱いされて当然の所業」らしい。

 男女比から考えて、女性の扱いが粗末になってしまうのは理解していたが……確かに言われてみれば1:110,721という比率である。

 11万分の1という状況での「男性から見た女性の価値」というものは、21世紀の価値観がこびりついた俺からしてみれば、いくら想像したところで、完全に理解することはないだろう。

 あくまでも想像でしかないが……超有名なアイドルグループがファン一人一人に感じる価値よりもまだ更に些末なモノとしか思えないのではないだろうか?

 彼ら同級生たちから受けた印象から察するに、男性にとっての女性という存在は、11万もある単なる付属物というだけではなく、「卑猥な目で見てきて有害な事件もたまに引き起こす気持ち悪い生き物」という扱いのようだった。


 ──言われてみれば、犬猫の方が比率差は小さいのか。


 自分の感覚で言うとペット……犬猫扱いかと思ったのだが、犬と猫の飼育費を含めたお値段は数万円から数十万円。

 昔の俺がどれだけ稼いでいたのかは忘れてしまったものの、数十万円と言えば一か月の給与を超える額だという感覚はある。

 つまり……この未来社会の男性の感覚での、探せば幾らでも湧いてくる女性よりも、犬猫の方が価値はかなり大きいに違いない。


 ──ハムスターくらいか?

 ──でも、アレも馬鹿にされたら怒るくらい愛着持つ人、いたよなぁ。


 そこまで考えたところで、俺の中では女性の価値観がどうなっていようが「そもそも人様や人様のモノを馬鹿にするヤツが悪い」という結論に落ち着く。

 そうして開き直った俺が心なしか胸を張ったことに気付いたのだろう。


「何を開き直ってやがるっ!

 都市『マダフィ』の逸話を検索してみやがれっ!

 男女平等なんて概念が、如何に時代遅れの概念か分かるだろうよっ!」


 強姦魔レイパーが金切り声を上げてそう叫ぶ。

 その『マダフィ』とかいう都市については、毎度のBQCO脳内量子通信器官が情報を送ってくれたことで、すぐさま理解が及ぶこととなった。


「……は?」


 いや、知識を得た時点でその都市についての知識は得ることが出来た。

 彼らが何故『マダフィ』の話題を出したのかも理解できたし、BQCO脳内量子通信器官から送られてきた知識に過不足がないのは間違いないだろう。

 ……だけど。

 その知識を、その都市の価値観を、俺がかというと、恐らく一生不可能に違いない。


 ──都市『マダフィ』。


 30年ほど前まで実在していた、アジア大陸北部を彷徨っていた陸上移動都市のことであり……いや、今も息子が継いだことで都市自体は生きているようだ。

 その都市は市長の凄まじい性欲と精子量で有名になり、女性たちが群がることで拡張に次ぐ拡張を繰り返した。

 ただし、市長であるマダフィには一つ大きな欠陥があった。


 ──殺人愛好家。

 ──しかも、自分で殺した損壊死体を犯すことで性的趣味を覚える類の。


 21世紀であれば瞬時に警察のお世話になり、数ヶ月ほど世間を賑わわせた挙句、漫画やゲームに責任が転嫁される類の趣味の持ち主である。

 だけど、彼はこの未来社会で最も求められる凄まじい『精力』を有していた。

 彼の都市で生まれた子供は100万人を超え、男子も8人……この未来社会の人口が縮小気味にあり、男女比も拡大傾向にあることを考えると、1人の男から生まれる子供は11万人弱、男子も1人以下となっていることだろう。

 そんな600年後の事情から察するに、このマダフィとかいう殺人鬼は、実に有能だったと言わざるを得ない。


 ──だからって、快楽殺人が許されるのか……


 市長マダフィが行ったことは、市民を恋人ラーヴェに登録した後で惨殺、吐き出した精液全てを市民へと提供した……ただそれだけである。

 いや、死体には精子など不要であるため、都市側が勝手にその処置を行ったのかもしれないが……流石にこの殺人鬼が行ったまではBQCO脳内量子通信器官も教えてくれないからどうでも良いとして。

 最悪なのは、こと、だろう。

 殺された女性はもう何も言えないから置いておいても、都市の女たちは被害者について「人生に一度愛されたのだから殺されても本望だろう」という意見が主流となったのだ。

 確かに1:110,721という男女比で考えると、性行為に至れる女性は数万人に一人という惨憺たる結果に落ち着き、殺されてない第三者の女性からしてみると「たとえ殺されても」と言いたくなってもおかしくない。


 ──他の都市は別都市の出来事だと傍観を徹底。


 結果として、市長マダフィがまで惨殺事件の犠牲者は数百人となり……彼の子供は100万人を超えることとなる。

 人類全体で考えると、確かにたった数百……具体的な数を検索すると僅か637人の犠牲によって、1,289,842人の女子と8名もの男子を授かることとなり、非常に有益な損益だったと言えなくはない。

 ……だけど。

 

「これで、女の価値が分かっただろう?

 あんなの、適当に間引いても構わない害虫だってことさ」


 BQCO脳内量子通信器官を通じて流し込まれた知識に愕然としている俺に対し、結論付けるように強姦魔レイパー君はそう言い放ったのだった。


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