9-3 ~ 学校 ~


 男子校に通わなければならないという残酷な現実から目を背けるためにゲームにのめり込んでいたら、いつの間に登校当日になっていた。

 何を言っているか分からないと思うが、俺も何が何だか……と現実逃避をしたところで、何の解決にもなりやしない。

 どうして人間という生き物は、生きていくのに必要なエピソード記憶よりも、こういう要るか要らないか分からない小ネタばかりを後生大事に脳みそへと焼き付けてしまうのだろう?


「では、ああああなた。

 通学用のパスデータの使い方は分かりますか?

 準備期間が短くて申し訳ありませんが、その、これも法で義務付けられた……」


「……ああ、確認した」


 俺が通学に乗り気でないのを知っているから、だろう。

 未来の正妻ウィーフェであるリリス嬢が気遣うようにそう語りかけてくれたのだが、俺はその気遣いを途中で遮ってしまう。


 ──幾ら何でも心苦しい。


 ただでさえ、今の俺は男と言うだけで何の稼ぎもなく仕事も勉強も職業訓練もしていないニート生活者だというのに……いや、まぁ、労働者やっている頃は「働きたくない」と常々口にしていたような気がするが……それでも、二回りも年下の少女に「学校に行きたくない」なんて駄々を気遣われるのは、幾ら何でも21世紀男児としての矜持的にも受け入れがたい。

 

「……ベッドの準備も万端。

 VRの使い方も覚えたし、何も問題はない」


 事実、『通学』に対して問題なんてある訳がない。

 何しろ片道コンマ数秒……学校は仮想空間にあるのだから、通学なんて普段ゲームやっているのと同等のプロセスでしかなく、俺の感覚ではリンクを踏むくらいの作業でしかないのだから、問題なんて発生のしようがないのが現実である。

 ついでに言えば、ここしばらくの間ゲームで慣らしたこのベッドに何らかの問題がある筈もない。

 要するに……「学校に行きたくない」という気怠さ以外、何一つ問題などないのだ。


 ──自分勝手な話だよなぁ。


 学生時代はあれだけ「学校に行きたくない」と思っていて、仕事をし始めると「学生が良かった、仕事の方が遥かにクソ」と考え続け、なのに今再び学校に行くのを躊躇っている自分に軽く苦笑してしまう。

 よくよく考えてみれば、幾ら男子校とやらがむさ苦しい地獄寸前の場所であったとしても……まるっきり地獄としか思えなかった労働よりは遥かにマシに違いない。

 そう考えると気が楽になってきた。


 ──地獄極楽は心にあり、か。


 出典すら覚えていないそんな言葉を頭に思い浮かべつつ、俺はベッドに寝そべると、仮想モニタを眼前に展開、男子校へ通うためのパスを実行する。

 冷凍保存される前の世界だと、個人認証やらパスワードやら色々と面倒だった思い出がふと浮かんでくるものの……個々人の脳にBQCO脳内量子通信器官が埋め込まれ、他人のパスをハッキングしようにもやらかした瞬間にバレてしまうセキュリティが完備されたこの未来社会では、個人認証なんてものはもはや無用の長物と化している。


「じゃ、行ってくる」


「はい、お気をつけて」


 婚約者であるリリス嬢にそう告げると、操作はほんの一秒で終わった。

 VRゲームをプレイする時と同じように俺の意識はこの脆弱な身体からあっさりと離れ……次の瞬間、俺の眼前に、学校としか言いようのない施設と、校庭と校門とが広がっていて。

 どうやら俺は何の問題もなく、学校とやらにたどり着いたようだった。


「……相変わらず、感慨も何もありゃしねぇ」


 わずかコンマ一秒で学校に辿り着いてしまった事実に、俺は小さくそう吐き捨てる。

 実際問題として、学校に通うのだからせめて電車の中から始まるとか100メートルくらい歩くとか、そういう演出が欲しい気もするが……まぁ、それも幾度となく通う通学を考えると、結局は時間の無駄でしかないのだろう。

 強いて言うならば校門から校舎までの50メートルほど、季節感も何もなく延々と舞い散り続けている桜並木の、赤煉瓦で舗装された通路を歩くこの距離こそが心の準備時間と言えるのかもしれない。


 ──しかし、まぁ、、だなぁ。


 通路の先にある校舎へともう一度目を向けた俺の感想は、そんな身も蓋もない一言だった。

 鉄筋コンクリート造の三階建ての無骨な建物に、教室と思しき場所にはガラス窓が大量に並んでいるという、俺の記憶の中にある日本の、がまさにそこにあったのだ。

 とは言え……


「……何で、この建築様式なんだ?」


 知らず知らずの内に、俺はそんな疑問を口にしていた。

 何しろ、この建築様式は極東の島国である日本の……しかも600年以上も昔の、昭和の時代に流行ったという、酷く限定的な代物なのだ。

 俺の生きてた頃の感覚で言うと、「アフリカのハイスクールを作るのに日本の戦国時代の寺小屋を再現したような、訳の分からない採用基準を目の当たりにさせられた」と言えばこの困惑が伝わるだろうか?


「数百年前にあったと言われる、男性の性欲が旺盛だった頃の、AVと呼ばれる映像のデータを再現したと言われているよ。

 という理由でね。

 ……まぁ、お偉いさんの考えたことだから、お題目ばかりが前に出て、本当に効果があるかどうか、まだはっきりとはしていないんだけど、ね」


 そんな俺の疑問に答えてくれたのは、突如として校門の縁から現れたスーツ姿の青年だった。

 年の頃は二十代前半……俺からしてみれば明らかに社会に出たばかりの若造という感じだろうか。

 金髪碧眼であり北欧系のモデルのような彼の顔は確かにものすごく整っているものの……社会人時代には現場の測量へ何度も出かけていた俺の感覚としては、ジャニタレとかあの辺りのような、ひ弱で体力なさそうな感覚が拭いきれない。

 まぁ、あまりモテた経験のないおっさんの僻みとも言う。


「……えっと?」


「ああ、僕はアレム。

 この学校の教師の一人さ。

 本日入学のクリオネ君だね、歓迎するよ」


 その美青年は両手を上げて歓迎の意思を表していたが……純日本人であり日本育ちの俺は生憎とハグの習慣などなく、軽く会釈をするだけに留める。

 そんな俺の消極的な態度も慣れっこなのだろう。

 彼は肩を一つ竦めただけだったが……忌々しいことに、そんな何気ない仕草も非常に様になっている。


「どうして、こちらに?」


「いや、この桜並木……ああ、この花のことなのだけど。

 この花が咲くのはと決まっているのさ。

 その時にこうして新入生の待ち伏せにするのは、僕の趣味の一つなのさ」


 内心を押し殺した俺の問いに対し、アレム先生とやらは爽やかそうな笑みを浮かべながらそう答える。

 妙に芝居がかった仕草をしているのが気になりはしたが……それよりもではなくと言い切ったのは、何らかの信念があるから、だろうか?

 いや、それよりも……


「ところで、AV、ですか?」


「ああ、男性の性欲を奮起させるの一つさ。

 数百年前にあったと言われる男女同権時代の名残で……今でも年寄り政治家の間では神話扱いされている二次元映像データの一種でね。

 尤も、残念ながらもう嗜む男性も少なくなってきていて……女性の裸体が気持ち悪いという少年が多くなってきている所為とも言われている。

 ま、政治家や年寄りしか口にしないような単語だから、キミが知らなくても気にする必要はないさ」


 ……俺は、どこから突っ込みを入れたら良いのだろう?

 少なくとも、未だおぼろげなところも多い俺の記憶にある限り、AVを「高尚」と表現する人はよほどのマニア以外にはいなかった。

 現実問題として、AVが少子化対策に有効なんて考えられたこともないし……まさか神話扱いされているなんてあの昭和平成令和の時代に生きていた人間であれば、誰一人として想像すらしていなかったに違いない。

 と言うか、少年ガキなんざ黙っていても女の裸に鼻の下を伸ばすものだと思っていたが……気持ち悪いと言っているなんて、この時代の少年たちと俺たち21世紀人との間には、どうやら大きな意識の齟齬があるに違いない。

 そうして俺が反応に困っていることに気付いたのだろう。

 美青年としか言いようのないアレム先生は優し気に笑った後、俺をフォローするかのように静かに語りかける。


「ああ、セクシャル=ハラスメントの類ではないよ、安心して欲しい。

 そもそも僕は純粋なホモ=セクシャルでね。

 女性の身体を気持ち悪いとは思えないけど、性的興奮も覚えない体質なんだ」


「……は?」


 そんな彼の親切に一つ問題があるとすれば、青年のフォローが全くの見当違いでしかなく……俺にとってはただの突拍子のない自爆としか思えなかったこと、だろう。

 唐突に美青年のカミングアウトを聞かされた俺は、困惑のあまりただそんな間の抜けた声を発することしか出来なかったのだった。

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