8-7 ~ 『スポーツ』その1 ~
「っと、相変わらず違和感があるな……」
ユーミカさん主導の『食事』を終え、警護官のリーダーであるアルノーに勧められるがまま、VRスポーツを実行に移した俺は、身体の感覚を確かながらそう呟く。
今回は心構えをしていたのだが、「横たわっていた筈なのに気付くと直立していた」という違和感はやはり凄まじく大きく……その違和感だけでさえ慣れるのに数秒を要してしまう。
……そうして俺が身体の違和感にようやく馴染んできた頃のことだった。
「本日はお付き合いいただき、ありがとうございます、市長」
「……誰だ、お前っ?」
傍らから響いてきた若い女性の声に振り向いた俺は……知らず知らずの内に本日二度目になるそんな叫びを上げていた。
今回も俺は悪くないだろう。
何しろ、振り向いた先にいつもの鉄面皮があると思って振り向いたところ、南米系と思われる薄褐色の肌をした背の高い二十代前半ほどの女性が立っていたのだから。
「えっ、ああ。
警護官のアルノーです。
仮想空間でのスポーツにおいては、機械動力を持つ金属製の四肢を使うことは禁忌とされていますので、ここでは仮想の肉体を扱うこととなります。
一応、この身体は理想的な成長をした自分の身体をシミュレートされたもので、そうおかしくはないと思いますが」
「……ああ、うん」
その女性……アルノーはそう答えつつも、自分の身体を見下ろしたのだが……俺は生返事しか返せない。
それもその筈で、彼女は陸上選手が着るようなスポーツブラよりわずかに面積が広い程度の上着に、ハイレグのブルマーっぽい下履きを穿いていて、とても目によろしくない格好をしているのだ。
それが男性に媚びている衣装ならばもう少し反応のしようがあったのだが……彼女の表情、そして引き締まりながらも女性らしき凹凸もそれなりにある自分の身体を無頓着に見下ろした様子は、「この格好は動きやすいから選びました」と言わんばかりだったので、変に茶化すことも出来やしないし、エロい目で見るのも何か趣が違うのである。
だからこそ俺は、バレない程度の短時間で彼女の身体を網膜に焼き付けた後、視線を逸らして周囲へと目を向けていた。
周囲は床から天井、壁までが完全に真っ白な部屋になっており、椅子や机すら一つもない殺風景極まりない現実ではあり得ないような光景で……
ついでに今更ながら気付いたのだが、何となく身体が軽い、ような。
「で、此処は?」
「失礼ですが、市長はあまり運動に慣れてないと思われましたので。
まずは身体を動かす楽しさを覚えるため、月面と同じ環境に設定した一辺1kmの立方体を用意しました」
アルノーらしき女性が告げたその言葉に、俺はもう一度部屋全体を見渡す。
壁も天井も床も真っ白過ぎて部屋の大きさなんて分かりそうもないが……彼女の言葉が正しいのなら、ここから壁までは恐らく500m程度はあるのだろう。
「で、この部屋の中で走り回れと?」
俺がそう訊ねたのは、やはり記憶にある運動と言えば1000m走とかマラソンとか……そういう苦行が主だったから、だろう。
実際のところ、未来のスポーツがどういうモノなのかすら俺は知らなかったのだが。
「いえ、ただ走るだけならランニングマシンで十分ですし、そもそも寝具に機能を追加させ、負荷睡眠を取れば筋肉の鍛錬は幾らでも可能です」
「……はぁ」
彼女の言葉が今一つ理解できなかった俺は、すぐさま
──負荷睡眠。
要するに寝ている間に筋トレすることで、疲労を感じることもなく身体を鍛える方法である。
目覚めたばかりの、俺が筋トレしていた頃にコレを知っていればなぁと今さらながらに思わなくはないが……思い出してみれば、確かサトミさんが「寝たきりの患者への臨床試験で骨折や筋断絶の事象が相次ぎ」とか言っていたような気がする。
彼女が俺の筋トレを眺めて悦ぶような性癖を持っていない限り、ある程度の肉体強度がないと危険が伴ってしまう……負荷のかけ方が難しい技術なのだと思われる。
事実、
「そもそも、筋肉だけ鍛えて身体操作能力が伴わない場合、バランス感覚が身に付かず、思わぬところで転倒し、骨折や打撲、擦過傷を引き起こしかねません。
特に擦過傷は男性の場合、細菌の体内侵入を許してしまう、恐ろしい怪我です」
「……はぁ……はぁっ?」
深刻そうなアルノーの声に一瞬だけ生返事を返した俺だったが……彼女の言葉の意味を理解した瞬間、素っ頓狂な声を上げてしまっていた。
なにせ、彼女が口にしたのは「擦過傷」……即ち、擦りむいた傷、である。
しっかりとした記憶がある訳ではないものの、ガキの頃ならその程度の怪我なんて日常茶飯事、怪我していない日がないほど走り回っていた筈だ。
そんなHP1も減らないかすり傷を、さも命にかかわるような怪我のように言われてしまたのだから、俺の反応もそうおかしくはないだろう。
「事実、
「……そりゃまた繊細なことで」
正直に言おう。
アルノーとしては至極真面目に怪我の恐ろしさを語ってくれているのだろうが……俺は彼女の言葉を真面目に受け取るのが億劫になってきていた。
何しろ彼女が深刻に語っているのは、俺の主観からすると「怪我の所為」というよりも「男が調子に乗って肉体関係を迫った挙句、女性から拒否されて拗ねただけ」としか思えないのだ。
尤も、アルノーの反応から見て分かるように、この未来社会ではただの擦り傷をさも男性機能に直結する大怪我扱いされているのは事実であり、男性という生き物が大事に大事に……過剰とも言えるほど保護されていることに違いはない。
──そういう意味じゃ、あの猫耳ちゃん。
──あの脅迫行為は、あれでも周囲から見れば凶悪だったのかもしれないな。
俺が何となくあのテロ事件と猫耳少女の唇の感触を思い出している間にも、アルノーは何やら手元の仮想モニタで操作したらしく……急に部屋が変貌したかと思うと、床に巨大な岩石が乱立している荒野が現れ、天井や壁は星が幾つかきらめく真っ暗な景色が映し出される。
夜を思わせるほど空は黒いと言うのに周囲を見渡せるほど明るいのは、空に浮かぶ巨大な青い星が輝いている所為、だろう。
俺自身が直接この目で見た訳ではないので推測でしかないが……状況を考えると、俺たちが今立っているのは仮想の月面ではないだろうか?
「本日は月兎の捕獲をしましょう。
運動に慣れていない人でも手っ取り早く身体能力を鍛えるメニューと評判です」
同時に、床から百匹あまりの毛の長い兎が現れ……それらはペットショップで見たことのあるロップイヤーのような品種で、どう見ても素早そうな感じはない。
「コレを捕まえろと?」
「ええ、捕まえるだけです。
一匹捕まえるごとに重力が地球に戻る仕様になっておりますので、無理なく身体を動かすことが出来る上に、身体操作能力を鍛えられると評判のメニューです」
「……それって……」
アルノーの説明に、俺は何とも言えない表情を浮かべていたことだろう。
何しろ彼女が告げた内容はどう考えても児童用……しかも運動嫌いの小学校低学年の子に身体を動かす楽しさを覚えさせようとする類の教材だと思われたのだ。
事実、
──ビキニだらけの美少女追いかけ運動とかないかな。
──捕まえたらセクハラして良い系の。
それならばやる気が出るだろうと、俺は自分の自覚年齢である40歳辺りのおっさん的発想をして……少しだけ笑ってしまう。
実際のところ、この未来社会ではその手のセクハラゲームなんて、VRではなく現実でやっても参加者が殺到しそうな男女比であり……ついでに言えば俺が襲う側ではなく襲われる側になる未来が目に見えているのだが。
付け加えると、俺がそんな未来に想像を馳せた直後……
「さて、まぁ、やってみるか」
「頑張ってください。
私も身体能力を極限まで落としてゲームに参加させていただきますので」
アルノーが何やらそんなことを言っていたものの……取り合えず、ゲームならばやってみないとどうしようもない。
そう考えた俺は、10m先でのんびりしている兎を捕まえようと大きく足を踏み出して……直後、大地を蹴った脚の感覚を誤ったらしく、その場ですっ転ぶ羽目に陥ったのだった。
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