8-5 ~ 12ヶ月食堂 ~
「……っと、此処は?」
仮想空間に入った俺がまず最初に行ったことは、前後左右を見渡して自分の現在位置を確認することだった。
これは他のゲームをやっていても同じなのだが、いきなり五感全てが切り替わってしまうため、自分が現在どこにいるかすら分からなくなってしまうのだ。
具体的に言えば、一瞬だけ寝落ちし、ふと意識を取り戻した直後のあの空白がこの感覚が近いだろうか?
取り合えずそうして前後左右に上下まで確認した俺は、「何処にでもありそうなレストランだな」と小さく呟く。
事実、この場所は8人掛けのテーブルが10卓ほど並んでいる、窓の外から夜景が見えているような、普通のレストランだった。
そうして周囲確認が一段落ついた俺は、手足を軽く動かして四肢と五感とに違和感がないことを確認……この仮想空間に『食事』をしに来たことを思い出し、すぐさま途方に暮れる。
「これ、何処で何をどうすれば良いんだ?」
当たり前の話ではあるが、食堂でいくら待っていても食事は出てこない。
とは言え、俺の感覚では大衆料理店では店に訪れたなら店員さんが案内してくれる筈だったし……省力化が進んでいる店でも、店内で途方に暮れていると店員が「食券を買ってください」くらいは伝えてくれることだろう。
だけどこの食堂らしき空間には、誰もおらず……ただ案内機械すらないテーブルと席とがずらりと並んでいるだけで、何のヒントもありゃしないのだ。
「この手の店では、まず
「ああ、助かっ……って、誰だっ?」
そうして悩んでいると背後からいきなりそんな説明台詞がかけられ、俺は少しだけ安堵の溜息を吐きつつも振り返り……驚きと共にそう叫んでしまっていた。
とは言え、俺がつい叫んでしまったのも仕方のないことだろう。
何しろ、振り返った俺の背後にいたのは、俺とほぼ同じ身長で、この身体と同年代だと思われる……日系の正統派美少女が佇んでいたのだ。
しかも、その相手にさっぱり心当たりがなかったのだから、俺が驚いたのは必然とも言える。
「市長、私です、ユーミカですよ。
その、VRではアバターを使うのが礼儀みたいなものでして、これも、その……」
「……ああ、なるほ、ど?」
言われてみれば彼女の風貌、仕草や口調など、見覚えがないにも関わらず全くの知らない人ではない感覚があり……正直に言うと、ユーミカさん(38)の娘だと紹介されてしまうと、思わず信じてしまいそうな……何処となく彼女の面影が残っているのだ。
とは言え、幾らなんでも16歳と264ヶ月+α日の女性がするべき姿ではなく、「ババァ無理すんな」という単語が口から零れそうになった俺は、思わず両手で自分の発声器官を塞いでいた。
尤も……目は口ほどにモノを言うという単語はこの未来社会でも通用するらしい。
「良いじゃないですかこれくらい仮想空間では警護官の仕事もないですし市長の肉体はアルノーが警護してくれているので少しくらいの遊び心くらい……その……」
「……ああ、うん」
必死に言い訳を募らせるユーミカさん(38)だったが、自分でも少しばかりキツいと思っているのかじわじわと勢いが衰えていく。
俺としては武士の情けとばかりそれ以上の追及はしないでおくことにした。
「……で、
「はい、えっと……この12ヶ月食堂だとカレーと牛丼、親子丼辺りの、普通のメニューが人気ですね」
VR内でも仮想モニタと呼ぶのかどうかという命題に頭を悩ましつつも、俺はそう話題を変え……ユーミカさん(13・仮)は俺の話題転換に乗っかかり、そんな解答を寄越してくれる。
俺は食堂内があまりにも普通過ぎた所為で彼女が並べたメニューの数々に疑問を抱くのも忘れ……変な略語の方へと意識が向いていた。
「……12か月?」
「ええ、この『月が美しく見える空中庭園食堂~庶民部屋~』の通称です。
窓から見える月が12個あることと、正式名称が長すぎるのでこんな通称で呼ばれているのです」
自分と同年代のアバターを使う彼女の言葉に興味を引かれた俺は、夜景が見えそうな真っ暗闇の窓の外へと視線を移し……。
──変なところに凝ってるなぁ。
本当に色々な形の月が幾つも並んでいる夜空を見て、思わず内心でそう呟いてしまう。
こんな本来必要ない場所……言うならば、レストランの壁に飾っている掛絵みたいな、料理の味に関係ないところでこれほどすさまじい景色を使わなくても、と小市民の俺はそんな感想を抱いてしまったのだが。
──いや、違う。
──ここじゃ、これが絵を飾る程度の技術なのか。
俺がそうして意味もない場所でカルチャーショックを受けている間にも、ユーミカさんは月の見える窓際のテーブルに近づくと、椅子の後ろに立ち……そのまま椅子を引いたまま俺の方へと向き直る。
「市長、どうぞ」
「……ぁ?
あ、ぁ、ああ」
そういう一流レストランで受けるようなサービスに馴染みがなかった俺は一瞬彼女の行動に戸惑うものの……すぐさま給仕の真似事をしているのだと気付き、彼女が引いた椅子へと歩みを進める。
尤も、直後に
こういう椅子を引く給仕の真似事なんて、よっぽどの懐古主義者……もしくは男性に良いところを見せようと必死な妙齢の女性くらいしかやらないらしいのだが。
──まぁ、それは指摘しないでおこう。
そうして俺が二度目の武士の情けによって指摘を呑み込んだところで、彼女が俺の対面に座り……メニューを俺の前へと展開してみせる。
「どうぞ、お選びください、市長」
「……ああ、えっと。
ここは定番のカレー、にするか」
俺は既に不可視状態の仮想モニタを起動していたのだが、彼女の気配りを無碍にするのも失礼と考え、彼女が展開したメニューからカレーライスを選ぶ。
カレーを選んだ理由は特になく……単純に並んでいる人気メニューの中で、これが一番興味を引かれた、というだけでしかなかったが。
「で、では、私も、その、おおお同じメニューを……」
そうして俺が適当にメニューを選んだ直後、同席していたユーミカさん(13・仮)がおずおずとそう告げながら、自分の『食事』を選んでいた。
俺自身は別にユーミカさんが何を食ったところでどうでも良かったのだが……いや、勿論、目の前で全裸の少年チョココーティングなんてメニューを頼まれると流石に突っ込みを入れていただろうが……真っ当な料理である以上、何かを言うつもりもなかったのだが、もしかすると彼女としては「俺と同じメニューを頼む」という行動に何らかの価値を見出していたのかもしれない。
そんな彼女の動機は兎も角、流石はVR……仮想現実というべきなのだろう。
ユーミカさんの眼球が虚空を彷徨い、恐らくは指でタップすらすることなく仮想モニタ上で注文を実行したその僅か一秒後。
「っと、わっ?」
本当にたったの一秒で、コンマ一秒前には何もなかった筈の、眼前の木製テーブルから、俺が「これだ」と認識するような懐かしのカレーライスが、浮き上がってきたのだった。
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