5-5 ~ 二人の部屋 ~



「……へ、や?」


 婚約者であるリリス嬢の案内によって、最上階にある「二人の部屋」へと案内された俺は、そんな困惑の呟きを零すことしか出来なかった。

 そんな俺の反応も当然で……そもそも俺の認識では部屋というのは6畳から8畳、広かったとしても慰安旅行で半強制的に連れて行かれた温泉旅館の、無礼講という名の罠が待っていた大宴会場が確か50畳だった……そういう認識である。

 だけど今、俺の眼前に建っているは、俺の認識としてはとしか呼ぶことの出来ない代物だったのだ。

 しかもその木造の武家屋敷のような豪邸の手前……俺たちがエレベーターから降りたその場所には和風の枯山水っぽい庭が広がっている、という様相なのだから、正直ここだけ世界観が違うと言っても過言ではないだろう。

 頭上の空には雲一つない晴天が広がっていることが、また此処が別世界という非常識感を強くさせている。

 いや、一度は婚約者様が見せてくれたデータに俺が色々と口出しした結果、こんな形の建物になってしまったことは重々承知していたのだが……それでも実物を目の当たりにした衝撃は、少しばかり大き過ぎた。


「ご安心ください。

 頭上には外側から物理的なアプローチを完全に防ぐ……可視光線の透過までもを防ぐ、最新鋭の仮想障壁を配備しております。

 侵入者は勿論、ヘリやドローンなどでの攻撃や、戦闘機やミサイルの直撃、軌道上の衛星から覗きを防ぐことも想定しており、外敵からの害意は完全に防げます」


「……はぁ」


 あまりにも綺麗な空を眺めて現実逃避をしていた俺の視線に気付いたのだろう、未来の正妻ウィーフェは少しだけ自慢げに、だけど完全に的外れな回答をそう告げ……俺の常識を叩き壊すのに一役買ってくれていた。


 ──何だ、この時代。

 ──たかが男に、ここまでするか?


 俺は思わずそう内心で嘆息していたものの……少し冷静になって考え直すと、それほどおかしなことではない気がしてくる。

 何しろこの時代の男女比は、以前俺が耳にした記憶が正しければ……1:110,721という頭のおかしい数字である。 

 俺が暮らしていた時代の常識で考えると……たった今BQCO脳内量子通信器官で検索した結果によると、あの時代、5億円以上の資産を持つ超富裕層という連中は日本の0.2%に届かなかったらしい。

 今俺が暮らしている時代の男性は0.0009%……超富裕層の内の、更に221人に1人である。

 BQCO脳内量子通信器官がさっさと暗算してくれた計算結果を脳内で反芻し……俺はようやく「それくらいの大金持ちだったらこんな家を持っていても不思議じゃないだろう」と納得することができた。

 尤も、でそれらの超富裕層と同等ってのも微妙な話だが……その超富裕層だった連中も俺と同じようになので、人生なんて所詮はそんなものなのかもしれない。


「では、室内をご案内します。

 まず、正面玄関は靴を脱ぐようにとの仰せでしたので……」


 婚約者の案内に従い、靴を脱いだ俺はそのまま木製の床へと足を踏み入れる。

 実のところ、この時代では玄関先で靴の表層を完全洗浄する技術も存在しており、靴を脱ぐ意味はあまりないらしいのだが……この靴を脱ぐ方式は、元日本人である俺の我儘を貫き通させて貰った形となっている。

 内部は和洋折衷というか、流石に武家屋敷そのものではなくしっかりと壁紙を貼った洋式の壁やら電気機器やらが並んでいて……俺の認識にある「ちょいと金持ちのおうち」という感じに仕上がっていた。


「ここが私の部屋となります。

 いつでもお気軽にお越し下さい」


 最初にそう案内されたのは、正妻ウィーフェであるリリス本人の部屋だった。

 入口すぐに右手に折れたところにある部屋は、凡そ20畳ほどの宴会用大部屋サイズで、内部にはデスクと使なサイズのダブルベッド、ゆらゆら揺れるロッキングチェアに敷物と、さり気なくおしゃれな雰囲気を醸し出している。


 ──お気軽にって、かな?


 一人寝には少しばかり大きなベッド……しかもお姫様が使うような天蓋付き純白のベッドを目の当たりにして少しだけ微笑ましい気持ちになった俺は、知らず知らずの内に口の端が吊り上っていたらしい。


「え、え、そのっ、あのっ!

 次へっ、そ、そそそうっ、次へ向かいましょうっ!」


 とは言え、流石にまだ未婚の、それも十代半ばの少女にとっては、未使用とは言え自分のベッド……しかも何らかの意図と願望が込められた寝具を、当の本人に眺められるのは耐え難かったのだろう。

 慌てた様子で噛みながらリリス嬢がそう叫び始め、背中を押された俺は彼女の部屋から追い出されてしまう。


 ──どうせ夫婦になるんだから、そう慌てる必要もないと思うけどなぁ。


 背中を押されながら、俺はそう内心で呟いていたものの……おっさんと呼ばれる歳になってからデリカシー関係が壊滅しているのは熟知していたので、敢えて反論はせず、素直に部屋から追い出されることにした。


「こ、こちらが浴室となります。

 要望通りの仕様とはなっておりますが……その、微細泡浴は隣に用意しておりますので、衛生的な理由で必要となりましたらこちらで洗浄することも可能となります」


「マジか。

 ……マジか」


 次に案内された浴室を見た俺は、思わずそう二言を呟き……続けて彼女が口にしていた話など全く耳に入らなかった。

 何せ、である。

 しかも温泉旅館かというほどの、10m四方ほどの大きさがある風呂が俺の眼前には広がっていて……しかも、周辺の壁は俺の要望通り空間モニタで他所の景色を映し出せる仕様となっているらしく、今は紅葉が映える和風の景色を映し出している。


「景色はある程度自在に変更出来るよう各地よりデータ投射権を購入しました。

 山奥は勿論、宇宙空間から深海、大都会のど真ん中まで背景を変更できます」


「……大都会て」


 要するに大都会のど真ん中で全裸の入浴を楽しむアホがどこぞの時代に存在したことがあり、ソイツの趣味を後追い出来るようにそんな設定が加えられているのだろう……と、ソイツの趣味は理解は出来ないまでも、理由だけは推測出来た。

 勿論、俺はそういう露出して愉しむ趣味はない筈なのだが……と内心で呟くものの、設定が出来るのならばちょっとだけ興味が出てしまうのは事実だった。

 大勢の観衆が見守る中、たった一人、もしくは正妻か恋人と全裸で風呂に入るというのも風情があって……


 ──いや、無理。

 ──やっぱ、あまりやりたいとは思えない。


 多少はそういう特異なお楽しみもやってみたいとは思うものの……正直、は普通のプレイに飽きてからで良いだろう。

 俺は下半身的事情により叶うかどうか分からない人生計画にそんな予約を書き加えると、次の部屋へと向かうことにする。


「こちらが、あ、ああ、あなたの自室となります。

 隣にはご希望でしたシアタールームを配備しており、任意の場所に仮想力場による不可視のスクリーンを設置することも可能となります」


「……広い、のはそういう訳か」


 自室と言われる30畳ほどの、真っ白より少しだけ薄桃色のかかった壁で覆われたその部屋を見回した俺は、素直にそう呟き……すぐさまリリス嬢が行った操作により、この部屋がやたら広い理由に思い当たる。

 彼女は手元の操作一つで、周辺の壁と同じ色の「部屋と部屋とを遮るスクリーン」を適当な位置に広げて見せたのだ。

 要するにこの部屋は、仕事関係で訪れたオフィス等でたまに見かけた記憶のある、パーテーションを使って大部屋を仕切って分割できるタイプの部屋であり……しかもそのパーテーションが、らしい。

 その所為か、部屋の中には小物がほぼ存在せず、部屋の左手奥辺りにゆったりと座れるロッキングチェア、そして右手中央寄りの位置にキングサイズのベッドが一つ置かれているだけだった。


「あ、あなたに、この部屋の操作権限を委譲します。

 部屋の色やスクリーンの設置、可視不可視や透過の設定など、ご自由に行えます……が、その、ベッド周辺と、奥のチェア周辺は独立させ、少し狭くして利用した方が集中できると言われております」


「……そりゃそうだ」


 正妻ウィーフェより権限を引き受けた俺は、彼女の言葉通りにパーテーションを設置することで操作を試しながら、そう呟く。

 現実問題、だだっ広い部屋で一人ぽつんと眠るのも、映画館ほど広い空間でただ一人きり映画を見るのも、そう落ち着けるようなモノじゃない。

 少なくとも一般庶民でしかない俺は、六畳一間ほどあれば映画は十分に楽しめる……いや、それ以上の空間があると逆に集中できないだろう。


「衣服などはこうして壁の内部にクローゼットが格納されておりまして、微細泡洗浄によって常に清潔に保たれる仕組みとなっております」


「……なるほど」


 婚約者であるリリス嬢は俺に部屋の説明をしてくれているが、生憎と俺は先ほど引き継いだこの部屋の操作権限で遊ぶのに夢中になっていた。

 仮想力場とやらの能力を生かしているのか、それとも他の技術なのかは分からないものの……壁の位置や色を自在に変えられるばかりか、天井の何処にでも灯りが点せるし、その光度も色彩も自在に変更できる仕様なのだ。

 取りあえず照明関係を、ムードチックなピンク色や、昔流行ったディスコ風のミラーボールとかって名前だったか、虹色にキラキラ光らせるヤツなど、ひとしきり変更して遊んだ後、部屋全体を透過して青空が見えるように設定してみる。


「きゃ、っとと……ああ、空を見たかったのですか。

 この状態でも雨は入りませんが、直射日光を浴び過ぎて気分を害される方もいらっしゃいますので、長時間のご利用は……」


 流石に突如として室内が野天になったのはびっくりしたのだろう。

 リリス嬢は少しだけ慌てた声を出したものの、すぐさま冷静さを取り戻してそんな忠告を口にし始めた。

 ……だけど。

 生憎と今の俺は、晴天に浮かぶにばかり意識が向いていて……彼女の小言と言うには可愛らしい小さな忠言を耳に入れる余裕すら存在していなかった。


「……何だ、ありゃ」


 何しろ、俺が室内から見上げたその青空には、が……軍用の輸送機らしき機影がくっきりと視認できたのだから、俺がそんな呆けた声を上げるのも仕方ないことだろう。

 しかも、上空を飛んでいるその機体は、黒煙を噴き上げながら、明らかにのだから。



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