5-3 ~ 自宅 ~
「まず1階から順番に市民登録課、環境課、建設道路課、産業課、防衛課、医療課、そして
その建物に正面入り口より入って最初にある案内板の前で婚約者であるリリス嬢がそう告げたのが、我が「自宅」案内の最初の一歩だった。
そんな俺の眼前には、これまた区役所かどっかで見たような案内板があり、各階各部署の名前が載ってある。
文字は相変わらず俺自身の知識では読めないものの、
と言うか、こうして案内情報を脳へと伝えてくれる
「1階の市民登録課ですが……これは都市に移住することとなった住民の各種データを保管する部署と、「市長邸」全体の案内になります。
登録データはこの場所のみならず地下のデータバンクとクラウド上に常時バックアップを取っておりますし、既に登録自体は
未来の
である以上、住民がほぼいない現状だとこの区画はほぼ無駄でしかなく……いや、彼女の言葉が正しければ、住民が増えてもこの1階層は全く無意味な構造のようである。
──なら、何故造った??
俺は自然とそんな疑問を抱くのだが、その疑問自体は婚約者であるリリス嬢も予期していたのだろう。
「昔からの伝統で、1階には総合案内を設けるのが市長の自宅における風習なのです。
勿論、この階層自体はテロリストを始めとして、市長の身柄や遺伝子を狙う輩が危険物を持ちこんでいないかどうかをスキャンする役割を持っておりますし、対テロ用の立てこもりに使用するために入り組んだ構造となっておりまして……この階層に全く意味がない訳ではありませんが」
事も無げに彼女はそう告げると、指先一つすら動かすことなく1階層にあるという室内スキャンを実行し、アルノーやユーミカ……ヘリポートに置いてきた三人娘を除く警護官たちが持っている武器の類を瞬時に暴き、俺の眼前の空間モニタに映し出して見せた。
そのスキャンによって、全身金属塊のアルノーは身体の各部に隠し武器を大量に仕込んだ、文字通り武器の塊であることを見抜かれてしまい……身体を機械化してまで隠していた武器を見抜かれたその時は、身体ばかりか精神まで機械式のような彼女も僅かばかり落ち込んでいたようだったが。
まぁ、多少の犠牲はあったものの、この区画の存在意義については十二分に理解できたように思う。
「通常、あ、あああなたが利用される場合は、その、こちらの専用エレベーターを利用される予定ですが、今日は真正面の階段を……エスカレーターを利用しましょう」
本当に1階は対テロ用の防壁以上の意味はないらしく、リリス嬢はすぐさまその階の説明を終え、次の階層へと進むべく歩き始める。
幾重にも重なる開いたままの隔壁を超えた先にあった、翻訳の都合上エスカレーターと訳されたソレは、正確に言うと階段が動力によって動く機構であるエスカレーターそのものではなく、ただの坂道でしかなく……どうやら靴による抗重力装置と磁力によって、靴が坂道を勝手に登って行く仕組みとなっているようだった。
要するに階段が動くのではなく個々人が動く仕組みなのだが……まぁ、面倒なのでエスカレーターで良いだろう。
「2階は環境課となります。
各種ゴミの再生施設から下水処理施設、浄水施設の管理を司る部署となります」
2階に上がったリリス嬢はそう語るものの……その部署も現状では殆ど何も存在していないに等しい有様だった。
唯一稼働しているのは、ゴミの再生施設と下水処理施設、浄水施設をモニタする巨大な空間モニタが中央区画に三角柱の各辺として大々的に映し出されていること、だろうか。
「勿論、これらの情報は管理者個人の
我が婚約者様はそう笑いながら語るものの……その余計な説明の所為で、この部屋の素晴らしく未来的な雰囲気がぶち壊しだった。
身体だけとは言え少年となってしまった俺の、未来的な憧れを返してくれと小一時間は説教したいところである。
「まぁ、当然です。
スタッフは各施設に常駐もしくは自宅に待機していれば良く、この部署に集まる意味は、ないんですから。
ここは各施設のリアルタイム情報の統括、管理用ロボットのメンテナンス、各施設データのバックアップ、そして各スタッフへの通信程度しか担ってませんので……っとと」
そんな俺の気分を把握したのか、意外と専門分野には語りたがるタイプらしいユーミカさんがそう告げ、警護官のリーダーであるアルノーに睨まれている。
──はぁ、やっぱり時代が違うんだなぁ。
こうして巨大な空間モニターに描かれている各数値を眺めた程度で状況など分かる訳もなく……俺は適当に各種数字を眺めているふりをして見せながら、毎日半時間以上も費やして自宅のパソコンでも出来る図面作成のために会社に通っていた日々を思い出し、こっそりと溜息を吐き出していた。
ちなみに、こうしてパッと見たところでは、赤色系統のヤバそうだと思われる色の数値がない上に、専門らしきユーミカさんも何も言わないことから、ゴミ再生施設や下水処理施設、浄水施設の三つには問題がないことだけは理解出来た。
まぁ、実際のところこの海上都市が造られ始めてからまだ一か月も経っておらず……施設完成から一週間も経たずにエラーが発生しているような施設は救いようがないと思われる。
いや、勿論……そういう「実働してみないと分からない問題」ってのが意外と多いことも、社会人として働いていた身から重々承知してはいるが。
「まだそのスタッフも募集中であり、常時管理体制を築き上げている最中ではありますが……取りあえず環境課の説明は以上となります」
そうしてやはり意外と狭い……奥のバックヤードにはスタッフの居住区があるらしく、見える場所としては狭かった2階施設を見終わると、次に俺たちを載せたエスカレーター擬きは3階へと進んでいく。
……そのエスカレーター坂に自然と九十九折も入っている辺り、さり気なく未来都市に自分がいるんだなぁと実感できた一幕もあったりしたが。
「3階は建設道路課です。
こちらは地上の道路網と地下の配達路網、整備用点検路の維持管理が主な仕事となります。
この課に至っては未だ何も存在しておらず、これから立ち上げる部署となりますのでご了承下さい」
3階に入って未来の正妻様が告げたその内容は、2階で耳にした内容を全てぶっ飛ばすほどのインパクトがあった。
とは言え、考えてみればすぐに分かる。
──まだ、道路、殆どないからなぁ。
地下の配達路網や整備用点検路などは、拡張工事の際に合わせて造っており……まだ新しいので現状、管理は不要という話なのだろう。
本来ならば都市計画の一番最初に道路網の計画も立てなければならないのだろうけれど、この海上都市『クリオネ』は優秀な
「スタッフも募集中であり、明日以降、信用のある方から選ぶ予定となります」
こういう人員配置や問題発生より前にシミュレートを行い、
なにせ俺の暮らしていた時代では、問題が起こってからじゃないとお役所様は動いてくれない、見事に泥縄な対応しかしてくれなかった記憶しかないのだから。
尤も……某北の国では部署の違いで道路を三本並行して造ったとか、計画が先行し過ぎて問題があった事例も聞いたことがあるので、人類が進歩したってのはただの勘違いなのかもしれないが。
「4階は産業課……農業プラントと食肉生産プラントの維持管理、他都市との貿易処理が主な仕事となります。
現在はそれらも計画が存在しているだけであり、この都市には簡易ユーグレナ生産装置だけしか存在していませんが」
「……そう、か」
ユーグレナとは、光合成を行う藻類の特徴と、動物特有の運動細胞を有する微細藻類……要するにミドリムシである。
つまるところ、この人工島もあの病院と同じく栄養摂取のみならば可能であるから安心してくれと未来の
だけど……
──俺は退院しても、まだろくなものを食えないのか。
幾ら栄養価とカロリーが十分入っていると言っても、ゼリー状の物質ばかり口にしていては人生味気ないことこの上ない訳で……俺としては早急に産業部門の育成に力を注いで欲しいと切実に願うところである。
だが、この人工都市は幾ら俺が名目上の市長とは言え、
である以上、俺の勝手な一存で……しかもたかが食欲如きでその計画をどうのこうのしようとは思わなかった。
「なら、この部署には頑張って貰わないとな」
だけど、まぁ、それでもゼリー状の食物に飽き飽きしている身である俺としては、こうして一言だけ「もうちょっと頑張って欲しい」という要求をさり気なく伝えるくらいはかまわないだろう。
……そう、思っていたのだが。
「は、はいっ!
計画をすぐさま見直し、産業部門をメインにした計画を練り直します」
どうやらこの時代の『男の我儘』ってのは『女性は何としても叶えてあげるべき事項』であるらしく……まるでかぐや姫の物語に曰く「龍の首の珠」を持ってきてくれと言ったが如く反応が返ってきた。
──いや、文字通りか。
記憶にある限り、絶世の美女であるかぐや姫が結婚する条件として突き付けたのが入手困難なお宝だったように、リリス嬢も俺の望みを叶えることが結婚の条件と認識しているような張り切り具合である。
生憎と俺は絶世の美男子などと言うつもりはないが、この時代で言うところの10万人に1人の男であり……
──そりゃ、必死になる訳だ。
文字通りかぐや姫の立場になったと理屈の上で理解した俺は、婚約者であるリリス嬢の入れ込み具合に納得し……自分の迂闊な一言に対する後悔を、空を仰いで溜息と共に吐き捨てる。
ただしコレは適当な計算の上であって、その計算結果が正しいかどうかは不明であり……そして計算が合っていたとしても、計算上の「自分の価値」とやらに実感があるかと問われると、全くないとしか答えようがないのが実情だったが。
「取りあえず、次へと進もう。
まだ半分なんだからな」
「は、はい……えっと、その。
分かりました、続きをご案内しますっ!」
いい加減、何もない空間を眺めるのに飽きた俺は、必死に都市計画の見直しを進めていた我が婚約者にそう声をかけると、次の階へと進むために歩き始める。
当のリリス嬢は都市計画の修正と俺の案内とどちらを優先すべきか悩み狼狽えていたが、俺が歩き出した様子を見ると、すぐさま計画を放り出して案内を再開すべく小走りに俺の前へと躍り出た。
そうして、俺たちを載せたエスカレーター擬きの運搬坂は、産業課が入る予定の4階を通り過ぎ……ゆっくりと5階へと到着したのだった。
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