5-2 ~ 新たな都市 ~


「此処が、俺の都市……」


 俺たちを載せた海中進行艇がその島へと降り立った時、俺は思わずそんな呟きを零していた。

 いや、実のところ、そう呟きはしたものの、俺は未だこの現状に現実感がなく……当たり前の話ではあるが、だなんて非常識な状況に実感など湧く筈がない。

 そもそも俺のあやふやな記憶にある限り、「島を保有する」なんて真似、一部の大金持ちがプライベートビーチとして使用するために所持する場合でしかあり得ず……要するに漫画やドラマの世界における大金持ちの所業であり、俺自身とは全く無縁の世界だったのだ。

 市長という肩書も同じようなモノで……確かにテレビでは何度か顔を見たことはあるし、実際にも選挙期間中には何度か直接目撃したことはあるが、それでも政治の世界なんて遥か彼方の出来事だったのだ。

 それが今や人工島とは言え自分の島を持ち、市長なんて肩書を手にするまでに至っている……現実は小説より奇なりとは言うものの、ここまで突拍子もない事態はなかなかあり得ないだろう。


「足元にお気を付け下さい」


 アルノーの案内に従って俺はその島へと降り立つ……錆びることのないチタンフレームの階段を下りると、足元は人工の煉瓦が敷き詰められた公園風となっていた。

 それが凡そ10m区画で広がっており、その外側には芝生が敷き詰められている。


 ──ヘリポート、みたいなものか。


 田舎の学校跡などにちょこちょこ見かけた覚えのある、Hと書かれたその施設を何となく頭に浮かべながら、俺は周囲を見渡す。

 前方には巨大な庁舎っぽい、前にデータ上で見た記憶が正しければらしき建造物があり、その周辺はまだ樹脂と金属フレームが剥き出しのままの建造物が立ち並んでいる区画が広がっている。

 その区画へ、後ろに変なタンクがくっついた車……俺の知識で検索すると、生コン車みたいなのが何やらを流し込んでいるのが見える。

 少し遠くでは金属フレームが……電気信号によって金属自らが形を変えている様子が窺え……正直、この俺の常識からかけ離れた非現実的とも言える未来の建設現場の光景だけで、俺は数時間ほど眺めていられるだろう。


「あちらが核融合発電施設になります。

 加えますと、この場の足元……地下には浄水施設や下水処理施設などが御座いますが、そちらはあまり見学しても面白くないかと思われます」


 周囲を見渡している俺にそう話しかけてきたのは、金髪蒼眼の婚約者であるリリス嬢だった。

 その彼女の指差す先……まだIの字でしかないこの島、中心部にある庁舎から最も遠くに位置する場所に俺が視線を向けると、そこには変な塔が一本立つだけだった。

 俺の常識と照らし合わせてみても、とてもじゃないが発電施設には見えない。


「あれは水蒸気やヘリウム排出用の煙突です。

 本体は海中にあり、万が一の事故発生時には水の遮蔽効果により放射線被害を防ぐ構造となっております」


「やっぱ事故はあるのか。

 ……その時の、人体への影響は?」


 俺自身が原発や原爆反対の報道ばかり聞いていた記憶が脳の何処かにこびりついていた所為だろう。

 気付けば俺は、未来の正妻ウィーフェが自信満々に告げている内容に突っ込むように、そんな質問を口にしていた。

 尤も、そんな付け焼き刃の知識から出た問いなんてこの優秀な婚約者様には問題にもならなかったらしい。


「勿論、現地作業員の瞬時被ばくそのものは避けられませんが、それでも居住地に影響のないよう、施設は重金属の隔壁や真空、そしてアクアマテリアル壁による遮蔽がされております。

 また、事故発生後の施設につきましては、放射性物質を分解するバクテリアを用いた洗浄を行うことにより、施設管理者の長期被爆を防ぎます。

 ですので、ご心配されるような人体への影響はここ200年で1件……テロによる施設自爆しか発生しておりません」


 金髪蒼眼の少女が唱える冷静な説明を聞いた俺は、「テロって恐ろしいなぁ」という感想しか覚えなかった。

 と言うよりも、彼女が言っている技術的な話がさっぱり分からなかったのだ。

 BQCO脳内量子通信器官もご丁寧にγ線がどうだの中性子が水分子でどうだの教えてくれるのだが、生憎と覚える気がない所為か、俺にはさっぱり理解出来やしない。


 ──分からないことは、分からない。

 ──諦めよう。


 俺なんざ元々科学分野に造詣が深い訳でもなく、頭が良い訳でもなく、測量技術にちょいと詳しい程度の、一介のおっさんでしかない。

 そんなヤツが600年も進んだ科学技術を……俺が暮らしていた時代でさえ、一般市民を置いてけぼりにして突き進んで行っていた科学技術を理解しようという方が間違えている。

 俺はそう開き直ると……理解している様子で大きく頷いて、核融合発電施設から視線を逸らす。

 そうして逸らした視線の先の沖合に、二隻のそれなりに大きな船舶が浮かんでいるのが目に入る。


 ──アレは?


 来たときはに気を取られていて気付かなかったが、その艦船……と言っても俺の感覚では大型の漁船程度の大きさだが、それらの船はこちらに艦首を向けることなく横付けされていた。

 ……艦首を他所へ向けているその停泊体勢は、こちらに攻め入る意思がない意思表示だろうか。


「彼女らは、この島の防衛隊です、市長。

 都市を造り始めたばかりの頃が一番テロの標的になり易いので、正妻ウィーフェ様が伝手を使い、『スペーメ』からああして防衛隊を借りて来ているのです」


 視線を辿ることで俺が抱いていた疑問に気付いたのか、警護官のリーダーであるアルノーが沖合の二隻の船舶についてそう答える。

 俺の感覚から言えば、人工島防衛のための護衛艦にしてみれば少々小型過ぎる気がしないでもないが……まぁ、600年も経てば艦隊戦のセオリーも色々と変わっているのだろう。


「……なるほど」


 彼女の話は要するに、巣から旅立ったばかりの警戒心のない小型哺乳類は肉食獣に狙われやすいという感じなのだろう。

 そしてそんなことは重々承知の我が婚約者様はきちんと対策を取ってくれている、という訳だ。

 当たり前の話ではあるが、起こると分かっている問題があればであり……これがあまり成績のよろしくない婚約者だった場合、何の対策も打たないまま日々を過ごしてしまい、俺の住む島がテロリストに狙われる事態に陥っていた可能性が非常に高い。


 ──感謝、だな。


 背後に控えている婚約者様を、先ほど海中進行艇の中で覚えた空間モニタをミラーとして使用する方法で少しだけ眺めつつ、俺は内心でそう呟く。

 優等生らしきリリス嬢はどんな質問にも答えられるよう身構えたまま俺の三歩後ろについていて、その距離を頑張って計っている様子が真面目な学生という雰囲気でまた微笑ましい。


「アルノーさん、取りあえずあの三人、放り出しておきました。

 海中進行艇はこれから自動運転で『スペーメ』へ返します。

 アイツらは……まぁ、同じ女の情けで、アンモニア気付は控えましたのでまだ暫くは目覚めないでしょう」


「目覚めたら周辺の哨戒でも命じるか、ったく。

 これだから生身の女ってのは……」


 何やら艇内の後始末を行っていたユーミカさんが、警護官のリーダーであるアルノーにそう告げ、元女性だった全身金属塊はぼやきながら肩を竦める。

 ちなみに放り出された三人娘は煉瓦造りの地べたに放り出されていて、深夜街の酔っ払いOLみたくスカートがまくれ上がって色気もクソもない……そんな救いようのない有様でぶっ倒れているのが目に入る。


 ──もう少しばかり丁寧に扱ってやっても……

 ──ま、良いけどさ。


 その余りにも雑な対応に俺はそう内心で愚痴るものの……女同士のやり取りに口を挟むほど愚かではないつもりである。

 大地に横たわる三連星を涙を呑んで放置すると、そのまま俺は彼女たちの向こう側……まだ未完成の大地の下の、海面下に沈められている巨大な円筒形の施設へと目を向ける。

 巨大な配管が数本突き刺さっているその施設は、言ってしまえば巨大なエンジンのようにも見えた。


「……あれは?」


「アレは下水処理施設ね。

 配管そのものは各家庭・施設からの下水管で、浄化した水を隣の浄水施設へと送るように……っとと」


 俺の問いに答えたのは正妻の少女ではなく、警護官である筈のユーミカだった。

 未来の夫婦の会話に口を出した、というよりは自分が詳しい分野だったからこそ思わず口を挟んだというのが正しいのだろう。

 手慣れた様子で語っていたところで、何かに気付いたように口を噤む辺り、現在の自分の立場を本気で理解していなかったようである。


「ユーミカ、市長と正妻ウィーフェ様との会話に口を挟むのは、警護官として厳禁だ、分かっているのか?」


「す、すみません。

 ……つ、つい」


 本人も自分の失態は重々理解しているようで、警護官のリーダーであるアルノーが咎めた瞬間、ユーミカさんはこちらに……婚約者であるリリス嬢に大きく頭を下げていた。

 とは言え、俺としては餅は餅屋という考え方しかなく、どうせ聞くなら詳しい方が良いだろうと続きを促す。


「えっと、続きは?」


「え、えっと、はい。

 その、基本、口径の大きな下水管から入った汚水は段階を分けて分離されます。

 外周吸水管内で仮想半透膜によって必要な水分を取り除き、水分を奪われた汚泥は外周下層の処理装置で曝気……酸素を入れることでバクテリアにより無害化を行い、残物質は成分調整を行った後、有機肥料として農業プラントへ送られます。

 また、外周下層の曝気後の残水は中心ろ過池に送られ、複層フィルターと最終膜ろ過による微生物除去を終え、浄化した水は外周吸水管から吸収された水と併せて隣の浄水施設へと送られます。

 そちらではオゾン消毒により水を浄化し、半透膜で透過した後に各地区へと給水され……各家庭へ供給される直前に再度紫外線処理を行うことで清浄な水を各家庭に届ける仕組みとなっております」


「流石は元本職。

 ……詳し過ぎて訳が分からん」


 元下水処理施設職員、現警護官ユーミカさんの説明は恐らく完璧だったのだろう。

 そして下水技術はあまり詳しくないものの、俺が暮らしていた時代とそう大差ないと感じる辺り、新たな発想の技術が投入されるよりも技術の進歩に伴い効率化が進んだだけ、だったに違いない。

 生憎と彼女の話を聞いても俺は全く理解出来ないという問題があったが……それでも聞いてみることに価値があるのだと信じたい。


「え、えっとっ!

 あちらの配管が上水道、太い配管が下水道、黒くて細い配管が電力、そして四角い管路が各家庭への配貨路となります。

 まだ家屋がないので計画でしかありませんが……家屋が完成し次第、転入者の募集に移ります。

 そちらの進捗と計画人口推移に関しましては……」


 俺が下水処理施設の説明を聞いて満足したと判断したのだろう、婚約者であるリリス嬢が慌てた様子で、新たな都市の地下にある配管類の説明から都市計画の話題を口にし始める。

 聞いていもいない説明をわざわざ口にしたのは、嫉妬と言うよりは自分の地位が脅かされることへの恐怖、かもしれない。


 ──一度、婚約破棄喰らってるからなぁ。

 ──ちょっと配慮が足りなかったか。


 彼女の必死の様子に俺は少しばかり反省すると、視線をすぐ近くにある本命……8階建ての役所としか思えない建物へと向ける。

 その8階建ての無骨な……一応僅かばかりの装飾が施された建造物は、当たり前の話ではあるが、俺が以前空間モニタで立体的に見たことのある『自宅』と寸分変わらず同じ形状をしていた。

 違うことと言えば、データ上とは異なり巨大なそれらを見上げる形となる、その圧倒的な存在感、だろう。


「……データ通り、だな」


「こちらが、わ、わわ私たちの、家になります。

 中へと入りましょう、詳細なご説明を致します」


 そんな未来の正妻ウィーフェの言葉に従い、俺たちはその庁舎へと……へと足を踏み込んだのだった。

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