第五章 「新居編」
5-1 ~ 新生活 ~
俺たちを載せた海中進行艇が海中都市『スペーメ』を出てから1時間余りが経過していたが……正直に言ってしまうと、半時間弱が経過した辺りから俺は退屈で仕方なかった。
当たり前の話ではあるのだが……海中は外が見えないのだ。
外殻が透明で周囲が見えそうな形状だったからこそ「船の中から外の景色を見ながら走れる」と、ちょっとだけ楽しみにしてたのだが……残念ながらその期待は物理現象という名の現実によって見事に裏切られた形となったのだ。
──正確には出来るっぽいんだけどな。
あくまでもソナーを使って船外の生き物の形を捉え、それを透明の外殻の内側に映し出すという形ではあるが、俺の望みを叶えることは一応、可能らしい。
とは言えそれはあくまでも映像でしかない上に、そもそも深度がそれなりで日も差さない海中には生き物なんて殆どおらず、数キロ進んで1匹見かけるかどうか……しかも高速で進む艇の中からは瞬きほどしか見えないのが現実らしく……要するに費用対効果に全く合わない究極の暇潰しでしかない、とのことである。
「勿論、やろうと思えばこの手のことは可能ですが」
俺の落胆に気付いたのか、運転を行っていた警護官のアルノーはそう告げると、俺には見えない空間モニタを何やら操作し、周囲を水流と水泡が煌めくファンタジーっぽい景色にしてくれる。
ああ、これぞ未来という感じの……どこぞの水族館で透明のチューブ内を歩く感じの映像が周囲を流れていく。
……だが、そうして前置きを聞かされた後だと、「所詮ただの映像でしかない」と分かってしまい、景色に感動する気持ちすら湧き上がりやしない。
「……元に戻してくれ」
「了解、市長」
結局、現実に敗れた俺はそう小さく告げ……直後、アルノーが指先で何かを操作した次の瞬間、外殻の外側は元通りの真っ暗の闇へと戻っていた。
それと同時に海中進行艇の中に灯りが点され……中の様子が見えるようになってくる。
「ええと、この仮定で進めた場合の税収と……そ、その後の都市計画への影響を計算し、各収入支出項目と、人口の増減を出力して……」
まず俺が視線を向けたのは、隣に座る我が未来の
この状況でも真面目に仕事をしているように見えて、先ほどからこちらへとちらちら視線を向け、目が合う度に真正面にあるのだろう不可視の空間モニタを眺め、必死に目が合った事実から目を背けている彼女の姿は、まぁ、恋している女学生って雰囲気が良く似合う。
その対象がどうやら自分らしいというのは、未だに実感が全く湧かないのだが……まぁ、それは今考えるべきことじゃないだろう。
「では、すぐに浮上して海抜0.3メートルの航行に移行します。
少し揺れますのでご注意下さい、市長」
「ああ、頼んだ」
俺たち二人の前の席……操縦席に座るアルノーはやはり金属製の骨格標本としか思えない顔のまま、あまり情動を感じられない声でそう告げてきて……俺は彼女の言葉に頷きを返す。
実際問題、彼女に情動がないのは当たり前で、そういう器官を全て撤去した上で警護官となっているからであり、その覚悟こそが彼女が高評価の警護官である証拠でもある。
とは言え、そういう未来技術にあまり造詣が深くなく、人体の一部を摘出するのを容認できない俺としては、もう彼女の存在については、「そういう個性」と割り切ろうと考えていた。
「ぅおっととと」
数分後、周辺が明るくなってきたかと思うと、すぐさま海中進行艇全体に揺れが走り……気付けば真っ青な空が周囲に広がっていた。
俺たちの乗っている船が無駄な海中移動を諦め、海上へと浮かんだのだ。
──まぁ、ホント無駄でしかなかった、な。
それもこれも、未来技術に触れてみたいと考えた俺が「しばらくの間海中を進んで欲しい」と告げ、操縦者であるアルノーが俺の意見を全肯定してくれたからなのだが……やはり「無駄は無駄でしかない」という結論しか出なかったというオチが待っていた。
何しろ海中移動は水の抵抗というブレーキが常にかかり続けるため、進行速度があまり上がらないのが大前提である。
如何に凄まじい未来技術であったとしてもそれは避けられることではなく……海中だろうと海上だろうと普通に使える
とは言え、それでも水の抵抗がかかる海中は、速度に累乗する形でエネルギー消費が激しくなるため、あまり速度を出さないのが基本であり……特に俺たちの乗っている小型艇は高速での海中移動を想定していないため、水の抵抗が大きく、力場へ回すエネルギー出力もさほど大きくないという実情があった。
速度を出し過ぎると、海水の抵抗を除去するための力場にエネルギー出力の大半を持っていかれ、結局は速度が出なくなってしまう……そういう実験結果を
──それに比べると……
──海上に浮上すると早いな、やっぱ。
アルノーの手元にある速度計を見る限り時速800kmとか出ている海中進行艇……既にその名前を裏切っている「空も飛べる船」の現実を目の当たりにした俺は、そう内心で呟いていた。
事実、水の抵抗から解き放たれた艇は、今までの5倍以上の速度で進んでおり……やはり俺の希望に沿って海中を走ってくれたのは本当にただの無駄でしかなかったのだろう。
「レーダーによると不審な船舶は確認できません。
いつでも戦闘に移れる態勢を維持しつつも、銃器類にはロックをかけたままとします」
次にそう告げたのは、銃火器の管制を担当していたユーミカさん(38)だった。
男性が載っている船は都市にも住めない、男性と全く縁のない独身女性たち……所謂『外民』に狙われやすいためこういう警戒が必要だと、彼女はマニュアル通りだろう対応をしてくれている。
俺としては心配のし過ぎだとしか思えないが、人様の仕事に口出しするほど傲慢にはなれないため、黙って眺めることしか出来ない。
「……くっ、一時的に銃火器管制をアルノーに移管。
心拍数の増大を確認、臨時投薬を行います」
俺の視線に気付いたらしきユーミカは突如としてそんなことを告げたかと思うと、首筋に何やら小瓶を当てる。
それは興奮鎮静剤……日常で用いる、脳内の静脈に常時流し込まれている類の薬物では抑え切れなくなった強烈な性衝動を無理矢理鎮静化するための無針注射器だと言うのは、
──いや、ちょっと待て。
──目があっただけだぞ?
しかも、38歳のマダム……独身なので正確には間違えた表現ではあるが、他の言い方をするとおばちゃんとかになるため、彼女の尊厳を護るためにはそう呼びたいところではあるが、そういう呼び名が似合う妙齢の女性とこの俺……外観的には10代前半の小学生でしかない俺である。
正直、この俺と目があっただけで鎮静剤が必要なレベルと言うと「性犯罪者」という表現しか浮かんでこないのだが……これがこの時代の、女余りが極限まで達した時代の普通なのかもしれないので、あまり酷いことは口にするべきではないだろう。
「……じゃあ、コイツらは……うわぁっ?」
この海中進行艇が進み始める前までは「三人揃うと姦しい」を体現していたトリー・ヒヨ・タマの三人娘は僅か10分ほどが過ぎた辺りから静かになっており……ようやくそのことに気付いた俺は振り返って確かめてみたのだが。
彼女たち三人は白目を剥いて意識を失っていた。
その様相は……ほぼ殺人事件の現場と言っても過言ではないレベルの惨状である。
「先ほどから密閉空間で男性の体臭を嗅ぎ、興奮値が閾値に達したため抑制電流が流れ、失神したと推測される。
市長の推薦とは言え、彼女たちは警護官としてあまり役に立たないと進言する」
「……あ~」
警護官として最も優秀なアルノーが呟いたその忠告を受けても、俺は曖昧に頷くことしか出来ない。
理由は大きく三つある。
一つ目は、たかが小型船内に充満した、こんな餓鬼の体臭とやらで気絶してしまうほど異性と無縁だった三人娘の不遇さについて、思わず同情してしまったこと。
二つ目は、自分が推薦した形になってしまった以上、「つい興奮して気絶した程度で斬り捨てるのも可哀想だ」という心理が働いた所為、である。
尤も、コレは俺の本体と同年代だと思われるユーミカさんも同じように薬物投与しているため、この時代ではほぼ全ての女性がこの有様だと推測され……この三人娘だけが特別酷い訳ではないと判断できたのも大きい。
そして、最後の一つは……
──サービス、してるつもりは……ないんだろうなぁ。
気絶している三連星の、その恰好にあった。
女子中学生くらいのミニスカの少女が完全に気を失えば……幾らほぼ揺れない小型艇であろうとも、太腿に力を込め続けることなど叶わなくなるのは当然である。
要するに、気絶した少女たちは身体が弛緩した結果、大股開きで見事にスカートの中身が見えた情けない姿を晒しており……俺はそれをばっちり目の当たりにしてしまったからこそ、彼女たちの失態を咎める気は失せ、曖昧に誤魔化すことしか出来なかったのである。
そうして誤魔化したものの、この場にいる他の女性陣でも明らかに視認できるだろう彩り豊かなソレらを俺が見ても誰も注意しないどころか、特段気にした様子もなく……どうやら「三人娘がだらしない恰好をしている」程度の感想しか抱いていないようだった。
──アレか。
──羞恥の感覚も、男女逆転くらいぶっ壊れてるのかもな。
そう考えると、眼前の光景は男子中学生が悪ふざけをして力尽き、ズボンを脱ぎ散らかしてトランクス丸見え……みたいな感じだろうか。
そりゃ、だらしないって思う訳だ……と、俺は納得しつつも、不可視の空間モニタを
正直、俺としては彼女たちに警護官としての能力を期待するのは早々に諦めており、こうして目の保養要員程度にしか思ってなかったりする。
まぁ、それでもこうして脆弱に成り下がった俺よりは遥かに戦闘力は高いのだろうけれども。
「……見えてきました。
アレが新都市『クリオネ』です」
「っ、あ、ああ。
到着したかっ!」
そんな訳で、俺は外の景色が流れていることをすっかり忘れ……アルノーに指摘されるまで、ソレの存在に気付かなかった。
周囲の景色の変化に気付かないほど、夢中になって反射板を眺めていた事実を隠蔽すべく、俺は楽しみにしていたように装った声を上げ……若干の後ろめたさから俺は少し過剰なほど身を乗り出して見せる。
……そうして身体を起こしたことで、ようやく「その都市」が俺の視界へと入ってくる。
まだ距離があるためか、豆粒よりマシな程度の大きさでしかないが……この時初めて俺は、水と金属と樹脂で出来た新たな島……人工海上都市『クリオネ』をこの目で確かめることとなったのだった。
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