3-5 ~ 正妻と恋人と ~


「……大丈夫なのか、それ?」


 正妻ウィーフェ恋人ラーヴェが共に暮らす……それを未来の当事者たる婚約者が薦めてくる事態に、俺は思わずそう訊ねていた。

 実際問題、21世紀の感覚で言うと……いや、俺が覚えている限りの過去人類史全体からしてみても、どう考えてもは「刃傷沙汰が避けられない愚行」としか思えなかったのだ。

 だけど、婚約者であるリリスにとっては、俺の懸念こそ不可思議な思想だったらしい。


「それは……当然でしょう?

 殿方を独り占めするなんて、男性共有法違反ですし。

 男性には正妻を決める義務の他、恋人を自由に選ぶ権利があります」


「……優等生か」


 リリス嬢の小さな唇から放たれた言葉は文字通り、法律上・社会通念上の話であり、独占欲とか男女間のドロドロした感覚を一切知らない人間からしか口に出来ない代物で……俺は思わずそんな突っ込みを入れてしまう。

 男不足が極限状態に達している時代の生まれである彼女は男女間の機微などとは無縁だったのかもしれないが……現実として、幾ら法律や社会通念として一夫多妻が許されていたとしても、それだけでは動かないのが男と女というものだ。

 事実、過去の歴史を少し紐解くだけで、妻同士の権力争いや嫉妬や派閥で殺し合いやらギスギスした人間関係やら……ハーレムというモノは、どれもこれも「男の夢とは縁遠い有様だった」と脳みその片隅にある記憶が叫んでいる。


「ああ、有名な毒婦フージョを心配されているのですか?

 確かに彼女の事件は有名ですからね」


 リリスの口から離れた毒婦「フージョ=Wウィーフェ=マヌク」……この時代より112年ほど昔の、検索をかけると一発で出てくるような有名人である。

 ふと意識を向けるだけで勝手に検索しやがったBQCO脳内量子通信器官が吐き出した情報を簡単にまとめると以下の通り。

 男女比がまだ1:1,081程度で、男性共有法が何とか形になった時代、正妻としてマヌクに嫁いだフージョは非常に独占欲が強い、一夫一妻を至上とするキリスト教原理主義に傾倒した人物だったそうだ。

 一夫一妻に拘泥し、夫を束縛して恋人を作ることを許さず、また市長の義務である都市住民への精子提供すらも嫌った彼女は、山羊の精子を夫の精子と偽って都市民に提供したのだ。

 当たり前だが、山羊の精子で人間の卵子が受精する訳もなく……いや、受精しても着床することはありえず、僅か3年ほどで彼女の欺瞞は衆目に晒され、怒り狂った都市民の女子たちは当然のように暴動を起こす。

 怒り狂った彼女たちの殴打を受けたフージョは、原型を留めないほど……骨折していない骨がないほどの形で発見され、まだ一歳だった彼女の娘も母親と同じ姿を晒すこととなった。

 そして、暴徒たちの狂乱は夫であるマヌクにも向かってしまう。

 希少な男子であるマヌク氏は腹上死……暴徒である女たちに犯され続け精を搾り取られた挙句、心臓発作で死んでいるのが発見された……というのが一連の事件の流れらしい。


 ──悲惨な事件だ。


 別に精子なんざ精通した後は毎日のようにティッシュと共に捨てられるような代物なのだから、流出するのを必死に止める必要もないと思うのだが……まぁ、その辺は胤をばら撒くだけの野郎と、自分の子供を産み育てる必要がある女性との考えの違い、だろうか。


「一連の事件は知っておりますし、勿論、正妻教育の中でも義務は義務、権利は権利であり不可触とするべきと教わっております。

 ですので、あ、あ、あなたには、是非、恋人を作る権利を行使して頂きたいと思っております」


 そして、フージョの事件についてリリス嬢はそう語るものの……それはあくまでも理想論だろうと俺は考える。

 そうして男女間が理屈だけで回るのならば……世の中の殺人事件は半分以下になるんじゃないだろうか?


「……まぁ、了解した。

 取りあえず、部屋は多数要るってことだな」


 彼女の言葉をただの理想論でしかないと確信しているとは言え、彼女より年下の身体と成り下がってしまった俺が幾ら理屈以外の粘質的な男女間の情動を語ったところで、優等生のリリス嬢には届かないだろう。

 早急に説得を諦めた俺はそう頷くことでこの問題についての議論を取り止め、問題そのものは頭の片隅に置いておくこととした。

 ……未来への丸投げとも言うが、まぁ、社会人をやった経験があれば、このくらいは日常茶飯事である。


「はい、そうですね。

 平均的な男性の恋人ラーヴェの数が3人なので、余裕を見て6人の設計としております。

 勿論、この数を超えるようでしたら増築をしますので、あまり気にする必要はありません」


 何と言うか、あまりにも男にとって都合の良い……いや、良すぎる待遇に俺は思わず閉口し、気付けばその発言の裏を考えてしまっていた。

 だけど、俺が幾ら考えたところで……俺が恋人を複数作ることによって未来の正妻となる彼女が何らかのメリットを得られるとは到底思えやしない。

 あまりにも婚約者の言葉が不可思議だった所為か、知らず知らずの内に俺の顔には、そんな疑問が浮かび上がっていたらしい。


「勿論、私にも……私たちの運営する都市にもメリットがあります。

 恋人が多い男性というのは、精力的な方ということですからね。

 そういう男性は提供する精子の受精率、着底率が高いとの評判でして。

 女性が都市を……男性を選ぶ際の基準の一つとなるのです」


「……あべこべじゃないのか、それ?」


 俺が抱いている疑問に気付いたリリス嬢がそう告げるものの……俺は、彼女の口にしたメリットとやらには懐疑的だった。

 俺としては専門的な知識がない以上、受精率やら着底率やらについて言及するつもりはないのだが……それでも恋人が多い男性が精力的ってのは、どうにも順序が逆な気がしてならない。

 恋人を多々作るから精力的なのではなくて、精力的だからこそ恋人を何人も作ろうとする、のが正解だろうと思うのだ。

 なのにこの少女は統計学だけ見て、俺が恋人を大量に作れば精力的になって精子が高く売れる……移住者が押し寄せてくると勘違いしているらしい。


 ──まぁ、女の子、だしなぁ。


 こっちはおっさん……玉が造り出す白濁液から陰茎の機微に至るまで実体験から理解している成年男子である。

 尤も、その辺りの記憶はすっからかんであり、ただの感覚しか残っていないのだが……それでも机上のお勉強しかしていない小娘よりは詳しい自負がある。

 ……詳しかったところで何の自慢にもなりやしないが。


「まぁ、その辺は往々に、な。

 取りあえずは家の間取りを決めよう」


「……そう、ですね。

 まだあ、あ、あなたは、その、お若いですし。

 実感が湧かないかも、しれませんね」


 とは言え、そんなことを語ったところで、俺自身がこんな精通も迎えていないような餓鬼の身体に成り下がっている以上、説得力はなく……机上で学んだ気になって得意げなリリス嬢を説得することは出来ないだろう。

 それが容易に理解出来た俺はそう言葉を濁し……婚約者の少女もそれに納得してくれたらしい。

 そうして俺たちは空間モニタを前に顔を突き合わせ、二人がこれから住む家の間取りを決める。


 ──まぁ、言うだけならだ。

 ──要求だけはしてみるか。


 そう呑気に考えた俺は、未来の正妻であるリリス嬢に無茶苦茶な要求を突き付けるつもりで……少しだけ困った顔を拝んでみようと好き勝手言ってみた。

 いや、好き勝手を言ったつもりだった。

 詳しい間取りやこの時代の物価や常識については語るほど理解出来ている訳ではないから省くものの……結論から言うと、シアタールームも巨大な総ヒノキ張りの風呂もプールも実現してしまうこととなってしまったのである。

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