3-4 ～ 自宅選定その２ ～
「すみません、こちらを忘れておりました」
都市計画を策定してから3日後。
婚約者であるリリス嬢がアポもなく突如として訪れ、挨拶もすることなくベッドに寝たままの俺に向けて開口一番にそう告げるや否や、空間モニタを開き始めたのだ。
本来ならばあるだろう、事前のアポや来室前のノック、顔を合わせた際の挨拶なんかの礼儀を完全に無視した彼女の挙動があまりにも先日の雰囲気と異なっていて、何処となく「優等生らしくない」違和感を覚えた俺は、その原因について考えを巡らせるものの……
──ま、婚約者だからな。
──普通に会いに来てもおかしくない、か。
すぐさまそう肩を竦めると、咽喉まで出かかった「礼儀」に関する説教を呑み込み、彼女の作業が終えるのを静かに待つこととした。
全く実感が湧かないどころか、有能な中学生を騙している気がしてならない「婚約」ではあるが、それでも書類上は一応、俺の婚約者になっている。
こちらとしても入院中……リハビリ中の上、まだこちらの文明に慣れている訳ではなく、ただ筋トレしか趣味の無い身であり、「よほど嫌なヤツ以外」との但し書きはつくが、暇つぶしに来てくれるのは誰だろうと大歓迎なのだ。
尤も、
とは言え、優秀な筈のリリス嬢が、礼儀も挨拶も忘れ必死に準備を行っているその慌て具合を見る限り……どうも、その手の社会常識すらも完全に失念しているようにしか見えなかったが。
──これは……本気で大事なことを忘れていたことに気付いたパターン、だな。
──ほぼ確実に、後で礼儀とか思い出してテンパるだろうなぁ。
何となく彼女が慌てふためいている背景が見えてきた俺は、そんな婚約者が必死に空間モニタを展開している姿を生暖かい目で眺め……彼女が我に返った途端のリアクションに期待しながら待つことにした。
幸いにして、彼女の優秀さは消えてなくなった訳ではなく、ほんの数秒で説明のための準備らしき動作は終わり……リリス嬢は一つ大きな深呼吸をすると、真っ直ぐに俺へと向き合ってきた。
「あ、あ、あなたの、自宅……ええと、都市機能の中心地という意味ではなくて。
わわ私たちの、その、家じゃなく……そう、居住空間について、決めるのを完全に抜かっておりました。
その授業では、都市作成については、習っていたのですが……」
「……それは、大事だな」
……そう。
要するに彼女は俺の都市……と言うのも実感が湧かないのだが、俺が治めることとなる都市の計画ばかりを立て、俺の住む場所の存在を完全に忘れていた、らしいのだ。
俺の感覚で言えば、頑張ってキャラクターメイキングで外見ばかりを気合入れて造ったものの、肝心のステータスを一切設定していなかった感じだろうか？
生憎と安月給で働く身で、自宅を持とうなんて考えたこともなかった筈だから、例えが妙に貧乏くさくなってしまったのは否めないが。
ちなみに、俺自身としては新たに都市を一から構築する現状にすら実感が持てず、都市の中心地という意味での庁舎なら兎も角、「そこに自分が住む」ということを全く実感出来ていなかった。
早い話が、未来の正妻の間抜け具合を欠片も笑えず……似たもの夫婦とからかわれても反論の余地がない有様である。
「何か、ご希望がありましたらお教えください。
それらを全て叶えた部屋をデザインして見せます。
……出来ると、思います」
「……う～ん」
婚約者が目を血走らせて……恐らく「自宅の存在を忘れていた」失点を必死で取り返そうとしているその形相から目を逸らしつつ、俺は内心で自宅について思いを馳せる。
……だけど。
──そう言われてもなぁ。
幾ら考えたところで良い案なんて浮かぶ訳もない。
何しろ俺はこの時代の科学技術……庶民の生活水準すらまともに理解していないのだ。
それでも必死に欲しいモノを思い浮かべてみると、マッサージチェアが欲しいとか大画面で映画を見るシアタールームが欲しいとか総ヒノキ張りの大きな風呂が欲しいとか、枯山水の日本庭園が欲しいとか、ビキニ姿の美女で溢れるプールが欲しいとか、まぁあまり現実的でない案ばかりが浮かんでくる始末である。
そんな安直で叶いそうもない夢しか浮かばない、貧乏性の自分を嗤いながら肩を竦めたところで、リリス嬢が慌てた様子で以前見た都市全体計画像を展開しつつ口を開く。
「ああ、言い忘れていました。
庁舎の最上二階を自宅と考えておりますので、面積は凡そ5千平方メートル、延べ床面積にして1万平方くらいを、予算として1億
「はぁ、なるほ……はぁっ？」
どうせ聞いても分からないだろうと、彼女の話を適当に聞き流していた所為で反応が少し遅れてしまったのだが……幸いにして面積の単位が俺の知っているものと同じだったこともあり、彼女がどんな無茶苦茶を言っているのか理解してしまった俺は、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
──5千平方メートルって……
──市役所の敷地くらいの面積だぞ、おい。
勿論、市役所の敷地面積がどれくらいだったか具体的な数字はさっぱり覚えていないものの、彼女が口にした面積が自宅としては非常識極まりないレベルだということだけは、俺にでも理解た。
幸いにして予算である1億
たかが俺の自宅程度に、都市の年間運営額の8％をも費やすつもりなのだから考えるだけでも胃が痛くなってくる。
「……流石に、広すぎない、か？」
「いえ、男性の自宅としては平均程度でしかありません。
都市の中心部となる施設ですので、むしろその程度は必須だとも言えるでしょう」
困惑する俺を説得するようなリリスちゃんの言い分は、聞いてみれば分からなくはない論理だった。
未だに自覚はないものの、俺は都市の長となる身であり……俺の住む場所が市庁舎になるのだと考えると、まぁ、それくらいの面積が必要というのは、分からなくはない。
……とは言え、だ。
「し、しかし、その……自宅としては、その、広すぎないか？
しかも、二階層も使うってのは」
理屈ではその面積が必要だと分かったとしても、未だに納得できないのは、俺が安アパートでしか生きたことのない、根っからの貧乏性だからだろう。
人間一人、六畳一間があれば暮らしていけるという感覚の俺としては、たかが自分の自室のために5千平方メートルを二階層も使うというのは、幾らなんでも正気の沙汰とは思えなかったのだ。
だけど……本当に狂っていたのは次の彼女の台詞の方だった。
「ですが、安全面を考えますと、階層レベルで独立、警護させていただいた方が効率的となります。
それに将来、
ますと、この面積でも手狭になる可能性があります。
勿論、途中で階層の追加なども可能なのですが、その場合は工事費が多額となりますので、今の内に将来を見据えて広めに空間を確保しておいた方が……」
「……ふぁっ？」
今度こそ、俺の口から出てきたのは某スレで使われるような変な声そのものだった。
「こ、恋人と、共に、暮らす？
「ええ？
当たり前でしょう？」
どう考えても厄災を招くとしか思えない家族計画に俺は戸惑った声を上げるものの……肝心の婚約者の口から零れ落ちたのは、それが当然だと思い込んでいる、自分の言葉に何の疑問も持ってない声そのものだったのだ。
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