2-6 ~ 婚約 ~
「同僚が全額競馬に注ぎ込んで後悔していた時と同じような、破滅願望と解放感と後悔とが混ざり合った……何とも言えない表情」とは表現したものの、実のところ俺の記憶では、その同僚は名前も顔すらも全く思い出せないのではあるが。
何故かその時の表情だけが鮮明に、俺の脳裏へと一瞬浮かんできたのだ。
「……ぷっ、あははははっ。
そりゃそうだ」
そして、彼女が口にした「殿方は精液を巻き散らすだけのミジンコ」という表現を耳にした俺は、思わず腹を抱えて……恐らく海の底から引き上げられてから初めて、恥も外聞も忘れて爆笑していた。
実際問題、ちょいと長い男女交際をしてみれば分かるのだが、男も女もたかが染色体が一本違うだけの同じ生物であり、気分で笑い泣き叫び喚き怒り狂い、酒を飲んで飯を食い汗をかけば糞尿を垂れ流す……その程度の生き物である。
だからこそ、男がどうだの女がどうだのと愚痴を垂れる連中があまり好きではなかったのだが……いや、記憶の奥底には、その手のかなり面倒くさいのが会社にも何人かいたような覚えがあるが、まぁ、今となってはそんな連中なんてもうどうでも構いやしない。
「……って、まさかそれだけか?」
思わず笑ってしまい、話の腰を折ってしまったと危惧した俺は眼前の少女に話の続きを促すものの……少女はそれ以上を語ろうとはしなかった。
要するに、彼女が言うところの『婚約破棄』は、たかが「男にミジンコ扱いされたから言い返した」というだけで発生したことになる。
「それだけ、って……
要らぬことを言って殿方の機嫌を損ねたんですよ?
だから、私にはもう……都市を追い出されて子供も産めず、田舎で社会への不満をぶつけながら同じ女性に石を投げ、警備の兵達に撃たれて殺されて終わるような未来しかないんですよ、あはははは」
その乾いた笑いを直視してようやく気付いたのだが、眼前のリリスという名の少女は、どうやら相当追い詰められているらしい。
少なくともこの未来社会では、10万人に1人しかいない男性に嫌われることとは、要するにエリートコースから叩き出され、人生を失敗するような代物なのだろう。
具体的な例が今一つ思い浮かばないが、お嬢様系の進学校に通っていた少女が、つい教師のヅラを取ってしまって学校中から白い目で見られ追い出されそうになってるイメージだろうか?
もしくは万引きが見つかって……ああ、これは教師や警備員から脅迫されるエロ系コミックを読んだ記憶が不意に脳内に湧き上がってきた。
彼女はそういう感じの人生の転落を味わい、人相が変わるレベルでへし折られてしまい……こうしていつ地下鉄の線路に飛び込んでもおかしくない壊れ方をしている、という訳だ。
「いや、浮気したとか同性愛に走ったとか放火したとか子猫を切り刻んで殺したとか
「貴方は私を社会不適合者と思ってませんかっ!
そのような犯罪行為は全く断じてしておりませんっ!
そもそも浮気しようにも同性からは毛虫のように嫌われ、殿方との接点すら何一つないんですよっ!
あと、言うに事欠いてっ、ば、ばば、売春なんてっ!
幾らなんでも酷過ぎますわっ!
同性相手に身体を売る売春なんて、落ちるところまで落ちた、社会貢献すら出来ず配給も受け取れない女がする底辺の仕事ですのにっ!」
思いつくがままにつらつらと語っていた俺に対し、リリス嬢は声を荒げて抗議し……すぐさま我に返って言い過ぎたと口を押えてしまう。
どうやら彼女はかなり言いたいことは真正面から言ってしまうタイプの少女らしく、正直、俺としては彼女の反応を見るのが楽しくなってきていた。
ちなみに、先ほど語っている中でふと気付いたのだが、俺が口にしようとしていた援助交際を売春へと、万引きを窃盗へと自動的に翻訳してくれたのは……恐らく翻訳機能の所為だと思われる。
元の時代で犯罪色を薄めるため忖度していただろうそれらの犯罪行為は、この時代では純粋な犯罪として認識されているらしく、一切の忖度なしに純粋な犯罪行為として扱われており……そんな背景があったからこそ、売春やら窃盗やらの単語へと変換されてしまったのだろう。
加えて言うならばこの社会、女性同士の同性愛は性的少数派ではなく社会的に珍しくない存在ではあるらしく……だけど、あくまでも特定の相手との肉体関係として認められている。
そして、男性がいない世界での売春とは、女性が同性相手に身体を許すことであり……その職業はこの時代、救いようのない軽蔑される最底辺の仕事であり、売春婦とは完全に人生の落伍者として扱われているようだった。
尤も、それは社会全体としての意見という訳ではなく、エリートであり潔癖症だったのかもしれない眼前の少女の感覚から判断したモノであり、実際の社会ではどういう扱いを受けているのかなんて、判断する材料すら持ち合わせていないのだが。
そんなことを考えている最中にふと思いついたのだが、男性同士の同性愛はこの時代、どういう扱いを受けているのだろうか?
とは言え、そんなろくでもない性癖なんざ、個人的には検索したいとすら思えない内容でしかなく……まぁ、積極的に調べる必要も、そんな機会すらないだろうけれども。
「まぁ、大体理解は出来た、かな?」
こうして言葉を交わした時間は僅かでしかなかったが……彼女が怒る姿を目の当たりにしたことで、このリリスという名の少女は、上辺の愛想を取り払ってしまえば、どういう素であるのか、大体理解出来た。
眼前のリリスという名の少女の評価としては、外見はかなり……まだ幼いながらも将来に十分期待できるほど好みであり、そもそも打てば響くような少女の反応は、それこそ婚活アプリが相性度96%と示したことが偽りではないくらいに気に入っている。
怒ったポイントも人として当然という範疇であり、会社のお局さまみたいに意味不明の原因で瞬間湯沸かし器みたいに暴発することもなさそうで……人として好感が持てる範疇に十分収まっている。
リリスという名の少女の見極めが終わってしまった以上、少々名残惜しくはあるものの、いつまでもこうして顔を突き合せ続けている訳にもいかない。
「じゃあ、えっと、リリスさんと呼ばせて頂きます」
少なくとも社会性とか歳の差とか、要らないことを考えなければ今すぐに交際を申し込んでも構わないほどには彼女のことを気に入っており……と言うか、今、こうして顔を突き合わせているのは婚活アプリの結果であり、この席がお見合いであることを思い出した俺は、気付けばそんな前置きを口にしていた。
「はいはい、リリスで構わないわ。
どうせ、お断りなんでしょ、私だってそれくらい分かって……」
「俺は、貴女を気に入りました。
どうかリリス=
一度は人生を捨てたという開き直りの所為か、それともただ婚約というモノに対し未だに実感が伴わない所為か。
俺は、それほど緊張することもなく……歳の差とか年収がどうのとか、今まで女性に対して積極的に行けなかった色々なしがらみの存在も忘れ、ただ自然な笑顔を浮かべたまま、まるでお芝居の1シーンのようにそう告げることが出来た。
……そして。
「……う、そ」
少女が嬉しさに号泣するという瞬間を目の当たりにするのは、恐らく生まれて初めての経験で……俺は悪いことを一切していないのに身の置き場がないという非常に珍しい経験をさせて貰ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます