1-8 ~ 保護 ~


 俺が目覚めたのは今まで暮らしていたのと似たような病室だった。

 唯一違うのは、一人用の病室が異様に広く……15メートル四方くらいあるということだろうか?

 天井に張り付いているぼんやり光る紙切れみたいなのもほぼ似た規格だったのを見た時には、俺の記憶に残されたが夢だったことを期待したものだが……生憎とこの意味もなく広く、それでいて何もない光景が俺を現実へと叩き込む。

 世話になったサトミ女医の最期の姿に俺が拳を握りしめ奥歯を軋ませた……まさにその時だった。


「あら?

 目覚めたようですね」


「……誰だ?」


 まるで俺が目覚めて意識を取り戻すのを待ち構えていたかのように……いや、恐らくこの未来では血圧や脳波の数値から分かるらしく、サトミ女医も似たようなことをしていた記憶がある……そんな嘘くさい驚きの言葉を投げかけながら病室へと一人の女性が入ってきた。

 アラブが混じったヨーロッパ人だろうか、五十過ぎらしきその見覚えのない女性に俺は愛想笑いすらせず、突き放したようにそう問いかける。

 事実、身内とは言えなくとも少しばかり好きになりかけていた女性に目の前で死なれたのだから、今の俺には表情を取り繕う余裕すらなかったのだ。

 

「私はケニー=ウィーフェ=スペーメ、87名からなる連邦議員の一人です。

 クリオネ君、で宜しいでしょうか?

 貴方は、地球連邦北太平洋支部が保護しました。

 これから市民としての各種手続きを進めさせて頂きます」


「……保護、だと?」


 その老齢に差し掛かっているであろう女性から放たれた数々の聞き捨てならない単語よりも、サトミ女医がしていたように左手の甲を見せつけるような挨拶よりも、その左手の薬指で金色に輝く指輪よりも、そして彼女の言葉を考えることよりも……まず俺はその一言が一番気に喰わなかった。

 なぜならば、彼女の語る「保護」とやらはああやってサトミ女医を撃ち殺すことが入っていたからに他ならない。


「どうやら言葉は理解出来ているようですね。

 まさか連邦共通語のインストールすらされていないなんて、貴方を蘇生した人は一体何を考えて……」


「うるせぇっ!

 何故、彼女はっ……サトミさんが死ななければならなかったんだっ!

 てめぇらに、何の権限があってっ!」


 だからこそ気付いた時に俺は、何やら呟いていた彼女の言葉を聞くこともなく……自制心の欠片も投げ捨てて眼前の老女に向けてそう叫んでいた。

 これでも社会人として生きてきた身としては、激昂して叫んだり酒が入っても短慮を起こすようなことはしなかった筈なのだが……叫んだ後にそんな記憶とも言えない違和感が湧き上がってきて、俺はすぐさま自分の記憶の頼りなさに怒りすら薄れてきてしまう。

 そして……そんな俺の激昂がすぐに静まったのを見て取ったのだろう。


「男性資源独占禁止法……男性共有法、第一条と第三条違反よ。

 違反が確定すれば、その場で射殺も許可されている。

 今回のケースでは即座の降伏をしなかったばかりか、男性……貴方を人質に取る可能性もあったことから、適法の範囲内とされているわ」


「……アレが、適法、だと?」


 幾ら頭に血が上っていたところで、ただの一般人だった俺としては、真っ当に法的根拠を述べられると勢いが落ちていくのは仕方のないこと、だろう。

 事実、眼前の老女から堂々とした条項を告げられただけで、あれだけ脳内に充満していた筈の殺意はあっさりと霧散してしまう。


「ええ。

 男子出生率の減少に歯止めがかからない昨今、本来は男子を放したがらず性的搾取まで行う母親から引き離すための法律なのですけれど。

 十歳以上の男子は母親から独立するべきなのです」


 法的根拠によって勢いを削がれたとは言え、俺は未だにサトミ女医が殺されたことに納得した訳じゃない。

 訳じゃないが……俺が知っている児童に対する性的虐待も、実父が一番割合が多く、次に義父だったような覚えがある、気がする。

 そう考えると、男子出生率が減少しているという彼女の言葉が正しいのなら……男児が希少化して男性との出会いがなくなってしまった社会では、母親の性的関心が男児に向かうのも、まぁ、否定できないのではないだろうか?


 ──何なんだよ、それは。


 つまり、サトミ女医が殺されたのは、あの連中が悪の権化という訳ではなく、法律上適正な捜査行為を行った挙句、ただ勘違いされて殺されてしまっただけに過ぎない、と?


 ──なら、俺はこの怒りを、誰にぶつければ……


「男供法第一条、男子は満十歳にして独立し、一個の街の代表者である長となるべし。

 同条第二項、全ての男子は連邦政府に登録し、その遺伝的資源を公共に供することを妨げてはならない。

 同第三条、遺伝子提供者であっても男子の独立を妨げることは許されない。

 これらの法律は、男女比が著しく狂った現代社会で、社会秩序を護るために絶対必須となっている法律であって……」


 ケニーとかいう婆が何やらぺらぺらと口を回しているのを適当に聞き流しながら、俺はようやく一つの真理にたどり着いていた。


 ──彼女の死が社会的正義だと言うのなら……

 ──間違っているのは、そんな社会の方だろう?


 そう辿り着いてしまったならば、後は簡単だった。


 ──そんな間違っている社会なら……この俺が、ぶっ壊してやる。


 俺は未だに燃え盛る激怒と憎悪をその決意の元に何とか押し潰すと……全身全霊で表情を取り繕って笑みを浮かべ、口を開く。


「お話は、理解しました。

 では、俺は……何をすれば良いでしょうか?」

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