第二章 「婚約編」

2-1 ~ 体力測定 ~


 まず地球連邦の一市民として生きていく覚悟を決めた俺が最初に行わなければならなかった行動は、『男子登録』とかいう訳の分からないモノだった。

 いや、勿論『男子登録』をすることの意義などはケニー議員から聞かされてはいるものの、妊娠適齢期の女性が遺伝子提供を受けたい男性を選ぶため、とかいう……俺にとってはような代物だったのである。


 ──世界中から結婚相手を探すってこと、か?

 ──まぁ、この時代で少子高齢化が致命的なまでに進んでいたら、そういうこともあるかも、な。


 それだったら結婚相手が見つからなかったサトミさんが北極の海底に沈んでいた俺を復活させたことにも一応の理由が出来るのだが……ま、今となってはその辺りの動機なんてもうどうでも構わない。

 そんなことよりも今俺が考えるべきは、この『男子登録』についてだろう。

 尤も、『男子登録』と言っても基本は俺の身体データを集めるだけであり、身長体重座高、3サイズやら……この辺りは大昔に経験した身体測定と大差ないので、大して語るべきこともないのだが。

 俺自身が「その問題」を今になってようやく実感したのは、病院の施設内にあった運動施設の中で始められた、体力測定に入ってから、だった。


 ──何だこの貧弱な身体は……


 測定の一つである50m走に挑んで完全に実感したのだが……現在の俺の身体は泣けるほど貧弱極まりなく、たかが50mを走り終わった段階で大の字に横たわり息を切らし動くことも出来なくなった状態で、俺はただそう嘆くことしか出来なかった。

 勿論、病み上がりだからと言い訳出来ないことはない。

 だけど、走っている最中、記憶の片隅から30を過ぎて酒の飲み過ぎと運動不足の所為で「全然走れなくなった!」と嘆いた記憶が湧き上がってきたのだが……今の俺の身体は記憶の中にあるその「中年のおっさんだった頃の身体」よりも遥かに走れなかったのだ。

 足が上がらない、身体が前に進まない、そもそも息が続かない。

 と言うか、たった50メートルで13秒かかるって男の走力じゃないだろう。

 こんな貧弱すぎる身体では、昨日ケニー議員を激情のまま縊り殺そうとしたところで、あっさりと返り討ちになったのではないだろうか?


「では、次は握力を……」


 それからの運動能力はもう悲惨の一途でしかなかった。

 仮にも「そろそろヤバいけど一応健康の範疇に入っている中年のおっさんだった」俺の感覚から言わせて貰えば、立ち幅跳び1メートルや握力10kgって一体どう頑張れば出る記録なのか教えてほしいレベルの数値である。

 議員の筈なのに暇だったのか、ケニー何某議員が案内役のロボットと共にそれらの付添をしてくれたのだが……彼女の視線が健康な少年を見る目から徐々に可愛らしい小動物を見る目に変わっていったのはどういう訳だろう?

 ちなみに彼女と会話が可能だったのは、俺が寝ている間に連邦共通語……サトミ女医がたまに口走っていた訳の分からない言語をお蔭らしく……何というか、都会に出てきて使わなくなって忘れていたけど、脳内の何処かにこびりついていて自然と出てくる故郷の方言、みたいな感覚で普通に喋ることが出来ている。


「……次は、血液検査、か」


「どうかしましたか?

 髪の毛を頂くだけで処々の検査は終わるのですけれど……もしかして、髪の毛を抜かれて痛いのが怖い、のですか?」


 浮かない顔の俺に気付いたらしく、ケニー議員はそう問いかけて来るものの……生憎と俺は血液検査が怖くてそんな反応をした訳じゃない。

 いや、それ以前に「髪の毛で血液検査」って時点で二十世紀から二十一世紀にかけて生きてきた俺には訳が分からない事態なのだが……まぁ、科学の発展に従って色々とあるのだろう。

 俺が暮らしていた時代でも、採血は徐々に少なく、針は痛くなくなった……というおぼろげな感覚が残っているのだから、600年余りも経過した現在では採血のための注射なんて野蛮な習慣は存在すら消えてしまったらしい。


「……いえ。

 俺……自分の身体は半分が再生されたらしく、この髪の毛もどこまで本物なのかなぁと」


 俺は自分の頭から生えている、色素が完全に失われていてどう見ても「作り物」にしか見えないその髪を引っ張って眺めながら、そう告げる。

 とは言え、600年以上先の時代はとっくに完全な情報化社会となっているらしく、俺が抱いていた不安を吹き飛ばすべくケリー議員が口を開く。


「ああ、クリオネ君。

 貴方の治療データは全て接収しております。

 あの医者……サトミという名の彼女は、順法意識は兎も角として医師としての腕は良かったようですね。

 まさか全身が壊死したあの状態から髪の毛までも完全に健全な身体へと戻すなんて……ああ、その件も含め、治療データは連邦のデータバンクに登録済みです。

 この記録によって連邦の医療技術は更に前進することでしょう」


「……はぁ」


 そう思うならサトミさんを殺してんじゃねぇとか、そんな治療データがあるんだったら何んで血液検査なんてのが必要なんだという内心の叫びを押し殺しつつ、俺は本物とのお墨付きのついた自分の髪の毛を数本、躊躇いもせずに引き抜くと、ケニー議員が持っていたシャーレへとそれらを放り込む。

 その髪の毛を眺めてふと思い出したのだが……俺のうっすらとした記憶が正しければ、俺の髪は真っ黒でちょっとだけ白髪が混じり始め、だけど生え際の後退は決定的にならずまだ何とか持ち堪えていた筈なのだが、先ほど引き抜いたこの髪の毛は、色素が一切見られない純白の髪の毛になってしまっている。

 単なる白髪と違い、本当に色が抜けて透明めいているのが不気味とも言える。

 ある意味で、クリオネの名に相応しいとは言えるのだが……生憎と何度こうして目の当たりにしたところで自分の髪の毛とは思えやしない。


「では、これで登録のための情報は出揃いました。

 数日でクリオネ君の連邦市民登録が完了します。

 都市を作成する必要もありますが……これは勢いで決めると後日修正に苦労する場合が往々にしてありますので、知識ある者との協議の末、慎重に決めることをお勧めします」


「……都市?」


 ケニー議員が何気なく発したその言葉を聞いて俺の脳内に浮かんだのは、かなり昔に見たコマーシャルだった。

 今日からあなたが市長ですって言われて、街を作って……プロレス技で悪党を薙ぎ払って娘を助けに行くんだったか?

 何か色々と混ざっている気はするが、今はそれどころじゃない。


「翻訳が、上手く働いてない?

 都市を、作成する?」


 ……そう。

 連邦市民になることは、まだ何とか受け入れられる。

 要するに日本で戸籍を作るために……そんなに簡単じゃなかった気がするし、体力測定なんかは完全に余計な手間だと思っているが、まぁ、そういう類の話だと納得は出来るのだ。

 だけど、俺都市を作成するってのは、どう考えても翻訳機能の問題としか思えない……俺の常識から考えてもさっぱり意味が理解できない言葉の繋がりだったのだ。


「翻訳は間違えていませんよ。

 十歳を迎えた男子は独立し、都市の長となるように法で定められております。

 ああ、警護官も雇わなければなりませんね。

 そうそう、正妻ウィーフェも決める必要があります。

 ですが、今の時期だとしっかりした娘はなかなか……」


「待て、待て待て待て待て。

 ちょっと待って下さい」


 正直、ケニー議員の口からこの10秒余りの間に訳が分からない単語が山のように流れて来た所為で、俺のさほど賢くない脳みそは完全に彼女の言語を許容できない有様へと突入してしまっている。

 俺は深呼吸を三度することで混乱する頭を何とか落ち着かせ……


「何故、都市を作成する、必要が、あるんです、か?」


 まず、最初に疑問が生まれたその単語から問い質すこととした。


「あら、その辺りの説明は受けていなかったのかしら?

 現代の男女比は1:110,721。

 男性は都市を形成し、その都市に住んで税を納める妊娠適齢期の女性たちへと精子を提供する義務があるの」


 何というか理解出来ない数字やら聞き捨てならない単語が出てきた気がするが、俺はその驚愕を頭の片隅へと放り捨てて、ただ話を聞くことを優先する。


「酷く簡単に説明すると、子供を望む女性は都市に住み、男性へと貢献し、その貢献度が高いほど優先的に精を貰い受けることが出来るのよ。

 まぁ、その優先度と言うのは納税額だったり容姿だったり成績だったり、その辺りの点数の付け方は男性側に……都主の好きに出来るのですけど。

 俗な言い方をすれば……えっと、二十世紀辺りで言うなら、後宮ハーレムかしら?」


 さっぱり理解出来ないままにそこまで聞いた俺はようやく、どれだけ頑張って聞いたところで、彼女の話がということを

 いや、そもそも理解しようとすること自体が間違えているのだ。

 ……各々の時代の常識なんて理解しようとしても無駄でしかなく、「ただそういうものだ」と諦めて受け入れることしか出来ない……そんな当たり前でどうしようもない現実を、今更ながらに俺はようやく理解してしまったのだった。

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