1-5 ~ 窓の外 ~
リハビリを始めて凡そ一週間くらいが経過しただろうか?
変な服を着て身体を動かして、洗浄されて不味い飯を食って寝て……を一日に何度も繰り返したものだから、全く時間の感覚などなくなってしまっていた。
しかも、この病室には窓もなく、天井の薄い張り紙で部屋の明暗が左右されるものだから、時間を知る術などなく……だから、凡そで一週間くらい、としか言えないのだが。
──しかし、誰とも合わないのは何故だ?
こうして体感時間で一週間ほど寝て起きて病室周りで運動して、を繰り返している訳ではあるが……その間、この病室の前をサトミ女医以外、誰一人として通らないことが、ここ数日間非常に気になって仕方ない。
勿論、力仕事というかシーツの取り替えや何かを運んでいるらしき機械製のロボットが走る姿は幾度となく目の当たりにしていて、この病院が稼働していない訳ではないのは分かるのだが……幾ら省力化が進んだ未来とは言え、ここまで人が居ないのは尋常ではないだろう。
ついでに言えば、ロボットしか見かけない所為で変な妄想が浮かんできて仕方ない。
──もしかして。
──俺とサトミさん以外の人類が全滅しているなんてない、よな?
言ってはなんだが、南極の海に沈んでいた俺なんて、道端に落ちているゴミ以下の存在である。
何しろ、俺はろくな技能も持ち合わせていない一般人でしかない上に……拾うのに凄まじい労働力が必要となるのだ。
そんな俺を拾い上げ、遺伝子治療と再生手術を試み……こうしてリハビリまでしてくれている。
それ自体はありがたいのだが、明らかに凄まじい費用がかかっているのは間違いなく……そして俺はその費用を払う術を持ち合わせていない。
社会人になると金金金と世知辛くなるのは仕方のないことではあるが、人を動かすにも機械類を動かすにも金がかかるということは紛れもない事実なのだ。
そんな金にならない俺を金をかけて助けるなんて、俺の貧相な想像力じゃ、俺自身に凄まじい希少価値が……サトミさんと対になる最後の雄である、くらいしか思いつかない。
──その場合はアダム役くらいはこなしてみせるけどな。
この、俺の好みのど真ん中よりボール一つ分低め、且つボール半分内角よりのストレートであるサトミ女医とであれば、アダムとイブとなって世界に人類を繁栄させる原初の人類となるのも苦にならないだろう。
寝る前は全身疲労で指先一つすら動かすことも億劫だった所為か、俺は目覚めた後も何故か起き上がる気も起きず、ただのんびりとベッドに寝そべりながらそんな妄想を繰り広げていた。
──まぁ、何はともあれ我が息子が元気になり次第、だけど。
ここ一週間も禁欲続きの挙句、寝起きだってのにピクリとも反応しない我が息子に視線を向け……その悲しい事実に溜息を吐き出す。
この病院で目覚めてから、少々若返り過ぎた我がハイパー兵器は未だに発射体勢にすら入ってくれず、俺はアイデンティティ崩壊の危機に脅かされる毎日が続いていた。
「……そんなに外が、気になりますか?」
そうして息子の元気の無さから目を逸らそうと、俺が視線を壁の向こう側へと向けていたのが気になったのだろう。
俺が目覚めたのを察したらしく、いつの間にか病室に訪れていたサトミ女医が何処となく観念したような溜息を一つ吐きだした後、俺に向けてそう告げてくる。
実のところ別のことに気を取られ、サトミ女医の接近にも気付かなかった俺ではあるが、ナニに気を取られていたのか説明する訳にもいかず……彼女の言葉にただ頷いてみせる。
実際、外の様子が気にならなかった訳じゃないのだ。
そんな俺の仕草を見たサトミさんはやはり溜息を一つ吐いて気乗りしない様子を見せつつも……虚空に向けて指を何やら動かすと、その後に壁へと向かって手を軽く振る。
まるで曇った窓ガラスを拭くような、窓に触れさえしていないその仕草をした次の瞬間……ただの白い壁だった筈の場所は、突如として外部を映すスクリーンへと変わっていた。
「……は?、……ぁっ?」
目の前で起こった「俺の知っている科学技術ではあり得ない」光景を目の当たりにして驚きの声を零してしまった俺だったが……その直後、眼前の景色が全く理解不能だったことには驚きの声すらも上がらなかった。
何しろ、窓ガラスの……スクリーンの向こう側には、ただ純白だけで覆われた景色が広がっており、その純白の世界は明らかにリアルタイムだとしか思えない真っ白な結晶が前後左右に無軌道に舞い続けていたのだから。
──雪?
眼前の光景を見た俺は、その一面の銀景色をただの合成映像だとは欠片も疑わなかった。
ただ「俺たちがいるこの場所以外、誰一人として人類が死に絶えてしまった」……そう言われても疑おうとは思わない、まるで人類の存在そのものを拒むかのような絶望的な光景に、俺は言葉すら失って見入ってしまう。
尤も、そんなのはただの妄想でしかなく……この俺が目覚めた病院らしき施設は電気が通っているし、ミドリムシばかりながらも食事は三食しっかりと出ているのだ。
そう思い返して眼下の景色を見てみると、確かに周辺一帯は吹雪が舞い、雪が積もっているものの、それなりに幾何学的な構造物の痕跡が窺え……しっかりと人工物が存在しているのが分かる。
とは言え、それらから光が放たれている訳でもなければ人が暮らしている気配のようなものもなく、ただ雪に埋もれた施設があると分かるだけ、だったが。
──あれ?
そうして白銀の世界をぼんやりと眺めていた所為、だろうか?
何となく吹雪の向こう側……視認できるかどうかも分からないほどの遠くに、ほんのわずかな人工的な輝きが、見えた、ような……
「あまり面白くはないでしょう?
北極唯一のアルコロジー……このイグルーはもう私しかいませんので」
アルコロジー……施設内で生態系が完結している構造物のこと、だったか。
どっかのSF小説で目にした記憶があるような、ないような……相変わらず思い出そうとすれば陽炎のように消えてしまう出来の悪い脳みそではあるが、何となく意味は理解できた。
要するに冷凍保存されていた俺の身体は、誰もいなくなった北極で唯一の生き残りだったサトミさんの手によって拾われ……変な再生手術を受けてこうなってしまった、というのが今の俺の現状、らしい。
──もっと人の多い場所で拾ってくれとか、もっと上手く治してくれとか。
──まぁ、言いたいことは、多々あるにしろ……
正直に言って俺の現状は、記憶は相変わらずポンコツで、身体もこの小学生みたいな有様、行く場所もなければ金も一切持ち合わせていない、頼る人もたったの一人以外いないという、ないないづくしでもう乾いた笑いしか出ない有様ではあるが……
「まぁ、生きているだけマシ、なんだよな」
冷凍保存される前の俺がどんな人間だったのか、何故冷凍保存されることになったのか……未だに完璧に思い出すことは出来ないのものの、少なくともあまり恵まれた状況にはいなかったのではないだろうか?
少なくとも未来の展望も資産も自分自身すらも持ち合わせてない俺が悲観もせず、あっさりとそう開き直れてしまったのだから。
「ええ、頑張って身体を取り戻しましょう。
色々と困っているでしょうが……ゆっくりと一つずつ覚えて行けばいいのですから」
何もないどころか……隣にはこうして微笑んでくれる美女がいるのだ。
この世界がどんな地獄だろうと、それだけで俺は生きていける……何故かそんな確信を持ったまま、俺は隣の美女の手をゆっくりと握っていたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます