第17話 されど友は帰って来ず。孤独に眠るは死者への冒涜
リアリスへの馬車の中、私は夢を見た。
真っ白な裁判所の中で、私の両手は黒い鎖で繋がれており、ちょっとやそっとでは動くことすら許されない。
そんな中、明るい声の女性が問う。
「今回の魔界領域への侵害はダメなんじゃな〜い?」
「シャヘル。貴女の空間防御がペラいから悪いんでしょ? 私はいつでもお邪魔できるんだからね?」
「その理論、ブーメランだよネーシスちゃぁん? 鍵を閉めても蝶番が緩いから、ドア開けて入っちゃうのぉ?」
「どうぞどうぞ。私はシャヘルみたいに蟻をけしかけたりしないから」
「アァン!? 死者くらい送っても良いでしょうが!」
ガミガミと私と言い合うのは、ノアの居る世界とは違う世界の女神、シャヘル。真っ赤な髪が特徴的な子なんだけど、今みたいに怒っていると勝手に燃える。
私が呼ばれた理由は、どうやら猫ちゃん絡みらしい。
「ふぉっふぉっ、相変わらずじゃのぉシャヘル」
「老人......はぁ。だって自分の世界に異界の者を呼び込んでしまうなんて、創星者としてダメでしょ?」
「まぁの。しかし、世界を創れるネーシスには何を言っても無駄じゃわい。諦めろ」
目の前にいる二人は、いわゆる神だ。
神の中でも私の意思を尊重してくれた、数少ない神たち。だけどシャヘルはよく突っかかってくるので、本当に味方か怪しく思う。
今回の魔界三層を支配した件については、是非とも魔界の創星者と話したいものだが、残念ながらその対象は過去に私が殺した。
人間界で言う数万年前に、私とアイツは喧嘩して私が勝った。そして二つの世界を手に入れたから、片方を黒く染めた。
魔物という概念も、私が創ったものだ。
「仕方がない、儂が魔界の面倒を見ようかの」
「え!? いいの?」
「老人、トチ狂ったか?」
「若いモンにはそれなりの理由がある。ネーシスもやりたいことがあるようじゃし、よいぞ」
さっすが皆のおじいちゃんこと、南極老人!
あのクルクル回る世界を治めてくれるなんて、感謝してもしきれないよ。
「儂ら異端神にはそれぐらいしか出来ぬ。いつだって忘れるなよネーシス。お主は唯一の創星神である。創造神が真似をしても、お主の世界はお主のものじゃ」
「うん、ありがとう。それじゃあまたね〜」
もう、おじいちゃんは私を過大評価しすぎ。
言っていることは確かなんだけど、私は魔女としてのネーシスが好きだから、多少の悪事は許して欲しい。
魔女の真髄。それは神としての権能を減らしながらも、魔女として生きると決めること。
目が覚めると、ノアが私の肩に頭を置いて眠っていた。最後の戦いでは大きな活躍を残していたもんね。
私がリアリスに来て、同じタイミングで狩人になって、強くなった。今のノアは、あの四級狩人と同等以上の実力だ。テレサさんたちもきっと喜んでくれる。
「よく頑張りました」
感謝と労いを込めて頭を撫でた私は、もう一度、心地よい夢の中へと潜った。
◇ ◇ ◇
「そうかい......じゃあこれが食べ納めなんだねぇ?」
「はい! でもでも、絶対また食べに来ますから! テレサさんのチーズケーキが一番です!」
「本当かい? ありがとうね、ネーシス。あの子のこともそうだけど、この街の活気さを取り戻してくれた。勝手に代表して、感謝するよ」
帰ってきて早速喫茶リヴァロでお別れ会をした。
テレサさんや旦那さん、それにギルドで知り合った人なんかも来てくれて、暖かい空気のまま去る......予定だった。
これから馬車に乗ろうと言う時に、こんな声が聞こえた。
「そういや、今後のドブ掃除はどうすんだ?」
誰が発した言葉は分からないけど、全員が私の方を見た。流石に掃除のためにリアリスに来るのは大変だし、後輩の育成をしようにも時間がかかる。
うんうんと唸っていても仕方ないので、私はリブラに頼んで魔晶石とアクアマリンを持ってきてもらった。
「何するの〜?」
「魔力を流すだけでドブを洗う魔導具を作る。旅立つ私から街のみんなへの感謝として、プレゼントしよう」
至る所から歓声が湧いて、私のやる気は最大に達した。
魔導具作りは大変なんだけど、今回は急用だからね。私の魔力で出来た魔晶石なら、誰が使っても最大限の効果が出るから、我ながらナイスアイデアだと思う。
七色の魔晶石と、澄んだ青のアクアマリンをピッタリ嵌め込み、宝石部分に触れることで魔晶石から魔法が発動するように作る。
魔法を式にして刻み、暴発防止用にカバーを付ける。
これなら子供でも安心して使えるので、あとは適当な柱に括りつけて完成だ。
「試運転しないとね。ノア、手を触れて魔力を流して」
「う、うん! やってみるね」
水魔法が得意なノアがやっても効果が変わらないよう、もう一人呼んでくると、ドブの上流から轟音と共に汚れが流されていく。
おぉ〜、とノアの感心をよそに、一般市民にも触れてもらう。すると、ノアの時と全く変わらない威力で洗い流された。
「完成! その魔晶石は数千年は持つと思うから、一日一回から三回を目安に流してね」
「ありがとうネーシスちゃん!」
「ノア〜! ふふっ、ありがと」
馬車に乗り込む前に飛び込みハグを受け止め、「さようなら」ではなく「ありがとう」で別れる。涙を流しながら手を振ってくれる人も居たけど、皆笑顔だった。
こんなにもたくさんの人に見送られて、私は幸せ者だ。
魔女ネーシスのお出かけは、まだまだ続く。
◇ ◆ ◇
「久しぶり、ネーシスちゃん! 見てみて! 今日は私がチーズケーキを焼いたの! 一緒に食べよ?」
肩まで伸びた青い髪を靡かせ、出迎えられる。
純粋な瞳はどこまでも澄んでいて、晴れた空なんか比較にならない。
腰に差した剣は美しく、ひとつひとつの所作から剣士としての熟練度が測れる。
「ネーシスちゃん、お手紙ありがとね! 返事を書こうとしてたら、本人が来てくれちゃった。えへへ」
あぁ、なんて無邪気な笑顔なの?
十七歳にもなると社会の荒波に揉まれ、狩人として生きる辛さを味わう頃なのに。
いいや違う。
それでも尚、魂の根底にある信念を見失ってないんだ。これが彼女の生き方であり、死に方なんだ。
「あの、ね......好きな人ができたの! 相手はパン屋さんの息子さんでね、女として避けられつつある私を受け入れてくれたの」
嬉しかった。
私が彼女に願う幸せを、掴んでくれた。
乙女の恥じらいを見せる姿に大人の色気が混じり、私の思う女性としての魅力が集まったように感じたよ。
「.....聞いて、ネーシスちゃん。あの人浮気してた.....」
酷く暗い顔でそう言ったとき、私も悲しんだ。
どうしてこの子を裏切れるのだろう。どうして彼女が裏切られるのだろうと、珍しく感情移入した私は共に泣いた。
心の傷を負っても前を向くその顔には、無邪気が消えていた。だけど、英雄の如き勇敢な表情をしていた。
「お母さんとお父さんがね......死んじゃったの」
五十になる前だっていうのに、テレサさん夫婦が流行病で亡くなった。
優秀な治癒魔法使いが居ないリアリスでは、病に罹ると助かりにくい。
もっと早く来ていれば、間に合ったかもしれない。
「......ごめん、ね。私も病気になっちゃった。えへへ」
彼女の顔が紫色の発疹に覆われているのを見た時、私は酷く取り乱して魔法を乱発した。
本当は使わなくてもいい光魔法を何度も使い、病気になる前より、私と出会う前より健康で、病に強く、怪我がすぐ治る体にしてしまった。
慌てて戻そうとしたら、手で制された。
「ありがとう。この力があれば、もっとたくさんの人を助けられる。ネーシスちゃんも、たくさんの人を助けてあげてね」
悔しかった。この世界で生きている以上、私は人間だ。『凄い魔女』という肩書きを胸に付けていたのに、それ以上に素晴らしい人間が隣に居たからだ。
久しぶりの感覚だった。歯を食いしばった。
反論しようとした。そんな思考こそが愚かだと気付いた。
私はただ、彼女に尊敬の念を抱いた。死の間際に瀕しても、強く在れるその心に。
「見て! 二級狩人の紋章! いつの間にかネーシスちゃんより強くなっちゃった! え、そんなことない? 魔法は確かにそうだけど、剣は私の方が強いから!」
高みに至った彼女は、自信に満ち溢れていた。
リアリスで誰よりも有名で、信頼され、愛されていた。遠出をする時は皆に見送られ、帰ってくると宴が開かれる。
眷族から毎度「無事に帰ってきた」と報告を受ける度に、私は安堵した。
「聞いてよ〜、ナントカって貴族に求婚されたから断ったんだけど、逆ギレして殴られたの。だから急所を蹴り潰してきた」
この時の私は、もっと注意すべきだった。
彼女が国に与える影響力と、相手の貴族がただの貴族ではなく、王家に最も近いとされる公爵家だったことに。
でも私は、彼女の行動を称え、共感した。
立派になった、強くなったと、心の底から嬉しく思った。
翌年、リアリスに火の手が上がっていた。
辺境の街は木造建築が多いため直ぐに燃え広がり、彼女と私の思い出の地である喫茶リヴァロは、炭と瓦礫の塊となっていた。
幸いにも死者は出なかったが、激怒した彼女は公爵家と戦う道を選んだ。
復讐に燃える彼女に、皆が支持した。
「......準備は出来た。私は......人と戦う」
苦しい顔で告げた彼女の覚悟を、私は否定できなかった。一言で収められた状況だったが、彼女の生半可じゃない準備と意志の強さに私は負けた。
そして公爵家は全焼し、一族が滅んだ。
綿密に練られた計画により、人々が寝静まった深夜に、決意の炎が上がったからだ。
「ごめんなさい。もう私と関わらないで」
彼女は心の病に罹ってしまった。
無理もない。これまで正義感で魔物を殺し、人のために動いていた者が、ただ復讐のために人を殺したのだから。
私は彼女の言葉を無視して、毎日通った。
復興を手伝い、共に森を散歩する日々。
丸一年も経つ頃には、徐々に回復していった。
「私ね、結婚するの。あの時、ネーシスちゃんがいっぱい話してくれてから、狩人をしながら魔法学校に通っててね。そこで出会った人とね」
魔界の様子を見に行っていたら三年が経ち、手紙には無かった報告を受けた私は目に涙を浮かべて喜んだ。
遂にあの子が、本当に幸せになったんだと。
全てを明かし、血に塗れた手を取ったお相手は、心の底から彼女の心を信じていた。
故に私は、彼を信じてみた。
「えへへ〜、可愛いでしょ。双子なの」
翌年、母親そっくりな双子の兄妹を出産した。
母子ともに健康で、これからの育児による心労を憂い、私は色んな魔導具をプレゼントした。
貯金が並の貴族より多い家庭だったので、家政婦を雇ったりすることで健康のまま育児を終えた。
「うふふ、あの子から手紙が来たの。六級狩人になったんだって! 子どもの成長は嬉しいけど、狩人の道は心配よねぇ。お母さんも、きっとこんな気持ちだったのかな」
四十四になった彼女は、テレサさんのように元気だ。
今はは狩人をやめ、夫婦で喫茶店を営み始めた。店名は『リヴァロ』。私は記念すべき最初のお客さんになれた。
そこでチーズケーキを食べた私は、過去を思い出し涙を流した。
看板娘でもない、独立した狩人として生きる選択肢をとったあの子が、母親と同じ位置に立っている姿を重ね合わせ、ボロボロと涙が溢れた。
少ししょっぱかったけど、チーズの香りとタルト生地のサクサク感が美味しく、不思議とあの時より美味しく感じた。
「最近、魔物が活発になってるらしいね。ギルドも人手不足に陥ってるみたいで......私、行ってくるよ」
その日は珍しく、蒼い光を放つ月蝕が起きた。
未開拓の森は新種の魔物も多く、未知の力が月光で増幅され、危険度は爆発的に上がっている。
それでも彼女は立ち上がり、この日のためにと鍛えていた体で剣を振った。
以後、眷族による報告でこう聞いた。
「蒼い月蝕は三日続き、魔力の過剰供給で突然変異した魔物で溢れました。そして旧リアリスに向けて動いた魔物ですが、尽くをノア様とセムが撃退なされました」
「しかし最後に現れた銀毛のスターウルフと戦い......」
「相打ちという結果に終わり、月蝕も終了しました」
聞きたくなかった。まだまだ彼女は、ノアは幸せになるんだと信じていた。だけどノアは......帰って来なかった。
遺体を見た。綺麗な顔だった。満足そうだった。
内蔵がほぼ食われ、利き手ごと噛みちぎられた姿を見て、私は膝から崩れ落ちた。
助けられなかった。いや、助けなかった。
ノアなら大丈夫だと信じ込み、一人魔界で遊んでいた。
憎い。過去の私が憎い。大切な人も守れないで、何が『凄い魔女』だ。私は最低最悪な魔女だと、自己嫌悪に走った。
街を挙げての葬式の日、旦那さんから一通の手紙を貰った。
送り手は、亡き親友からだ。
『ネーシスちゃんへ
この手紙を読んでいるとき、私はもう死んでいることでしょう。あらかじめギルドの職員さんに渡しているので、届いていると信じてます。
ごめんね。先に行くことを許してください。
私はネーシスちゃんみたいな凄い魔女ではないので、結構簡単に死にます。だけどここまで生きてこられたのは、ネーシスちゃんの教えがあり、私が努力したからです。
あの日、ギルドで出会ったときを覚えていますか? 私が緊張して「いらっしゃいませ」と言ったら、職員だと勘違いしていましたね。私の恥ずかしい過去ですが、大切な記憶です。
実は私、ネーシスちゃんが本当に凄い魔女っていうの、結構早くから知ってたんです。ダンさんを覚えていますか? そう、あなたをリアリスに連れてきてくれた人たちです。ダンさんから、ネーシスちゃんの魔法のことを聞いていました。空を飛び、森を消すほどだと。
それでも私は、ネーシスちゃんに戦いを任せませんでした。ここで甘えたら腐るのは自分だと、そう言い聞かせて。でも結局、実力が伴わなくて助けられていましたね。本当にごめんなさい。そして、ありがとう。
私が大きく変わったのは、公爵家の嫁入りを断った辺りからでしょうか。上っ面の正義では人を守れないと知り、私は自分の手を血に染める決断を下しました。
ぶっちゃけると、後悔しています。なんてバカな事をしたんだと、許されることの無い人になりました。何度も夢に出てくるのは、真っ赤に燃える大きな屋敷です。中から聞こえる悲鳴は、忘れることはないでしょう。
それから私は心を病んでしまい、何度か自分の首に剣を突き立てました。しかし、どんなに覚悟を決めても、最後にネーシスちゃんの声が聞こえるのです。
「私はちょっと遠出するから、帰ってこなくても心配しないでね」
私を鍛えるときに言ってくれた言葉です。私は納得しましたが、逆の場合はどうなるんだろうと、想像してみました。そうすると、なんとですね、不思議なことに、ネーシスちゃんが泣き崩れる姿が想像できたんです。
私のたった一人の大切な親友が泣く姿、想像するだけで胸が痛くなり、剣を手放しました。そしてあなたは私を救った。
辛く当たった時もありました。ほっといて欲しいと叫んだこともありました。それでもあなたは、私の傍に居てくれた。あなたの優しさは私を救ったのです。
きっと今、この手紙を読みながら泣いていると思います。ううん、絶対泣いてる。私は誰よりもネーシスちゃんを知った気でいるからね。いっぱい泣いてるはず。
いい? ネーシスちゃん。私はね、幸せだった。世界中の誰よりも幸せだったと胸を張れる。だからね、安心して欲しいの。
あなたの願いは、ちゃんと叶ってるから。
今までありがとう。
心の底から愛してるよ、ネーシスちゃん。
あなたの親友、ノアより』
「あああああああぁぁぁぁぁ!!!!!!」
涙が止まらなかった。私の親友は、たった一人の親友は、全てを知った上で愛してくれていた。もう会えない、二度と会うことはないんだと知ると、滝のように涙が溢れてくる。
初めてこんなに泣いた。初めてこんなに大きな声を出した。初めてこんなに......人に愛された。
棺に入った彼女を見ると、あの時の記憶が蘇る。
一緒に笑った日々、一緒に泣いたとき、一緒に居た全ての時間が高速で回転し、現実に帰着する。
ぐしゃぐしゃの顔で、私は最後の言葉を送る。
「今まで......ありがとう。私の親友。大好きだよ」
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