第15話 獅子宮公爵ラス・エラセド
それは、地獄と呼ぶに相応しい。
二十五年の歳月では見ることが無い、魔物が血祭りにあげられる地獄。
刃で、音で、牙で.....あらゆる痛みを与えて魔を屠る光景を、私はただ、眺めていた。
乾いた笑いが出る。
腰の剣に触れることもない。
つい一月前まで十一級だった少女が、魔物の大群を相手に先陣を切っている。
その傍には青い剣晶狼が居り、上手く彼女を助けている。
剣晶狼とは、伝説の生き物だ。
御伽噺に出てくる、剣の結晶を生やした狼。その力は魔物と比べ物にならないほど強く、たった一頭で国を守ったと言われている。
そんな存在を連れている少女と、南側に居る大量の剣晶狼を呼び出した少女。
この二人は異常だ。特に、あの銀髪の少女は。
生まれながらにして魔力が見える私が、初めて恐怖を抱いた人間。あの少女の魔力は、私が見ることを許さない、神聖さすら感じるほどだ。
あれは人間ではない。そう......思いたい。
「援軍に来た」
「必要無いのでお帰りください」
「......お前は確か」
私の増援を即座に断ったのは、あの少女、ネーシスが呼び出した天秤を持った子だ。私は知っている、それが
ダメだ、十二星女はハンターズギルドの星と言われている。無碍に扱うことは出来ない。
「あの子、強くなりましたねぇ。キャン姉様の指導を受けると、人間はこうも変わるものなんですね」
「キャ、キャン?」
「東側で暴れている方ですよ。一ヶ月師事されていたので、彼女はあそこまで強くなったんです。それに、ネーシス様のお気に入りですし」
妬ましそうに頬を膨らませる彼女が、少し怖い。
いや、それよりも......彼女らを呼び出したネーシスが怖い。なぜ十二星女という、各国が狙う狩人を呼び出せるのか。どのような関係性なのか、それを聞くことが禁忌に触れる気がするのだ。
ただ呆然と眺めていると、群れの奥から尋常ではない威圧感が放たれた。
「皆、一度引け!」
未だ数が増える魔物の海を割って来たのは、巨大と表すことも躊躇われる大きさの獅子だった。爪一枚が大剣のように生え、あまりにも大きな顎は家ですら粉砕できるだろう。
強い。私が見た魔物の中で、群を抜いて強い。
『魔女ネーシスはどこだ』
「......は?」
『魔女ネーシスはどこだ、と聞いている』
魔物が人語を? 一体どれほどの知能を──
「あ......れ......?」
視界が......落ちて......何だこれは、温かい。
「速いですね。それにしてもこの人、首を落とされたことに気付いてませんでしたよ」
「──っは! 私は今、何を?」
気が付くと城壁前で寝かされていた。
リブラ殿の言ったことから、私が一瞬にして首を落とされたことが分かる。が、理解できない。
彼女はどうやって私を治癒し、運んだのだ?
『ふん......見えたぞ』
獅子が大きな前脚で虚空を掴む。
次の瞬間には、その爪の中にネーシスが居た。
「で、そのチーズケーキが......あら?」
『魔女ネーシス、我らの領域を侵害したな』
「お〜? 君は誰かな? お名前は言える?」
暢気にも魔獣相手に子供と接する態度を取るネーシス。ググっと前脚に力が込められるが、彼女は意に介すそぶりすら見せない。
「あはは! くすぐったい! 最近の猫ちゃんは甘えん坊だねぇ」
『......我らの領域を侵害したな?』
「領域じゃなくて縄張りでしょ? 猫ちゃんは難しい言葉を使わない方がいいよ?」
『魔界侵害は人間界への侵略許可と捉えた』
「じゃあ私も、もっと魔界を貰おっかな。まずは五百層くらいまで」
『ふざけるな!!!』
獅子の咆哮が大地を抉った。
私には二人が何の話をしているか分からないが、到底理解できない領域に居ることは分かる。今のうちに全軍撤退を命じ、被害を抑え込まねば。
後方でリブラ殿が広範囲治癒魔法を発動し、怪我人が居なくなった。
そして東を殲滅したキャンサー殿と、西を任されていたジェミニ殿たちも、今は北側に集合している。
「猫ちゃん、名前も言わないのに縄張りを返せって、私が呑むわけないでしょ?」
『......名を知られれば貴様は我を殺す』
「名前を知らなかったら殺されないと思ってるんだ。私ね、無知による無礼は許すんだけど、知識ある者の無礼は大嫌いなんだよね」
刹那、ネーシスを掴んでいた右前脚が消滅した。滝の如く血が溢れ出し、草原を真っ赤に染める。
武器も詠唱も無しに、何が起きたというのか。
私はただ、眺めていることしか出来ない。
『ラス・エラセド! それが我の名だ!』
聞いたことの無い名前だ。魔物に名前があること自体、私としては異常だと思うが。いや、本当にあの獅子は魔物か?
分からない。分からないことしか分からない。
「ふ〜ん。で、猫ちゃんは私をどうする気なの?」
『ねっ......貴様を殺しに来た!』
「わぁ物騒。殺したいならお好きにどうぞ? あぁ、アレだよ。やれるもんならやってみなってやつ? くぅ! これ言ってみたかったんだ〜!」
ラス・エラセドはネーシスを離すと、その大きな顎で彼女を噛む。が、可視化するほどの魔力壁に阻まれ、砕くことは出来なかった。
これほど美しい七色の魔力壁は初めて見た。
七色ということにも驚きだが、何よりその濃さと強度が尋常ではない。
『支配者たる我は力の権化。知を喰らい、全を踏む者』
ラス・エラセドが詠唱を始めると大地が揺れた。
周囲の魔力を喰らい、己が呼び出した魔物すらも力の糧とし、死の波が広がっていく。
「ま、魔物が詠唱だと? 何なのだアレは!」
私の問いに答えたのは、キャンサー殿だ。
「ラス・エラセド。お姉様の眷族が一人、レオが治めていた世界『レグルス』の公爵獣ですわ。力で負け、魔界堕ちした結果、先日の三層支配が気に入らなかったのでしょう。そして愚かなことに、お姉様に手を出した」
「ま〜、死ぬんじゃな〜い?」
「ミーちゃんもそう思う〜」
「ジェミニ殿たちもご存知なのか?」
「まぁね。レオはキャンサーの弟分だし、そんなキャンサーはボクたちの妹分。一応言っとくけど、リブラを除けば、ボクらより圧倒的に弱いからね、あのにゃんこ」
十二星女の中にも上下関係があるのか......初耳だ。
そして恐ろしい情報を得てしまった。目の前に居る巨獣より、圧倒的に強い存在がこの世界を守っているということを。
なぜ、彼女らは守ってくれる?
なぜなのだ?
「猫ちゃんが本気でやったら王都無くなっちゃうね」
「お姉様! 是非、是非わたくしめをお使いに!」
「ごめんねキャンサー。サジタリアと約束してるの」
「そんな......では、次の機会はわたくしに!」
「おっけー!」
な、何が起こると言うのだ? 使うとは何だ?
私の疑問は、数秒後に現実が答えてくれた。
ネーシスは両手の平を天に向け、詠唱する。
「──人馬宮サジタリアは我の武器なり」
次の瞬間、ネーシスの両手には黄金の弓矢が握られていた。その輝きは遥か遠くに居ても分かるほど強く、荘厳である。
ネーシスの背から真っ白な翼が展開すると、あの特徴的な銀髪が真っ白に光り、飛行した。
「......天使」
「それ、本人に言ったら怒るからね」
「ミーちゃん、前に怒られた〜!」
「天に仕える者ではなく、天を罰する者です」
「何を言ってるのか知らんが、黙っておこう」
ラス・エラセドと目線を合わせたネーシスは、相手の詠唱完了を待っている。右手に握られた矢は銀のようで、鏃は光を飲み込むほど黒く染まっている。
矢を番える姿を見ただけで、尻もちをつきそうになる。圧倒的な格の違いが表れている。
『我はラス・エラセド。全を喰らう者也』
「我が魔力を糧に消滅せよ。■■の根源」
い、一級魔法だと!?
驚いている私をよそに、ネーシスの放った矢はラス・エラセドの咆哮を飲み込み、遂には巨獣そのものを消滅させてしまった。
化け物。魔物よりも恐ろしい存在が、戦場を支配した。
「......ふぅ。ありがとね、サジタリア」
「勿体なきお言葉」
わ、私は......私はこれから、彼女をどう扱えば良いのだろう。
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