第2話 美を食らう魔女
「糧を我とし、空を飛べ」
身の丈ほどの杖に乗り、森の上空を飛ぶ。
暖かな風に流され、人の居るであろう方向へ身を任せていると、本当に人間を目撃した。しかも三人。
動いている方向的に、小屋から離れている。つまり、この人達の行く先に人里がある。
上空から話しかけるのは失礼と判断したため、私は杖から降りて話しかけた。
「あの〜、ここら辺に村はありますか?」
「だ、誰だ!? それより……逃げろ! ゴブリンの群れがこっちに来てるんだ!」
「ありゃま、それは危険ですな〜。ところで村は?」
「あるけど危険だ! 死にたいのか!」
鬼気迫る問答に私は目を逸らし、ピッと指先をゴブリンの群れに向けた。
地震の如く地響きを立て、近づいてくるのは緑色の肌をした人型の魔物。個体によっては角が生えていたり武器を持っていたりと、複数体を相手にすると容易に命を奪われる相手だ。
そんなゴブリンの群れ対し、私は──
「アレ片付けるので、案内してください。オーケー?」
「は、はぁ!?」
「お願いしますよ」
杖を構え、ゴブリンに向けて円を描く。
空気中に存在する魔素を円内に集中させ、紫色の輝きを放つ膜が円を覆う。
フッと息を吹くと、左目を閉じて呪文を口にする。
「炎と水の素よ、我を贄として打ち払え」
右目の瞳に魔法陣が浮かぶと、紫色の膜に同じ陣が刻まれ、ゴブリンの群れに向かって広範囲の水蒸気爆発を放った。
凄まじい衝撃波によって前方の森は大きく拓け、ゴブリンは死体も残さず塵となった。
「あ、あれ〜? 私また強くなった? 五級でこの威力はおかしくない?」
自分が作った光景に驚いたが、すぐに理由は判明した。
それは右眼にある。
この紫色の瞳には魔法の叡智が凝縮されており、その“眼”を介した魔法の威力は常軌を逸する。
分かりやすく言うと、しばらく魔物狩りの経験をしていないせいで、力を入れすぎてしまったのだ。
「な、何者なんだ? 君は」
「私はネーシス。村を探して飛ん……歩いていたところです。あなたは?」
「俺はダン。こっちは仲間のリオとケレスだ」
リーダーのダン、斥候のリオと魔法使いのケレス。
バランスの取れたパーティにうんうんと頷いた私は握手を交わし、村に着くまで雑談を楽しんだ。
どうやら彼らは依頼でゴブリンを狩ろうとしたところ、ゴブリンは群れを形成していたようで撤退したらしい。ゴブリンは数が増えれば増えるほど、指数関数的に危険度が増す魔物だ。
騎士団のような訓練を受けていなければ、まともにやり合うことは出来ない。彼らの選択は英断と言える。
「それより、君は何者なんだ? さっきの魔法を見た感じは魔法使いっぽいが......ケレス」
「か、格が違います! ネーシスさんが使われたのは五級魔法! 研究者でもなければ至れない領域ですっ!」
視界に入れることすら恐れ多いと、謙遜するケレス。
五級魔法とは、全十二級ある魔法の型のうち、上から五番目の威力を誇る。一般では、八級をマスターすれば優秀な魔法使いとされる……らしい。
そして、今しがた放った五級魔法は、威力として二級以上のものだった。
「魔法使いでいいですよ。確かに研究はしてますが、遊び半分です。時間を掛ければ、このくらい誰だって──」
話してる途中にお腹が鳴った。それも盛大に。
しんと静まり返る空気が私の思考を破壊し、血が上る感覚に苛まれた。
数分前の私よ、なぜ何も食べすに家を出たのだ。
「ははっ、着いたらメシにしよう。助けてもらった礼にお代は出す。好きなだけ食べてくれ」
「い、いいんですか!? ではお言葉に甘えます!」
「おうおう、嬢ちゃんはいっぱい食え。食わねぇと元気が無くなるからな」
リオさんの言う通りだと思う。食べないと元気も出ないし、体に不調を来たす。だから私も小屋の生活では眷族にご飯を用意してもらってたし、自分で創った“料理であろう何か”を食べていた。
前にリブラが買ってきたチーズケーキ、また食べたいなぁ。
そんなことを思っていると、村に到着した。
いや、村と言うには発展しているので、街と言うべきか。
「……見ない顔だな。旅人か?」
「ああ、彼女はネーシスという。途中で身分証を無くしたらしくてな」
「そうか。問題は起こさないようにな」
入領審査があったけど、ダンさんの顔パスで通れた。
私はきっと、幸運を掴んだのだろう。グッジョブ。
ガッシリとした印象を与える石レンガが目立つこの街は『リアリス』と言い、ダンさん達の拠点でもある。
街の治安維持や排水路の掃除まで、街のために頑張る三人はかなりの有名人らしい。
「ここが俺たちオススメの喫茶店だ」
「喫茶リヴァロ......? 美味しそうな名前」
「そ、そうですか?」
「嬢ちゃんの独特なセンスに刺さったんだろ。さ、入ろう」
カランカランとドアベルが鳴ると、三十代くらいの元気なおばちゃんが案内してくれた。どうやらダンさんたちは結構な頻度で来ているらしく、おばちゃんと仲良さげにしていた。
早速席に着いた私は、皆の言葉に甘えて好きな物を注文する。
「えっと、新緑のサラダとオークハンバーグ定食、羊肉の香草焼きと旬の川魚の塩焼き、それからサイコロステーキ定食とチーズケーキをお願いします!」
「て、定食2人前にその他ガッツリだよ!? アンタ、そんなに食べられるのかい?」
「そんなにって程じゃなくないですか? しばらく何も食べてなかったので、お腹を慣れさせようかなと」
「とんでもない子だねぇ......よし、任せな! 全部食べ切ってもらえるよう、最高の物を作るよ!」
おばちゃん、あなたは私の女神じゃぁ。
それにしても御三方、私をチラチラ見てどうしたの? 別にそこまで大食いだと思ってないけど、もしかしてちょっと食べる量が多いのかな?
それとも、ここで出てくる料理がかなりの量とか!?
......なんて心配は杞憂に終わった。テーブルの上には、色とりどりな食べ物で埋め尽くされ、私の胃から手が出そうになる。
「た、食べていいですか?」
「もちろんだ。助けてもらった礼だ」
「では、いただきまーす!」
ん〜! サラダはシャキシャキとした食感に野菜の苦味とドレッシングの甘酸っぱさが最高! オーク肉のハンバーグはいつの時代も変わらない柔らかさ、そして旨さ! 癖の強い羊肉は香草で食べやすく、旬の川魚は皮がパリパリしていて身の脂が最っ高!!
あぁ......私、幸せぇ......!!
「美味そうに食うじゃねぇか。見てて気持ちがいい」
「だな。しかも食べ方が上品だ。ダンには出来ねぇな」
「ダッハッハ! これでも最近は気を付けてるんだぜ」
「私が教えたテーブルマナー、三日も経てば蛮族流」
「ケレェェス! 死んだ目をするなぁぁ!!」
皆が楽しみながら食べている姿を横目に黙々と食べていると、気づけばチーズケーキ以外完食していた。積み上げられた皿の量を見れば、確かに私は食べる量が多いのかもしれない。
ちょっとだけ。ほんのちょっだけ。
「チーズケーキ、食わないのか?」
「今、祈りを捧げているんです」
「祈り? 神にか?」
「いえ、このチーズケーキが私の人生を狂わせるほどに美味しく、程よい甘さで、コクのある物でありますように、と」
切り分けて出されたチーズケーキを、フォークで一口分摘出し、口の前に持ってきた。鼻ですんすんと空気を吸い込むと、それはもう濃厚なチーズの香りが脳を貫き、口内へ吸い込まれた。
シュワっと泡の様に溶けたケーキは優しい甘さの爆弾と化し、私の舌を刺激する。
涙が出そうになる美味しさに溢れ、なんと温かいことか。
以前に食べたチーズケーキなんて忘れてしまうほどに人の愛を感じる作品に、私はただただ、楽しむことしか出来なかった。
そう、それでいいんだ。
「ごちそう......さまでした」
「ど、どうだい? ウチのチーズケーキは」
食べ終わる頃にはおばちゃんも近くに来ており、じっと私の反応を伺っていた。心配そうに見守る皆に向けて、感想を一口。
「最っっっ高に美味しかったです!!!」
このチーズケーキは、もはや美術品。
私の使える全ての魔法をもってしてと、再現が出来ないだろう。
それほどまでに、心を打たれた。
「今日から毎日ここに来ます」
「そんな大袈裟な。余裕がある時でいいんだよ」
「いいえ、来ます。私はこのチーズケーキを食べるために生まれました」
最後の晩餐にはおばちゃんのチーズケーキが欲しい。
出来ることなら、その前日と更に前の日にも食べたい。
「あっはっは! なら明日も心を込めて焼くよ」
「本当にありがとうございました」
おばちゃんに深く頭を下げ、私たちは喫茶リヴァロを後にした。そして出たのが、ネーシスの今後はどうなるのか、という問題だった。
優しいダンさんは一週間分の資金を出すから喫茶リヴァロの手伝いをして暮らせと言い、私の魔法を見て判断したリオさんは、
ケレスさんは両方の意見に賛成していた。
つまるところ、私次第だと。
「悪いことは言わねぇ。俺たちみたいなハンターはすぐに死ぬ。ネーシスみてぇな女の子は普通に生きろ」
「ダンの気持ちも分かるが、俺はハンターを推す。嬢ちゃんなら立派になって、いつか不自由ない暮らしができる」
「私は、ネーシスさんの判断が最良のものだと信じています」
う〜ん、どうしたものか。
私としては、これはお出かけ気分なので狩人としてちょろっと稼いで、遊びたい気持ちが強い。
でも、少し長くなりそうなので安定した安全な暮らしをしたい気持ちもある。
「......選ぶなら楽しい方を、だね。私はハンターになります。それで魔物をバッタバッタとなぎ倒して、ジャンジャンお金を稼ぎます!」
「そうか……本人がそう言うなら、俺は応援するぜ」
「絶対ぇ立派になるからな! だが今日みたいに死体も残さなかったら、討伐証拠にならないから気を付けろ」
「うぇぇ......はい、気をつけますぅ」
こうして、私の新しい生活が始まった。
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