12 友達との通話

『もしもし、ウルフ?』

「あー、うん。ミャーコか」

『そうだよ。そっちは大丈夫?』

「……まあ、大丈夫と言えば大丈夫だ」


 左腕は失ったが、HPは魔族化と自動回復とポーションのおかげで余裕がある。

 左腕もしばらくすれば元に戻るだろう。

 痛みは酷いが、それも徐々に治ってきている。

 大丈夫と言えば大丈夫だ。


『何その玉虫色の答えは? 絶対大丈夫じゃないでしょ。位置情報を教えて。助けに行くから』

「ああ、いや、ホントに大丈夫だ。来なくていい。来なくていいから」


 ウルフはミャーコを遠ざけた。

 殺人すら開き直った彼だが、友達に拒絶されるのは怖かったのだ。

 あるいは、これこそが彼の受けるべき本当の罰なのかもしれない。


『……そっちの事情はなんとなく察してるよ。全体マップに表示されてた鍵のマークが消えたからね』

「……そうか」

『もしかして……殺しちゃった?』

「………………うん」


 蚊の鳴くような声で、ウルフはミャーコの問いに答えた。

 まるで叱られるのを待つ子供のような、弱々しい声だった。

 とてもシャイニングアーツの面々を蹂躙した化け物とは思えない、普通の子供のような声。


『そっかぁ……』


 ミャーコはそう呟いてから、少しの間、黙った。

 何を考えているのかわからない。

 怖い。


『ねぇ、ウルフって確か、中学生なんだよね?』

「え? ああ、そうだけど……」


 突然、話が飛んだ。

 ミャーコは再び『そっかぁ……』と呟いた後。


『……ボクはね、リアルでは22歳の引きこもりなんだ。高校の頃にイジメられて、外に出るのが怖くなって、親のスネを齧りながらゲームしてたの。最低でしょ?』


 ミャーコは戯けたようにそう言った。

 イジメられて引きこもる。

 ウルフにはイマイチわからない出来事だ。

 彼はむしろ、家の中にいる方が怖かった。

 スネを齧らせてくれる親がいるなんて羨ましいとも思った。

 ……けれど、家庭環境が悪化した後、笑顔の消えたウルフを気味悪がって遠巻きにした、友達だった・・・奴らの目。

 あの排斥の目の怖さは知っている。

 現実に帰りたくないと叫んだミャーコの姿は共感できる。

 ミャーコはミャーコで辛かったのだろうと思える。


『君はどうなの? 君は、どうして現実に帰りたくないって思ったの?』

「…………」


 ゲームの頃は、お互いのリアルを追求するのはマナー違反だった。

 ウルフだって話したくなかったし、冗談交じりに「君、中身おっさんでしょ?」と言われた時に「はぁ!? 中学生だぞ!」と反論した時くらいしかリアルのことは話さなかった。

 今だって話す必要は無いだろう。

 現実世界のことなんて、全てを忘れてしまった方が楽だろう。


 けれど、ミャーコは話したくないリアルの姿を話してくれた。

 なんのためにと一瞬思って、すぐに気づく。

 ミャーコはきっと、今のウルフを理解しようとしてくれているのだ。

 何を思って人を殺したのか、知ろうとしているのだ。

 そのために、まずは自分のことを話した。

 ウルフだけ話すんじゃ不公平だから。


「オレは……」


 そんなミャーコの気持ちを無下にできなくて、ウルフは話した。

 それ以上に、きっと彼も本心ではわかってほしいと願っていたから。

 だから話した。

 自分の過去を。リアルでの自分を。


 両親の離婚。

 母親の破綻と暴力。

 貧困。

 学校にもロクに通えないバイトだらけの毎日。

 未来への希望なんて抱けなかった絶望。

 相談員に切り捨てられて以来、一度も誰かに話せなかったことを、ウルフはミャーコに話した。

 そして━━ 


『うわぁ。ボクなんかより、よっぽど辛い人生送ってきてんじゃん』


 ミャーコは、実に重い話を聞かされて、なんとも言えない声を出して。


『そっかぁ……。そういうことだったのかぁ……。

 うん。それなら、こうなっても仕方ないのかもしれない。うん。仕方ない。仕方ないよ』


 必死に噛み砕いて、飲み干して、仕方ないと言ってくれた。

 彼女は、今のウルフを否定しなかった。


「ミャーコ……」

『大丈夫。大丈夫だよ、ウルフ』


 労るような優しい声で、ミャーコはウルフに語りかける。


『誰が許さなかったとしてもボクが許す。君は悪くない。いや、悪いかもしれないけど、現実世界に絶望したこともない奴らなんかに、君を否定させはしない』


 それは、きっと悪いことだろう。

 どんな理由があるにせよ、殺人を肯定するなどあってはならない。

 彼女の発言は、間違った道に進んだ子供の背中を更に押す、許されざる行いだろう。

 それでも、ミャーコはウルフにそう言った。

 他ならぬ彼女自身が、彼には到底及ばずとも現実世界に絶望した経験のある彼女自身が、今の彼を否定することなんてできなかったから。

 

 世の中には、綺麗事じゃ救われないことが山のようにある。

 ウルフも、そしてミャーコも、その被害者だ。

 綺麗事が救ってくれないのなら、そんなものは放り捨てて、別のものにすがりついたっていいじゃないか。


『大丈夫。ボクは……お姉さんは君の味方だよ。君が人殺しだろうと知ったことか! 文句があるなら、君と同じ目に合ってから言えってんだよ!』

「!」


 ミャーコは、歳上として力強くそう宣言した。

 ウルフが自分を立ち直らせてくれた時のように、ミャーコもまた綺麗事ではなく、悪い言葉でウルフを救う。

 そんな彼女の言葉で、彼は━━確かに、心が軽くなるのを感じた。


 思わず、ウルフの瞳から涙がこぼれる。

 拒絶されると思っていた。

 ウルフがどんな自己弁護をしたところで、人殺しは人殺しだ。

 そんな奴が誰かに受け入れられるわけがない。

 ウルフが変わった途端に離れていった友達だった奴らのように、ミャーコもいなくなってしまうのだろうと思っていた。


 けれど、違った。

 ミャーコは受け入れてくれた。

 こんな自分を受け入れてくれた。

 彼女の悪い言葉で、彼は確かに救われたのだ。

 現実世界では誰もが救ってくれなかった少年を、この世界で出会った友達は救ってくれた。


 しばらく、通信はウルフのすすり泣く音だけを拾った。


『ウルフ。君を助けたい。君のところに行っていいかな?』

「うん……。待ってる」


 その後、ウルフが発信した位置情報をもとに、ミャーコが合流。

 疲れ果てたウルフを膝枕して寝かせ、彼に引き上げてもらったレベルを活かして、寝ている間の護衛を行った。

 魔族に安全地帯は無い。

 けれど、ミャーコの膝の上だけは、ウルフにとっての安全地帯だった。

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