9 『死』闘

「死ねぇ!!」


 ウルフの拳がブレイブに迫る。

 顔面を狙った軌道。

 速い。

 恐らくは自分よりレベルが高い上に、AGI(俊敏)にそれなり以上にステータスポイントを振っている。

 迫りくる死を前に高速回転した頭が、咄嗟にそんな分析を済ませた。


「ッッ!?」


 ブレイブは必死にそれを避けた。

 不意を打たれた上に、腕の中には解放されたタロットがいる。

 ここから取れる回避行動は限られている。

 ウルフの狙い通りに。

 ブレイブにできたのは、僅かに顔を横に倒すことだけ。

 結果、避け切れず、ウルフの右拳がブレイブの顔面左側に炸裂した。


「うぐっ!?」


 左眼が潰れた。

 ゲームだから、そこまで具体的で生々しい感触は無い。

 左眼のあった場所から激痛を感じるだけだ。

 僅かでも回避行動を取れたことで、致命傷を避けることができた。

 だが、喜んでいる暇も余裕も無い。


「!」


 残った右眼が、仕留め損なったことを認識して、容赦なく追撃を繰り出そうとしているウルフの姿を捉える。

 ウルフが左拳を構える。

 ブレイブは咄嗟に左腕を盾にした。

 次の瞬間、恐らくは『格闘術』のスキルで武器化しているのだろうウルフの拳が、初期装備に毛が生えた程度の性能しか持たないブレイブの手甲を打ち砕いて、彼の左腕を粉砕した。


「ぐぅぅ……!?」


 けれど、これもまた致命傷ではない。

 そのまま拳の勢いに押されて、ブレイブは腕の中のタロットと共に吹き飛ばされた。


「チッ!」


 またしても仕留め損なった。

 不意を打たれ、腕の中に足手まといがいたというのに、あの反応。

 ウルフは思わず舌打ちした。

 今ので決められなかったのはマズい。

 ブレイブとの間に距離ができてしまった。

 ならば、当然……。


「若造どもぉ! ギルドマスターを守れッッ!!」

「「「! うぉおおおおお!!!」」」


 コジロウの活によって、突然の急展開に呆けていたシャイニングアーツの面々が動き出し、ブレイブを守るべくウルフに襲いかかってきた。

 ただ殴るのではなく、掴んで拘束してから殴ればよかった。

 そうすれば、奴らが吹き飛ぶこともなく、こんな状況を招く前に終わらせられたのに……!

 ウルフもまた、焦りで判断を誤った。 

 悪手の代償に、何十人もの戦士達に群がられる。


「おらぁああああ!!!」


 先陣を切って突っ込んできたのは、巨大な盾と斧を装備するドワーフの重戦士、戦車。

 彼は鈍足ではあるが、ブレイブに一番近い位置にいたため、いの一番にウルフに飛びかかることができた。


(こいつだけは許さねぇ!!)


 大切なリーダーを殺そうとし、大切な妹分を酷い目に合わせた。

 その怒りに任せて、戦車はウルフ目がけて斧を振るう。

 報いを受けろクソ野郎と思いながら。

 ……しかし。


「あ? 随分と遅ぇな」

「何っ!?」


 ウルフは戦車の攻撃をあっさりと躱し、反撃の拳を繰り出してきた。

 確かに、戦車は鈍重だ。

 ドワーフという種族を選んだためにAGI(俊敏)が極端に低く、ステータスポイントも得意を伸ばすように振ってきた。

 彼のスピードは最低限。

 迷宮のボスのような大型モンスター相手の壁役としては非常に頼りになるが、ウルフのような小さくてすばしっこい相手は苦手としている。

 だが、それを加味しても、今のはあっさりと避けられ過ぎている。


「おらぁ!!」

「がっ!?」


 ウルフの左フックが戦車の頬に突き刺さった。

 鈍い痛みが走り、彼のHPが減る。


「この程度ぉ!!」

「!?」


 だが、さすがは防御に優れるドワーフと言うべきか。

 彼はブレイブのように吹き飛ばされることは無く、それどころか自分の頬を殴り飛ばしたウルフの腕を、咄嗟に斧を手放した右手で掴んで拘束した。


「チッ!」

「捕えたぞぉ!!」

「よくやった、おっさん!」

「食らえやぁあああ!!」


 戦車がウルフの動きを止め、そこに他のメンバーが踊りかかる。

 剣が、槍が、レイピアが、拘束されたウルフに迫る。


「舐めんなぁあああ!!」

「なっ!?」

「うおっ!?」

「嘘でしょ!?」


 しかし、ウルフは拘束された左腕を力任せに振り回し、大盾と全身鎧を装備した巨重の戦車を、あろうことが武器のように振るった。

 振り回された戦車の体が、後続の戦士達を薙ぎ払う。

 華奢な見た目をしているくせに、とんでもない馬鹿力!


「ガァアアアアアアアアア!!!」

「ぐえっ!?」

「こ、こいつ、レベルいくつだ!?」

「どんだけSTR(筋力)にポイント振ってるのよ!?」


 獣のように咆えながら暴れるウルフに、シャイニングアーツの戦士達は手が出せない。

 明らかに自分達よりもレベルが高い。

 おまけに、そんな奴が味方の体を振り回して暴れているのだ。

 このゲームにはフレンドリーファイアがある。

 デスゲームとなった今、どうしても味方を巻き込みかねない攻撃は躊躇してしまう。


「小娘、ちと灸を据えてやる」

「あぁ!?」


 そんな中で飛び出したのは、ギルド内で1、2を争うほどの猛者。

 単純な技量だけであれば間違いなく『最強』である老剣士、コジロウだった。

 彼は腰の刀に手をかけながら、戦車が振り回される暴風圏の中に飛び込み……。


「『居合・一閃』!!」

「ッ!?」


 ウルフの動きを完璧に見切って繰り出した抜刀術によって、戦車を振り回していた左腕を斬り飛ばした。

 ただの居合斬りではない。

 『必殺スキル』。

 武器スキルのレベルを上げることで習得できる、高火力の必殺技だ。

 発動には少々の溜めが必要であり、対人戦では使いづらいが、決まれば強力なのはご覧の通り。


 ウルフの左腕と共に、振り回されていた戦車がどこかへ飛んでいく。

 そして、ウルフを激痛が襲った。


「ぐぅぅぅ……!!」


 痛い。痛い。死ぬほど痛い。

 だが、━━それがどうした?


「らぁああああああああ!!!」

「ぬっ!?」


 ウルフは痛みを無視して動く。

 まさか、腕を斬り飛ばされてからノータイムで反撃してくるとは思わず、コジロウの刀はまだ引き戻されていない。

 その明確な隙を目がけて、残った右腕を使った渾身のボディブローが、コジロウの胴体に突き刺さった。


「ごはっ!?」


 内臓が破裂したような激痛と共にコジロウは吹き飛ばされ、近くの木に叩きつけられた。

 HPの八割が吹き飛んでいる。

 それ以上に、激痛でとてもではないが動けない。


「爺さん!?」

「嘘だろ、達人の旦那……!?」


 最強剣士のまさかの敗北に、メンバー達の間に動揺が広がる。

 そうして足並みが乱れた連中に、隻腕となったウルフは突撃した。


「おおおおおおお!!!」

「ひっ!? やめっ……ぎゃああああああ!?」

「腕が!? 腕がぁあああああ!?」

「痛ぇ!? 痛ぇええええええ!?」


 シャイニングアーツが、かつての大手ギルドが蹂躙されていく。

 たった一人の手負いの獣に。

 レベルで劣りはするが、この人数で囲めば、本来負けるはずのない相手に。


「アアアアアアアアアアアアアア!!!」

「あ、ああ……!?」


 その理由はひとえに━━恐怖であった。

 腕を失い、反撃でいくつもの武器に貫かれ、それでも全く止まらない人の姿をした化け物に、彼らは気圧されたのだ。

 仲間の悲鳴が足を竦ませる。

 自分もそうなるという恐怖によって動きが鈍る。

 そうなればウルフの独壇場だ。

 どれだけスペックが高くても、カカシのように動かない兵隊なんて敵ではない。


(痛い……!)


 だが、当然ウルフも痛みを感じていないわけではない。

 恐怖を感じていないわけではない。

 意識が飛びそうなくらい痛いし、HPが半分以下になっているのは死の恐怖を感じる。

 それでも、彼は止まらない。止まれない。

 現実世界に戻りたくないという更なる恐怖が、彼の背中を押し続けているから。


「やめろ……! もう、やめるんだ!!」


 そうして暴れ続けるウルフの前に、一人の男が立ち塞がった。

 ブレイブだ。

 ウルフと同じく片腕に深刻なダメージを受け、右腕一本で剣を構えたブレイブだ。


「ああ、そうだ」


 ギョロリと、ウルフの眼がブレイブを睨みつける。

 

「お前を、殺さないといけないんだった」

「ッ!?」


 痛みに思考を乱され、朦朧とする意識のまま、ウルフはブレイブに突撃した。

 殺意を叩きつけるようにして拳を振るう。


「死ネェエエエエエエエ!!!」


 ウルフの拳を、ブレイブは避ける。

 距離感の掴みづらい片眼の状態で、それでも必死に避ける。

 体が痛い。

 回復魔法使いヒーラーのタロットに治してもらったが、彼女自身のレベルが低いため、気休め程度の回復しかできていない。

 回復ポーションは、ゲーム開始直後の低ランクのものしかない上に、それも迷宮攻略で殆ど使ってしまった。

 ゆえに、彼の痛みは殆ど引いていないし、左腕は動かないままだ。

 それでも、彼はそんな状態で勇敢に戦った。


「ハッ!!」


 拳を避け、反撃に繰り出した突きがウルフの太ももを抉る。

 まずは機動力を削ぐ!

 走れなくなれば拘束も容易だ。


「ガァアアアアアアアアア!!!」


 だが、やはりウルフは足の痛みなど無視して動く。

 痛みでは止まらない。

 足を斬り落とすか、関節を砕くか、そうして物理的に動けないようにしなければ止まらないだろう。

 それほどに、この少女は鬼気迫っている。


「『シャインボール』!!」


 ならばと、ブレイブは魔法で光の弾丸を生み出し、発射した。

 まずはこれで吹っ飛ばして距離を稼ぎ、遠距離戦で削る。

 彼の戦闘スタイルは剣と魔法を同時に使う魔法剣士だ。

 重傷を負っても、メインウェポンを魔法に切り替えれば、まだまだ戦える。


「シッ!!」


 しかし、ブレイブの目論見は外れた。

 ウルフは光の弾丸を蹴りで迎撃し、相殺してみせた。

 直前にブレイブが斬りつけた足を使った蹴りでだ。

 痛いはずなのに、なんの躊躇もなく、それをやった。


「どうして、そこまで……!?」


 思わずといった様子で、ブレイブの口からそんな言葉がこぼれ落ちる。

 何故、ここまでできる?

 現実に帰りたいというのならわかる。

 そのために死にものぐるいになるというのなら、ブレイブは共感できる。

 だが、彼女の目的は鍵の破壊。

 帰還の願いとは正反対、この死亡遊戯を続けるために戦っているのだ。


 愉快犯的な考えで鍵を狙う輩は出てくるかもしれないと思った。

 けれど、こんな強固な意志の塊みたいなのは想定していない。

 だって、ここはデスゲームの世界だぞ?

 死が身近にある、痛みを堪えなければ何もできない、地獄のような世界だ。

 そんな世界のために、何故ここまで死にものぐるいになれるのか。

 ブレイブにはわからなかった。


「お母さんの……!」


 そんなブレイブの言葉に反応したのか、


「お母さんの、掌の方が、痛かった……!!」

「ッ!?」


 ウルフもまた、殺し合いの最中にそんな言葉を漏らした。

 ブレイブの思考が驚愕に染まる。

 わかってしまったからだ。

 その一言だけで理解してしまったからだ。

 彼女がここまで必死になる理由を。

 だからこそ、━━それが彼の動きを一瞬止めた。


「フッ!!」

「しまっ……!?」


 ウルフがブレイブの剣を掴んで止める。

 そして、その剣を思いっきり引き寄せながら前に出た。

 武器を封じながらブレイブの懐に入った。

 左腕を失い、右腕を武器封じに使い……。


「!!!」

「ぐぁ!?」


 ウルフは、ブレイブの首筋に思いっきり噛みついた。

 獣人の牙がブレイブの首を噛み千切る。

 血が噴き出すように、真っ赤なポリゴンの飛沫が舞う。

 急所に直撃。クリティカルヒット。

 視界に表示されている自分のHPがどんどん減っていく。

 ああ、これは……助からない。


「……ごめんな」


 彼は最期に謝った。

 残していく妻と子供に。そして妹に。

 帰りたかった。

 帰って妻と子を抱きしめたかった。

 あいつが、妹がこの世界に来る前に終わらせてやりたかった。

 けど……ダメだった。

 最後の最後、目の前の少女が抱える闇を垣間見て、動きが止まってしまった。


 このゲームをクリアするには、ふざけた開発者に立ち向かうという気概だけではダメだったのだ。

 自分達が死の恐怖を乗り越えるだけでは足りなかったのだ。

 自分はそこのところの思慮と覚悟が足りなかったから負けた。

 ゲームの用意したモンスターにではなく、ブレイブが見えていなかった弱者こどもの手によって。


「ごめんなぁ……」


 ブレイブは涙を流しながらそう言って━━データの塵となって消えた。

 彼は、死んだ。

 それを証明するように、彼のアイテムストレージに入っていたアイテムがあたりに散らばる。

 その中には、光り輝く大きな『鍵』もちゃんと含まれていた。


『このアイテムを所持しますか? 所持しない場合は破壊されます。 yes/no』

「『no』だ」


 朦朧とした意識で、ウルフはその鍵を拾い上げ、テキストに従って所有権を放棄した。

 その瞬間、彼の掌の中で、鍵は粉々に砕け散る。

 ゲームクリアに向けた最初の希望が、砕け散った。


『殺害による『迷宮の鍵』の強奪と破壊を達成しました』

『条件を満たしました。殴殺ウルフの種族が『魔族』に強制変更されます』

「あ?」


 そして、彼の勝利を称えるように、あるいは罪深き者にその烙印を刻むかのように、彼の姿が変わっていった。

 白かった髪が黒く染まり、白雪のようだった肌が褐色に染まり、碧かった眼が金に染まり、頬に禍々しいタトゥーが刻まれる。

 それだけに留まらず、変異は更に進んだ。


 ウルフの体が巨大化していく。

 爪が伸び、牙が伸び、全身が毛皮で覆われ、骨格すら変わっていく。

 数秒をかけて変異を終えた時、━━そこにいたのは、一匹のモンスターだった。

 禍々しい漆黒の毛皮を身に纏った、二足歩行の『狼』。

 『人狼』とでも呼ぶべき姿。


「なんだこりゃぁ……」


 そんな自分の変異を、ウルフの疲れた頭では上手く飲み込むことができなくて、彼は不思議そうに首を傾げた。

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