8 交渉

「鍵は渡す。だから、彼女を解放してくれ」


 ブレイブはそう言って剣を手放し、戦意は無いことをアピールしながらメインメニューを操作した。

 仲間の命に比べたら、鍵なんて惜しくはない。

 迷宮攻略で誰かを犠牲にしたわけではないのだから、もう一度挑めばいいだけだ。

 その時こそ、こういう輩への対策を徹底した上で。

 ……しかし。


『このアイテムは、アイテムストレージから移動させられません。十五の鍵を同時に『海の大迷宮』の大扉の前に揃えることで、自動で効果を発動します』

「…………は?」


 予想外のことが起きた。

 アイテムストレージから取り出そうと『迷宮の鍵』の欄をタップしたところ、そんなメッセージが流れたのだ。

 しかも、ボイス付きで。

 思いっきり、目の前の少女にも聞かれた。


「え? え?」


 これには、さすがにブレイブも動揺し、何度もタップを繰り返した。

 だが、返ってくるのは繰り返されるメッセージだけ。


「どういうことだ……!?」


 ブレイブは本気で焦る。

 鍵を渡さなければならない状況で、肝心の鍵が出てこない。

 制作者の悪意しか感じない状況だ。

 しかし、その余裕の無い必死の様子が目の前の少女……ウルフに、恐らくこれは演技ではないだろうという感想を抱かせた。


「『迷宮の鍵』はアイテムストレージから動かせないのか……」


 据わった目でウルフは思考を回転させる。

 彼の精神はトラウマのフラッシュバックの時から回復していない。

 表面上は冷静に話を進めているように見えるが、内心はドス黒い狂気が渦巻いている。

 それこそ━━ミャーコの懸念通り、人としての越えてはならない一線を、容易く踏み越えかねないほどに。


「おい、お前。ブレイブって言ったよな?」

「あ、ああ」

「お前、そこに転がってる剣で首かっ切って死ね」

「え……?」


 あっさりと。

 あまりにもあっさりと、ウルフはブレイブに自殺を強要した。


「プレイヤーが死ねば、所持してるアイテムはその場に散らばる。自分で取り出せねぇなら、それしかねぇだろ」

「ッ!?」

「なっ!? お、お前、何言ってんだ!? 本気でイカれてやがるのか!?」


 ブレイブが息を呑み、戦車は信じられないものを見る目をウルフに向ける。

 自分達を襲撃し、人質を取って身代金カギを要求する。

 そこまではまだわかる。

 いや、充分に犯罪ではあるのだが、まだ取り返しがつくレベルだ。


 だが、これはそんな取り返しがつくラインを軽く逸脱している。

 失った命は戻らないのだ。

 この世界なら、もしかしたら蘇生アイテム的なものが手に入るかもしれないし、そもそも救世高徳の発言が悪質なイタズラであるという可能性も微粒子レベルで存在するが、少なくとも現時点では、デスゲーム開始以降に死んだプレイヤーの蘇生は確認されていない。


 なのに、目の前の少女は、微塵の躊躇いもなく死を要求してくる。


「イカれてる? ああ、そうかもしれねぇな」


 ウルフは、戦車の発言を肯定して。


「だけど、オレはこの世界を守るためだったらなんでもやるぜ。━━なんでもだ」

「ッ!?」


 狂気に満ちた視線が、戦車を射抜いた。

 戦車は確信した。

 理屈よりも先に、本能で確信した。

 ああ、こいつはイカれてると。

 あの救世高徳と同類のイカレポンチだと。

 だって、あの狂人の演説を聞いた時と同じように……。


(ふ、震えが止まらねぇ……!)


 こいつを見ているだけで、気持ち悪くて、理解ができなくて、怖気が止まらないのだから。

 少女の頭上に表示されているアイコン。

 他のプレイヤーに危害を加えた証明である、ドクロ印の識別マーク『罪の烙印』。

 それが、これ以上ないほどにおどろおどろしく見えた。


「ほら、早く死ね。そうじゃねぇと、こいつをぶっ殺すぞ」

「ぐっ……!?」


 ブレイブは選択を突きつけられ、震えた。

 自分は死ねない。死ぬわけにはいかない。

 帰らなければならないのだ。大切な家族のところへ。

 だが、だからといって仲間を見殺しにもできない。


「それと、そこの爺。動くな」

「!」


 ウルフの意識がブレイブに向いている隙に、密かに人質のタロットを救出できる位置を確保しようとしていたコジロウが見咎められた。

 そして、


「ああああああッッ!?」

星羅せいらぁ!?」


 その罰を与えるように、ウルフはタロットの指を躊躇なくへし折る。

 現実と違って最低位の回復ポーションや回復魔法で治る傷ではあるが、痛いものは痛い。

 苦しむ妹を見て、姉であるアルカナが思わず妹の本名を叫びながら泣き出してしまった。


「オレは敵意には敏感なんだ。ずっと、そういうのを警戒する生活をしてたからな」

「お主の中身は裏稼業か何かか……! これは本当に参ったのう……!」

「やめてくれ!! 妹に酷いことしないでくれ!! この通りだ!!」


 アルカナが中二病特有の高いプライドをかなぐり捨てて、土下座をした。

 ウルフはそんな彼女に一瞥もくれないまま、


「おう。すぐに解放してやるよ。そいつが死んで、迷宮の鍵が壊れたらな」


 冷たい声でそう言った。

 慈悲は無かった。


「…………わかった」

「ブレイブ!?」


 だが、アルカナの思いは、届いてはいけない奴に届いてしまった。

 急かされて思考時間を削られ、仲間の苦しむ姿を見せつけられて余裕を失わされ、彼の思考は短絡的で最悪な選択肢へと誘われてしまった。


 それも仕方がないだろう。

 今までの彼の人生に、ここまで悪辣に追い詰められた経験は無い。

 勇気と意志と行動力を持っていたとはいえ、ただの一般人にこの状況は過酷すぎる。

 焦って当然。間違えて当然。

 ブレイブは自分で投げ捨てた剣を手に取り、震える手で己の首筋へと持っていく。


「ブレイブさん!?」

「おい、ギルマス!?」

「やめなさい! 早まるんじゃないわよ!」

「皆。僕が死んだら、家族を頼む。多分、ジャンヌはこっちに来てしまうはずだ。あの子から僕の家族のことを聞いて、向こうに帰れたら助けてやってくれ」


 メンバー達が慌てて止めたが、ブレイブは首筋に当てた剣から手を離さなかった。

 自分は死ねない。死ぬわけにはいかない。

 大切な家族のところへ帰らなければならない。

 けれど、ここで自分が死ななければタロットが死ぬ。


 究極の二者択一だ。

 どちらも選べるはずがない。

 選べないはずの選択肢を、傾かないはずの天秤を無理矢理傾けられるとすればそれは━━仲間達への信頼。

 こんな状況でもついて来てくれた彼らなら、残していく家族を悪いようにはしない。

 その確信が、ブレイブに覚悟を決めさせた。

 決めさせてしまった。


「約束してくれ。僕が死んだら、必ずその子を解放すると」

「ああ。テメェが死んで、迷宮の鍵が壊れるのを確認したら、すぐに離してやる」

「……信じるぞ」


 信じられる要素なんて無い狂人の言葉。

 だが、さすがにこの数を相手に勝てるなんて思ってないはずだ。

 鍵の破壊という明確な交渉材料があれば、交渉でどうにかなる余地はある。

 その小さな可能性を信じて、ブレイブは首筋に当てた剣に力を……。


「ダ、ダメぇ!!」


 ……込めようとして、止まった。

 静止の言葉。

 それを言ったのが━━他ならぬ人質にされているタロットだったから。


「ブレイブさん、リアルに奥さんがいるんでしょ!? 生まれたばかりのお子さんにデレデレだって、ジャンヌちゃんが言ってたじゃないですか!?」

「タロット……」

「そんな簡単に死なないでください!! 私は、大丈夫ですから……!」


 痛いだろうに、怖いだろうに。

 タロットは、必死に強がって泣き笑いのような表情を浮かべた。

 彼女は、強かった。

 中身はただの女子高生だというのに、本当に強かった。


 ブレイブの手から完全に力が抜ける。

 決めたはずの覚悟が霧散し、自ら命を断つ勇気が失われる。

 追い詰められて慌てて選んだ間違った道から、引き戻された。

 引き戻してもらえた。


「……やばいな」


 それを見て、ウルフはポツリと呟く。

 これはダメだ。良くない流れだ。

 なんとなく、このままじゃ目的は達成できないと感じた。

 ウルフは別に交渉の達人ではない。

 中身はまともに授業も受けられていない中坊だ。

 だからこそ、ここから話術だけで目的達成まで持っていく自信が、彼には無かった。


 ついでに言えば、余裕も無かった。

 ウルフの精神はトラウマのフラッシュバックと、ゲームがクリアされるかもしれないという焦りでいっぱいいっぱいだ。

 リスクを計算に入れず、こんな危ない橋を躊躇なく渡ってしまうくらいには平常心を失っている。

 悠長に構えていられるだけの、精神的余裕が無かった。


「いいぜ」


 ゆえに、彼は。


「そんなに言うなら、返してやるよ」

「え?」


 ことを急いて、すぐに次の手を打った。

 タロットを拘束していた腕を外し、彼女の体をブレイブ目がけて思いっきり突き飛ばす。

 彼女は呆けたような声を上げながら、ブレイブの胸に吸い込まれるように収まった。


「は?」


 人質が解放された。それはもうあっさりと。

 まさかの事態に、誰もが一瞬思考を止めた。

 思慮の足りない者が起こした急展開が、奇しくも相手の意表を突いた。


「死んでくれねぇなら、オレが殺すだけだ!!」

「ッ!?」


 突き飛ばしたタロットを追いかけるようにして、ウルフは一瞬にしてブレイブの懐に飛び込んだ。

 不意を打たれ、迎撃態勢なんて整っているはずもないブレイブに、ウルフは奇襲をかけたのだ。

 足りない頭で考えた、渾身の奇襲作戦。

 それがブレイブに牙を剥いた。


「死ねぇ!!」


 ウルフの拳が、持たざる者の絶望が込められた拳が、ブレイブに迫った。

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