隣の幼馴染み婚約者に溺愛されているっぽい。

 右手に温もりを感じて目をあけると、陽に照らされた蜂蜜色の髪が視界に飛び込んできた。


「スイ……?」


 はっきりと声に出したつもりだったけれど、それは掠れて半分も音にならずに空気に吸い込まれた。しかし、仮眠程度だったのか、声を聞いてガバリと体を起こした彼の翡翠色と視線がぶつかった。


「アイラ!よかった、目を覚ましてくれて……」

「ごめんね」


 カサカサの声が喉から漏れる。


「痛いところはない、わけないか。動かないほうがいいよ。キレイに切れてたとはいえ、深かったから」


 彼の指示にうなづいて返事をする。今は恐らく麻酔が効いているのだと思う。


「ご両親に連絡してくるね。待ってて」


 彼が病室を出て行くと、静寂が訪れた。無音の中で、意識を飛ばす前のことをぼんやりと思い出す。あの時、何かとんでもないことを言った気もするけれど、あまり覚えていなかった。

 スイが、私を守ってくれたのだ。

 あのブローチがなければ、私は命を落としていたかもしれない。

 彼にきちんとお礼を言いたかった。


「アイラ、これからご両親来るって」

「ありがとう」

「ん、別にいいよ、これくらい。アイラのためなら何でもするよ」


 きっと、私がどれだけ感謝をしているか、彼は全然知らないだろう。それでもよかった。長い時間の中で、伝えていければいいのだ。


「でも、もっと早く駆けつけられればよかった。本当にごめんね」


 心底申し訳なさそうに言う彼に、首を振って答える。


「スイが、守ってくれたよ」

「え?」

「ブローチ」

「……そっか。守れて、よかった」

「だから、ありがとう」


 彼の綺麗な瞳から涙が零れ落ちた。

 彼が泣くのを見たのは久しぶりで、それほどまでに心配をかけてしまっていたのだと、その時気づいた。死ななくて、本当によかった。

 少し気まずいのか、鼻をすすって笑みを浮かべた彼は私の頭を撫でた。


「家族が来るまで一眠りするといいよ。ちょっとお手洗いに行ってくる」


 はにかんで、彼は病室を後にした。

 穏やかな日差しが私を眠りに誘う。うとうとと微睡みの中へ引きずり込まれていった。


 バタバタと騒がしい足音がして、ざわざわと話し声が近づいてくる。目を開ければ、心配そうな、安堵も交ざった3つの顔があった。


「よかった……」

「ええ、ようやく安心できたわ」

「痛みはないか?」

「だいじょうぶ」


 さっき目を覚ましたときよりも、はっきりとした声が出る。家族は私の声を聞いて、ほっとした顔を浮かべていた。


「スイから連絡があったときマジで死ぬかと思ったわ、俺が」

「心配かけて、ごめんなさい」

「気にしなくていいわよ。誰も予測なんてできなかったもの」

「でも、スイ君が居てくれてよかったよ」

「いえ、僕も間に合ってはないので……」

「さすがに物語のようにはいかないよな~。颯爽とタイミングよく現れてヒロインを助ける、みたいなのは。スイはできそうな顔してるけど」

「嫌味かな?」

「ソウ」

「何だよ-、場を和ませようとしただけだろ-。ほら、アイラも笑ってるじゃん」


 普段通りにしようと振る舞ってくれる兄に、場の全員に笑みが浮かぶ。


「アイラに免じて不問にしてあげますよ」


 これじゃ、どっちが年上なのか分からない様子に、また笑ってしまう。兄は不満げな顔をしていたけれど、私を見ると優しい目を向けてくれた。


「あなた、仕事を抜け出してきたんでしょう?もう戻った方がよろしいんじゃないかしら。ソウも」

「急ぎの仕事がなければ長居できたんだがな。すまん、アイラ。また明日来るよ」

「うん。ありがとう」

「母さん、妹より大事なものがあるわけないだろ」

「そうね。じゃあ、もっと大切なものを見つけさせてもいいわよ」

「あ、いい、そういうのは、間に合ってるから。じゃあ、アイラまた明日な!」


 父の後を追うようにそそくさと病室を出て行く。看護師さんに廊下で走らないでと注意されている声が聞こえた。慌ただしい雰囲気の中、母は兄に対して文句を連ねる。母の兄の伴侶探しはまだ難航しているようだった。少しの間の後、スイも上着を手に取る。


「おば様、僕も一旦戻って上官に報告してきます」

「ええ、分かったわ。アイラの側に居てくれてありがとう」

「いえ。アイラ、またね」

「うん」


 スイの後ろ姿を見送って、一息吐く。母は近くにあった椅子を引き寄せて、私の側に腰を下ろした。


「心配しなくてもいいなんて、無責任なことを言ってごめんね」

「怒ってないよ」

「ううん、本当は、もっと早く解決するべきだったわ。今回は死人が出なかったからよかったものの、家としてきちんと対処できていなかったもの」

「お母さま……」


 いつも朗らかで、凜としている母の姿は、今日はない。


「怖かったでしょう」

「少しだけ」

「貴女はよく頑張ったわ。私たちの誇りよ」


 鼻声になりながら、私の頬を撫でる。母の手は、いつだって温かい。


「後のことは心配しないで、今は治すことに専念しなさいね」


 柔らかな魔力が流れ込む。この家の娘でよかったと、心からそう思った。




***




 あれから3週間ほど入院して、お医者さまから退院の許可をもらうことができた。この3週間、午前中は母が、午後はスイと父に、それから兄が、代わる代わるやって来た。一回だけ、スイのご両親がお見舞いに来てくれて、頭を下げられた時は大変だった。改めて、この婚約は両家の総意だと伝えられ、嫁入りを楽しみにしているとまで言われてしまった。スイはご両親の後ろで大きくうなづいていて、ちょっとだけ恥ずかしくなった。

 毎日のようにやって来る父たちに、仕事のことや学校のことをそれとなく聞いてみれば、全員が堂々と抜けてきたと言いきって、私は申し訳なくなってしまったのだが、母が一喝してから、短い時間の滞在に変わったのは記憶に新しい。それでもスイは、いつも面会時間ギリギリまで居たけれど。母は咎めはしなかった。


「ねえ、アイラ」

「うん?」


 明日の退院に向けて荷物の整理をスイに手伝ってもらっていると、スイが徐に口を開く。


「もう少し暖かくなったらさ、アイラの祖父母の家に行かない?」

「え……」

「おば様に聞いたんだ、いろいろ。知らないうちに僕もアイラのこと、追いつめてしまってたんだって気づいてさ」

「……スイのせいじゃないよ」

「アイラはそう言うと思ってた。けどさ、僕が僕自身を許せない。贖罪、なんていうのは烏滸がましいけれど、療養も兼ねて、僕の時間をアイラのためだけに使いたいんだ。……どうかな?」


 少し首を傾げて、私の反応を伺う彼に、きゅうっと胸が締まる。


「スイの時間を、私にくれるの?」

「可能ならこれからの時間全部をあげたいくらいだよ」

「スイ……ありがとう。学校が問題ないなら、行きたい」

「ほんと?アイラのためなら学校なんて大きな問題にならないよ」


 私を見る翡翠色の優しい瞳が、愛しさで溢れていて、私はじっと見返すことができない。

 二人だけで旅行に行ったら、自分の想いを、今度こそちゃんと言えるだろうか。スイと向き合って、彼の気持ちに真っ直ぐ応えたい。


「じゃあ、私からおじいちゃんたちに連絡しておくね」

「うん、ありがとう」


 荷物の整理が終わってしまったけれど、新しい会話の話題を必死に探す。そわそわとどこか落ち着かない私に、スイはベッドに腰かけて、手で私を招いた。


「スイ?わっ……!」


 どうしたのかと近寄れば、スイは私の手を引いて、抱き寄せる。


「どうしたの?」

「んー……。ちょっと触れたかっただけ」


 彼との至近距離に、心臓の鼓動が早くなるのが分かった。きっと彼は、私の気持ちを分かっている。もう帰ってしまうのが惜しいと、それを察してくれているのだ。


「スイ」

「うん?」

「ありがと」

「どういたしまして?」


 彼は何にお礼を言われたのか知らないふりをした。それが何だかおかしくて、笑ってしまった。


「僕はね、結構待つのが得意だと思うよ」

「そうね。子どものころから待つタイプだったわね」

「ソウくんがイライラするくらいには」

「確かに。でも、スイの長所よ」

「うん。だけど、10年は無理かもしれない」


 私を見上げてにこっと笑うその顔は、とても爽やかで、なのに瞳の奥が獲物を捕らえたように私を惹きつけて離さない。


「だから、なるべく早めにね?」


 手を掬われて、彼の唇が触れた。


「さて、待たせても悪いし行こっか」


 ほんの数秒の出来事だと言うのに、まるで映画のワンシーンのような流れに、私はすぐに反応できなかった。


「スイ!」


 少し怒ったように名前を呼べば、彼は楽しそうに笑いながら、私を置いて歩いていく。私は駆け足で、彼の後を追いかけた。


 どこか開き直ったようなスイの真っ直ぐな想いが私に降り注いでいく。

 彼に相応しいと思われる自分でありたいと思うほどに、私は惜しみない愛を受け取ることになった。

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隣の幼馴染み婚約者に溺愛されているっぽい。 佐藤のう。 @MacaroonSweet

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