模倣するこころ

狂フラフープ

第1話

 薄暗い自宅のガレージへ運び込む。

 汗を拭って電灯を点ける。潰れかけのジャンク屋で見つけた動く保証もないそのロボットを、どうして有り金叩いて買ったのか。わたしはそれを説明できない。

 顔はなく、性別もない演劇人形。肉とプラスチックでできた舞台役者。

 わたしの知る限り、わたしはそういった類の衝動買いをする人間ではなかったはずだし、自転車の荷台でぐらぐら揺れる人形との二人乗りが大層骨が折れることは予想出来たはずなのに。

 高校二年。演劇部所属、大道具担当。本当は役者になりたかった。

 壊れた人形を弄り回して二週間が経つ頃、人形は唐突にわたしに身振りで挨拶をした。

 人とも生き物とも呼べず、さりとて機械と言い切るのも難しい。

 ガレージの片隅で何の前触れもなく始まった公演を、わたしひとりが観客として見る。

 これはかつてどこかで演じられた劇だ。台詞はないが、きっと無声劇ではない。

 当時はきっと立派な仮面ペルソナを付けて、豪奢な衣装を身に纏い、スポットライトに照らされただろう。

 今目の前で薄暗いガレージを我が物顔に動き回る裸ののっぺらぼうは、役に結び付けられた仮面なしには台詞のひとつも発することは出来ない。それでも身体動作だけがどこか別のメモリ領域に残っていて、呆けた老人のようにかつての栄光を白昼夢に見ている。

 

 AI技術の発展と共に、創作や芸術の分野は大きくその姿を変え、あらゆる創造性が安価かつ手軽に生産できるようになった。

 最新技術を用いた本物と見紛う映像やVRが綺羅星のように現れては消えゆく中で、化石のような舞台演劇が細々と生き長らえたのは化石ゆえ、本質的には古代ギリシアの円形劇場オルケストラの時代からなにひとつ変わってはいなかったからだろう。

 高度な演算処理装にものを言わせた、現実と区別のつかないほど精巧なCGで形作られたモンスターが映画やゲームの世界で持て囃される一方で、舞台の上では面を被っただけの役者を化け物と呼び続けた。


 人形が演じているのは、男。

 それも若く自信に溢れた青年役だ。

 言葉などなくともそれがわかる。彼は愛を囁き、悲しみに暮れ、それから憤る。

 時代がかった振舞いを見れば、舞台はきっと中世西洋。手袋を地面に叩きつけ、レイピアを振るう。

 一手一足が真に迫って、わたしはいつしかその公演を楽しんでいた。

 台詞のひとつも聞かぬまま台本を想像し、架空の物語にのめり込む。

 舞台の上には名誉があり、熱情がある。恋人がいて恋敵がいる。青年は一敗地に塗れ、しかし物語は続いていく。

 人形の指先が動くたびに、頭の中で彼の声を聞いた気がした。

 仲間と語り、密かに恋人へ呼びかけ、決意を胸にやがて物語は佳境を迎える。

 派手な殺陣と怒号と決着。大団円とカーテンコール。ただ足音と軋む駆動音だけが響く、薄暗いガレージに鳴りやまぬ歓声と拍手が聞こえたような気がして。

 舞台袖で動きを止めた人形に、思わずわたしは小さく手を叩いた。

 この人形に心はない。

 ただプログラム通りに役を果たす、強化プラスチックと肉の塊。

 けれどその胸にはいくつもの公演の記憶が残っていて、その日から毎夜人形を眺めて過ごすのがわたしの日課になった。


 人形はかつて、掛け替えのない看板役者だっただろう。

 あるときは少年、あるときは富豪。兵士、母親、孤独な老人、可憐な歌姫。

 その演じる役どころはいつだって物語の中心にいる。公演の全貌など見えもしないのに、台詞のひとつも聞こえないのに、わたしにとって人形はいつだって主役だった。

 生体部品を多く含んだバイオロイドは、その学習データを生半には複製できない。であるがゆえに経験を積んだ肉人形は劇団にとって何より得難い財産なのだという。

 どうしてこの人形は、あんな粗末な売り場の隅で、ぼろぼろになって打ち捨てられていたのだろう。わたし程度で直せるほどに、故障は容易いものだったのに。

 人形を膝に載せる。

 ぬるま湯で腕を拭い、関節に油を差す。

 心がないと、そう言われた。

 悪口でも陰口でもなく、心のこもったアドバイスで。

 君の演技には心がない。正確だけど、それだけだ。

 心とはなんだろう。

 役者を諦めるきっかけになったその問いに、わたしは今でも答える言葉を持たない。

 演じることは楽しい。思い出せないほどの昔から、夢中で何かを演じ続けてきた。

 友人たちがごっこ遊びから抜けていっても、わたしだけはなにひとつ変わらない。

 寂しくはなく、夢中から覚めることもなかった。

 その最中に『わたし』は居らず、ただ役柄だけが全てだったから。

 人形とわたし。

 ふたつにどう違いがあるのだろう。腕の中で身じろぎ一つせず、手入れに合わせてゆらゆらと揺れる人形に、わたしは夜が来るたび虜にされる。

 人形に心が宿るのなら、どうしてわたしに宿らないのだろう。

 人形は答えない。ただのひとことも口を利かない。


 季節が過ぎて、わたしはガレージにブランケットを持ち込み始める。

 公演が終わり、電気を消して粗末な劇場を去る前に、わたしはブランケットで人形を包んだ。それは単に、寒暖差で人形の部品が痛んでしまわないようにというだけのことに過ぎない。

 人形は触れると冷たい。つい先ほどまで激しく舞台を動き回っていたのに、上気して息を荒げ、燃え盛る血潮が身の内を迸っているように見えるのに、舞台袖で動きを止めた人形には人肌ほどの温もりもない。

 まるで死体のようだ。

 今日の公演で人形は死んだ。病弱な娘は夢の中で楽しげに走り回り、自らの身に起きた奇跡を飛び跳ねて喜んだ。劇の終わり、ベッドの上で動かなくなった娘にわたしは涙を流したけれど、カーテンコールで娘は観客に大きく手を振った。

 舞台の上で死んだ娘が、暗幕の前で生き返り、そして今、舞台袖でまた冷たくなっている。

 心とはなんだろう。

 劇の開演の前から、そもそも全ての始まりから、この人形は冷たいままだ。生きてはおらず、温もりはなく、それなのにわたしは人形の生き死にに揺さぶられる。

 心とはなんだろう。

 人形と同じ舞台に上がろうと考え付いたのは、その疑問に答えが欲しかったからだと思う。


 初めにわたしは人形の相手役をやろうとして、結果は惨めなものになった。

 台本も台詞もない演劇で、筋書きも知らぬまま演技ができると思うのが間違っている。人形はこちらに合わせない。役者全員で組み立てる即興劇とは違うのだ。

 次にわたしは人形の隣で人形と同じ役柄を演じた。

 そうしてわたしと人形は煌びやかな満員のホールに立つ。

 ホールは長閑な故郷になり、戦場となり、占領下の都会になる。

 わたしたちを照らすスポットライトの熱量に触れた。轟く喝采に腹の底まで震えた。舞台袖で魔法が溶けるまで、わたしたちふたりは世界の中心だった。

 無表情で人間味がないことと、役者をやるべきではないことに、いったい何の関係があるのだろう。舞台の下で心を持たないことが、舞台の上にどんな関係があるというのだろう。

 毎夜同じ演目で公演を続けるうちに、わたしは人形の発さぬ台詞を、代わりに口にするようになった。

 ありもない人形の呼吸を真似し、聞こえもしない人形の抑揚を真似た。意図的に振り付けた発話の癖を、役柄の持つ発音の訛りを、寸分も違わぬよう模倣を続けた。

 人形の相手役を始める。

 わたしは人形に恋し、その帰りを待つ幼馴染の娘となった。

 多くの場面を渡り歩く人形の前へ、仮面を替えてわたしは飛び出す。

 血も涙もない上官になり、塹壕で目の合った敵兵となった。看護婦になり、記者となり、再び幼馴染となって抱擁を交わした。カーテンコールで人形と手を繋ぎ、共に観客に感謝を伝えた。

 強く握りしめた人形の手は、わたしの体温で少しだけ熱を持った。


 ぬいぐるみが捨てられたのはいつだろう。

 忙しい両親の代わりに、ひとりきりの夜を共に過ごしたあのぬいぐるみ。

 ぬいぐるみにわたしはククと言う名前を付けていた。あれは熊だったろうか。それとも犬だったろうか。それを思い出せないほどに、わたしにとってぬいぐるみは熊でも犬でもなくククだった。

 アルバムを捲れば、幼いわたしの写真にはいつもその汚らしい塊が写っている。どこへ行くにもククを連れ回したのだろう。砂場を引きずり、ジュースをこぼしよだれを垂らしたはずだ。そうしてククは何度も物干し竿に吊るされ、その度に色褪せ萎びていった。


 人形に名前を付けていない。

 わたしはその心の内を推し量らない。

 心とはなんだろう。

 舞台の上で、冷たい人形とありもしない息を合わせ、あるはずもない心を通じ合わせ、わたしは何度も夢中で共に演じ続けたのに、舞台が終われば人形はどこまでも物に過ぎなかった。

 空想のスポットライトの下で、泣いて、笑って、人形を愛し、人形を憎んだ。

 あの感情はただの演技だろうか。ありもしない幻で、虚構で、何の価値もないまやかしだったろうか。


 今夜の舞台が始まる。

 ガレージはホールとなり、積み上げられた端材や棚に提げられた工具は満員の観客になる。

 わたしは人形の横に座り、人形は微動だにせず、わたしたちは舞台袖で出番を待っている。

 ホールの壇上は筋書きに従い、見渡す限りの草原に点在する集落のひとつとなる。存在しない書き割りが遠くに連なる山々へと変じていく。

 このガレージで起きる全ては、三千年前のギリシアの劇場と変わりはしない。

 見立てと仮託。

 みすぼらしい踏み台は波濤を越える戦船で、舞台装置に吊るされた男は全能の神で、ここでは全てがあると言い張ればある。

 仮面を被った黒子が舞台の上だけ怪物でいられるように、わたしには舞台の上でだけ心がある。その存在を信じることが出来る。

 舞台の下に心はない。

 街行く人々の雑踏の中に、談笑するクラスメイトの群れに、わたしは心を見たことがない。

 わたしにとって、心とは舞台の魔法だけが照らし出す影のようなもので、そんなものが舞台の外にあるとすれば、それは幼い日に失ったあの大きなぬいぐるみの内にだけだっただろう。

 遥か昔に息絶えたただの無機物が、舞台という夢の中だけで息を吹き返す。


 人形を真似して分かったことがある。

 完璧に思えた人形の演技はいざ模倣トレスしてみると想像以上に綻びが多く、けれどそれは決して演技の質が低いことを意味しない。

 人形をそのまま真似した演技と、人形の演技から雑味や矛盾を取り除いた演技とをそれぞれ自分でやってみて、カメラ越しに確認すれば、その差は明らかだった。

 完璧な演技にどれほどの価値があるだろう。

 人の内心はひとつではない。人は誰しも好きな自分と嫌いな自分を併せ持つ。齟齬や雑念、矛盾に満ち、それを人は人らしさと呼ぶ。

 痩せたいと願って貪り食い、己を蔑みながら他人を見下す。死ねと口にして親しみを示し、自分のためと嘯いて誰かを救う。醜悪な自分を隠そうと上辺を飾り、清廉を厭って自ら泥を被る。

 ままならぬ心を、人形はいとも容易く鮮やかに描き出してみせた。

 これでもかというわかりやすい情動の影に、誰も気付かない別の情念を隠す。

 右手と左手で異なる感情を演じ、伝える演技と伝えぬ演技を織り交ぜる。

 口と目は見せたい己を雄弁に語りながら、引き摺られる手足に隠したい己を滲ませてみせた。

 影に忍ばせた見えぬ業前はそれを見る頭の理解をすり抜けて、しかしその奥に僅かな不和を積み上げる。

 物言わぬ人形がわたしに語り掛ける。

 演技はこうも奥深い。

 全身を余さず使ってひとつの心情を表現するなど、素人のやることだと教え諭された気がした。

 演技ひとつに全てを込め、見せつけようとしたわたしはなんと浅はかだったろう。

 伝わらぬことに歯噛みして、伝えることに執着したわたしの演技は、研ぎ澄ますほどに人から遠ざかっていた。


 人形は今日も舞台で踊っている。

 旅の青年に恋した羊飼いの少女は、叶わぬ恋と知りながら傍らの羊に胸の内を打ち明ける。

 もし自分が青年と同じ街の生まれだったなら。

 わたしは怪我をして助けられた青年を演じながら、物言わぬ獣を相手にただ言葉を繰り返す少女を物陰から見守った。

 どうしようもなく少女に惹かれながら、同時にそれを少女に悟られまいと取り繕う。ないまぜになった自らの内心を押し殺し、悲劇的な結末に向けふたつの心をすれ違わせてゆく。

 心は目に見えない。耳に聞こえず、わたしたちは生涯誰かの心に触れることもない。

 できるのは削げ落ちた欠片と切屑を読み解いて、それがどこから、どんな心からやってきたものかを想像することだけだ。

 人形に心はない。

 けれどわたしは人形の演じる心を追いかけて、その欠片を拾い集めていく。

 言葉さえないまま、人形はいつだって例えようもなくわたしを魅了する。人形の演じるその精神のきらめきが、わたしを捕えて離すことがない。

 人形になりたかった。

 心などないがゆえに思い悩むこともなく、ただ誰かに心を見出されるために作られ、演じ、そのために朽ち果てていく人形に生まれたかった。

 舞台の上で人形が躍る。

 羊飼いの少女は何処までも伸びやかに、己を縛るものなど何もないかのように、想い人への慕情を言葉に乗せて歌い上げる。

 人形が舞う。誰かに見られるためだけに生まれた人形を見て、人々はきっと思うだろう。誰の目にも止まらずとも、この世界のすべての観客が死に絶えたとしても、人形は躍り続けると。

 その指先にはとめどない歓喜が、その足取りには尽きることのない感動が、その唇には幸福を綴る言葉だけが満ち溢れ、それ以外のものなど存在しないかのように。

 今この瞬間があれば、何もかも失ってもいいとばかりに、ありったけを込めて、憧憬をどこまでも飛ばして、人形がひと際高く空へ飛んで行く。

 いつまでもいつまでも続くような時間の末に、人形の足先が舞台の床へ触れる。

 そして、人形の片足は異音とともに割れ落ちた。

 地面に叩き付けられた少女は、それ以上動くこともなく、ただ屍のような冷たい姿を晒していた。


 草原はガレージに、遠い山々は埃を被ったシャッターに、羊飼いの少女は壊れた人形へと色褪せていく。

 青年だったわたしは、急激に解けてしまった魔法に、唐突に搔き消えた夢に、途方に暮れたまま舞台の上で立ち尽くした。

 そこには喝采も、どよめく観客の声もなく、ただ暗く冷たいガレージを古びた電灯が照らしている。

 へたり込んだ床の底冷えが、ゆっくりとわたしから温もりを奪っていく。

 心とはなんだろう。

 醒めた夢を思い出せないように、わたしからその答えがじわじわと失われていく。


 それからまる一週間をかけて、わたしは折れたフレームと壊れた回路に向き合った。

 当然人形が再び立ち上がることはなく、分かったのは交換用の部品も製造元のメーカーもこの世界に存在しないことばかり。

 そうして八日目から人形は、腰から下の機能を切られ椅子の上で公演を始める。体半分の自由を奪われてなお、人形はいつものように舞台の上を色鮮やかに塗り替えて見せた。


 心があるとはなんだろう。

 心がないとは、何を指していうのだろう。

 人は動かぬぬいぐるみに心を見ても、鏡像に心を見い出さない。

 鏡がどれほど正確に人の動きをたどっても、むしろ正確にたどればたどるほど、人は鏡の中の自分を心ある別の存在だとは思えなくなる。

 わたしがどれだけ人形の心を追っても、それはわたしの心ではない。わたしに心が宿ることはない。

 人形は誰かをたどって、その心を写し取ったはずなのに。

 わたしは人形になれない。

 心とは現実でなく空想の中にある。

 本に綴られた沢山のが人々に夢を与え、並べられた嘘のない数字は冷酷だと言い募られる。

 明晰なひとは冷たいひとで、愚鈍なひとは優しいひと。

 うそは心で、真実は心ではない。

 言葉は数字より心があって、手の温もりは言葉より心がある。

 心とははっきりしないもので、はっきりしないものこそ心。

 心のことはわからない。わからなければそれは心。

 心とは、伝わらないものを差していう言葉だ。

 誰も見たことが無いまま言い伝えられる幽霊や、誰も聞いたことのないまま皆が知る噂話。そういったものと同じ類の。

 誰にも伝わったことのない、誰からも伝えられたことのないものに付けられた名前。

 心。

 動きを止めた人形に心はなく、演技をする人形には心が生じる。

 そのぐちゃぐちゃに混ざり合った感情を、読み解くことができないとき、人形は心を持っているのだろう。

 自分で自分の気持ちを言葉に出来ない。

 折り重なった感情がいくつもいくつも層を成して、わたしの内側で押し潰されていく。

 胸の奥に、ぼんやりと心を感じた。


 人形が寝たきりの老人を演じる。

 たくさんの財産に囲まれて、たくさんの親族に囲まれて、ベッドの上に横になった老人がそのどれでもない何かに視線を向ける。

 わたしは一番目の息子と二番目の息子と、一番から三番の娘、その嫁や婿、孫たちと弁護士を演じる。

 老人が語る思い出話を、窓際の小鳥だけが聞いている。指の隙間を飛び跳ねながら、手のひらの米粒をついばみながら、老人は語り続ける。

 誰の耳にも漏らさなかったはずの余命宣告を聞きつけて、孤独な老人の下に人々は集まる。

 死臭を嗅ぎ付けたハゲタカを追うように、老人は彼らを追い散らし、その度に弱り、老人を囲う輪は狭まってゆく。

 迫り来る終わりを自覚しながら、自分が遺すものに迷い続ける。

 わたしが語る物語は、きっと本当の筋書きではない。

 いつかどこかの劇場で人形が演じた舞台と、そっくりかもしれない。似ても似つかぬかもしれない。

 それを確かめるすべはなく、けれど本物の舞台にわたしが居合わせたとしても、それは同じことだ。

 人形が指を大袈裟に踊らせる。

 居もしない小鳥の姿が、ありありと瞼の裏に浮かぶ。飛び跳ね、首を傾げ、遠ざかってはまた近付いてくる。

 あると言い張ればある。

 書き割りを摩天楼でも雄大な自然でもないと指摘するのが無意味であるのと同じ意味で、人が血の詰まった肉の袋であると言い立てることに意味はない。

 心はある。なぜなら心はあるのだから。

 ありもしないものをあると言い張ること。

 見立てと仮託。

 紀元前の昔から舞台の上で繰り広げられてきた劇という名の空想の遊戯。

 けして伝わり得ぬものを伝わると言い張ること。

 心。

 見立てと仮託。

 決して触れ得ることのない互いの心を信じること。

 舞台の上でそれを始めたよりもずっと前から、わたしたちはそれを続けてきた。


 人形は動くたびに軋みを上げた。

 冷たい夜を舞台の上で過ごすたびに、その限界は粛々と近づき、見え始めた終わりの時をわたしはただ待ち続けた。人形の隣でありもしない筋書きを共に演じながら、ただ黙って受け入れていた。

 人形がついに動きを止めて、そこに宿る心が永遠に失われたとき、人形はわたしの中で生きてゆくだろうか。

 皆は互いの心を信じ、わたしは舞台の上の人形の心だけを信じた。

 人の心を信じぬゆえに、わたしには心がない。

 けれどそれが分かったとして、どうすればいいのだろう。


 人形は公演を終える度に眠りにつく。

 舞台の幕は閉じ、また次の夜に上がる。自らの力で目覚めることの出来なくなった人形を、わたしはそれが取り返しのつかない引き返せない毀損に繋がる危険を孕むと知りながら、人形に再起動を掛ける。

 不吉なかすれた音を聞きながら、祈るように手を組む。どうかもう一度と願いながら、わたしはどこか、人形が今まで通り動くことを当然のように期待していた。

 何度呼び掛けても人形は目を覚まさない。

 昨夜までは通じた祈りはついに通じず、人形に心は二度とない。


 どうしてこんなに悲しいのか自分でもわからなくて、わたしはブランケットで人形を包んだ。

 人形は冷たくなってなどいない。ずっと冷たかった。

 恋慕に焦がれ欄干から身を乗り出した夜も、仇敵を追って駆けた夜も、爆ぜる焚き火を見詰め歌った夜も、全ての公演の全ての主役が、変わらずずっと凍えるように冷たくて、人形の温かみはわたしが夢見ただけのものに過ぎない。

 それでもわたしは壊れた人形に涙を流す。魔法が解けたただの薄暗いガレージの、冷たいプラスチックと肉の塊に。

 もはや単なる物以外の何でもない人形にすがってさめざめと、いつまでもわたしは泣き続ける。


 魔法が解けたガレージに、開演の幕は上がらない。

 わたしの生活の一部になった公演はある日唐突に抜け落ちて、わたしは壊れた人形の隣に座ってぼんやりと、かつて舞台だったガレージの隅を眺めている。

 だって他になにができるだろう。人形の真似事だけがわたしの能なのに。

 壊れた人形と同じように時間を過ごして、同じように朽ちていく。

 ジャンク屋の売り場で、人形はどれだけこうやって無為な時間を過ごしただろう。ジャンク屋に流れ着く前、劇団での役割を失って、置き去りにされたどこか暗い倉庫でも人形は誰からもその価値を忘れられるまで、こんな風にひとりでじっとしていただろう。


 時計さえ止まったガレージの静寂に、小さな電子音が綻びを入れる。

 なにかの更新を報せる通知音と共に勝手に動き出したディスプレイの冷たい光が、ぼんやりとコンクリートの床を照らす。

 真似るための参考に、人形の動きを映像に残していたことを思い出す。

 ほんの数秒の映像を、フィルムであれば擦り切れるほど見返した。

 どうしてもっと人形を撮っておかなかったのかと思う一方で、そうしたところで結局は無駄だったと諦めのつく自分もいた。

 画面越しの人形は、かつて見た公演を思い出すよすがにはなっても、あれは舞台の上だけの魔法だった。

 動画に映っているのは劇場でなくガレージで、わたしの座る場所もまた客席ではない。

 それでも何度もわたしは再生を繰り返した。

 ただ思い出に浸るために、暗いガレージで、冷たい光に顔を照らされながら、何度も、何度も。


 その画像の存在を思い出したのは、かじかんだ指が操作を誤ったせいだ。

 一番初めに人形を撮った写真。

 弄る前に原状復帰できるよう残した、買ったばかりのまだ動かなかった頃の人形。

 そこに、失われてしまったはずの心を見た。

 電源も入らないまま、ただの物言わぬ置物として座る人形に、わたしは確かに心を感じる。

 今、傍らで力尽き骸を晒す人形と、故障し動かなくなった人形は同じものだけれど、違う。

 人形は舞台の上で心を宿す。

 けれど、人形にとって、舞台はここだけではなかった。

 関節の固定された人形を、自転車の荷台にくくり付け、やっとのことで運び込んだ日のことを、昨日のことのように思い出す。

 ジャンク屋の売り場で静かに、けれど力強く何かを待ち続ける人形に、わたしは目を奪われ、連れて帰らずにはいられなかった。

 ずっと演じていたのだ。

 煌びやかな舞台の上ではなくとも、指ひとつ動かせずとも、誰の目にも止まらずとも、この世すべての観客が死に絶えたとしても。

 ずっと、ずっと演じていたのだ。

 人形は心を待っていた。

 無数の人生を胸に秘めて、ずっと心を待っていた。

 あの日あの時売り場で、わたしは心を見つけたのだ。

 借り物の心は、偽物の心は、受け継がれてきたその全てを懸けて、今わたしの胸に息づく。

 人形に心はない。だから、わたしが見付けたのはわたしの心。わたしだけの心。

 演じてよいと。

 信じてよいと。

 世界全てがお前の舞台だと、人形はわたしに教えていた。


 わたしは人形に役を振り付ける。

 毎夜の公演を楽しみにする、ただひとりの観客役を。

 硬い関節をゆっくりと、少しずつ、少しずつ動かした。暗く冷たい客席でブランケットにくるまって、燃えるように必死な視線を、わたしへ向ける。

 もう一度だけ、人形に魔法が灯る。


 その向かいにわたしは立った。

 人形を真似るのでなく。

 人形を支えるのでなく。

 はじめてわたしは主役になる。

 身の内に滾る心を手足の先まで行き渡らせて、わたしは一体の人形になる。

 わたしが人形を見ていたように。

 人形はいつもわたしを見ていて、いつでもわたしの側にいた。

 そうあれかしと信じて演じ、それはわたしの世界に融ける。さあ、ありったけを人形に捧げよう。目いっぱいをわたしは奏でよう。


 わたしを捉える、光と熱。スポットライトより眩しくて、焼けつくようなその視線が、観客席から無数に降り注いだ。

 それは心だ。

 人形がわたしを見ていた。

 舞台の外、広がる観客席のそこここに、いくつもの心が燃える。

 孤独な老人が、羊飼いの少女が、戦場の兵士が、人形が胸に秘めてきた無数の人々が、心を灯しわたしを見ていた。

 舞台の上の魔法はどこまでも広がって、無数の心がわたしを包む。

 わたしは目を閉じ胸に手を当てて動きを止めた。

 人形の居ない舞台の幕が上がる。


 眩いライトに照らされて、わたしは特別になっていく。

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模倣するこころ 狂フラフープ @berserkhoop

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