HERO
ひとり、列車から外の景色を眺めていた。山の中をずっと走っている。景色もそこまで変わって見えることはないが、そこに住むひとりひとりの生活は驚くくらい、違うのだろう。外側からでは何もわからない。車掌さんが次に着く駅の名前を読み上げる。僕が降りるのはその、ふたつあとの駅だ。
切符を買うのを忘れていたので、整理券とお金を、わかりやすく見えるようにして運賃箱に入れる。この運賃箱は、何円入ったと、記録される形式ではないので、乗客の良心と運転士の目測にすべてが委ねられている。
ひとり、山と川を眺めていた。
そうだ、僕はここに来たかったんだ。いや、厳密に言うと、どこでもよかった。誰も僕のことを知らない場所。列車に乗っていたとき、そして今、僕の頭の中にはずっと曲が流れている。
「例えば誰か一人の命と引き換えに世界を救えるとして
僕は誰かが名乗り出るのを待っているだけの男だ」
ここは鹿児島県霧島市。列車は二時間に一本くらいしか来ない。次に、僕はそれに乗る。今から、何をしようか。なにもないと形容するのは、あまりにも失礼な場所。都会の人とか電車とか自然に興味がない人はそう思うのかもしれない。仕方がない。携帯の地図を見るのはそれはそれでいいのだが、僕は電源を落とした。ここの駅舎は相当、風情があるということで有名だ。観光客や、お弁当を売りに来た人を見た。
案内所で地図をもらって、行きたい場所ができた。一般に、古民家カフェと呼ばれる場所だ。「憩いの家」と名付けられていた。
「どこから来なさった?」
「松山、愛媛です。」
パラソルの下の机に通され、コーヒーを出してくれた。名前を忘れてしまったのだが、玉ねぎとかさつまいもを絡めて揚げた食べ物を出してくれた。変えるときに、お代を出そうとしたのだが、断られてしまった。好意を断り続けるのも失礼だ。
ちょうど、甲子園の時期だった。ラジオからはアナウンサーの精一杯の実況が流れていた。ちょうど愛媛の代表高校が戦っていたのは、運命を感じた。
僕が乗ってきたのとは反対方向の電車が向かう。
「そうそう、昭和天皇が皇太子のときにいらっしゃったときにここから手を振ったのよ。」
なにか、気の利いた相槌ができたらよかったな。
僕が帰るときには、同じように手を振ってくれるという。
非常に満たされた時間だった。特に何もあったわけではない。「幸せ」がそこには漠然と存在していた。
僕がしたいことは、教科書とノートを前にして、ひたすら小説を読むことではない。強迫観念で勉強をすることでもない。ただ、何もせず、惰性で生きるということでもない。
「残酷に過ぎる時間の中で きっと十分に僕も大人になったんだ
悲しくはない 切なさもない
ただこうして繰り返されてきたことが
そうこうして繰り返していくことが 嬉しい 愛しい」
そうだ、僕は、と言いたいけれど、書きたいけれどとても書けそうにない。ただ、あとから僕がこれを読み返したとき、「何を書きたかったのか」忘れることはないということは断言できる。
もっと、やさしい人になりたい。
もっと、人に好かれる人に、
もっと、賢い人に、
もっと、人のために行動できる人に、
尽きることはない。
「ずっとヒーローでありたい ただひとり君にとっての」
そして今は、ひとり、海を眺めている。
次の電車は三時間後。どんな田舎はここだ、と思うけれど愛媛県だここは。大好きな。鹿児島では、本当に、古民家を見つけるのも一苦労な場所だったけれど、ここはそんなことはない。目の前を二車線の道路が走っている。かつては、ここは最も海に近い駅だったらしい。道路を作ったことでそうではなくなったが、誰も責めはしない。昔は、くねくねの細い旧道が山の中を走っていただけだったのだから。
昔は、腕時計なんて重くて、肌に引っ付いて鬱陶しいと思っていたけれど、最近はない方が落ち着かない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます