放課後

 チャイムが鳴ると同時に、教室から駆け出す。躍動感、疾走感、期待感が湧き上がるもの。放課後というのはどういうイメージを持っているだろうか。朝、いやいや起きて、いやいや学校へ行き、授業を受ける。そしてそれから解放される。幾分と幸せなものか。そもそも、放課後というのはいつのことを指すのか。


 授業で失敗しても、つらい学校生活だったとしても、放課後になれば全ての鬱憤を晴らしてくれる。異世界に飛んでいったようだ。学校というものは、授業とか休み時間というのはいわゆる「決まりきった」こと。未知も数えるほどしかない。同じことの繰り返し。それはそれで非常に疲れる。その線でいくと、放課後は未知のもの。今日、または昨日、出会えなかったことと出会える可能性が高まるのだ。部活に打ち込むのも素晴らしいし、残って勉強するのもいい。ご飯を食べに行っても、何をしても。高校生は自由だ。


 自分の中の期待感と戦いながら、6時間目の終了を告げるチャイムを心待ちにして過ごすのだ。


 今、不思議に思うこともある。僕は学校が好きな人間だったような気がしたんだけれど、最近はどうやらそうでもないらしい。受験という、割と目に見えるというか、人生を変える難題が眼の前に立ちはだかっているからだろうか。人間関係とかなにか失敗したかな。結局、自分の好きなことなんて死ぬまでというか、死んでもできないのだから、客観的にでも、自分が思うのでもいいから、いいことをしていればいいと思うよ。


 したいことも、したほうがいいことも、しなければいけないこともわからないまま時間は過ぎている。実際、何もしなくても、生きていくことはできる。それを「生きている」というのかは僕にはわからないけれども。どこかの評論で読んだが、僕たちは時間を支配しているのか、支配されているのか。自分たちが作った概念に支配されるというのはなかなかおもしろいことだ。先程はああいったが、学校でなるチャイムの音、あれは最悪だ。支配されているというのを強く実感する。なにも、生徒だけでなく先生もだ。

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