Ⅺ.Pollen

 僕は気づいたときから花粉症だった。このせいで春がすごく嫌いだ。この嫌いというのは、花粉症に対してだけのことなので、別に春自体は嫌いじゃない。冬から春に移り変わる時期、「雪解け」はなんと美しいことではないか。それに、花粉だって意図して人間を苦しめているわけではないし、花粉だって植物からしたら必要不可欠なものだ。要するに二面性があるということだ。人間にとっては害でしかなくとも、植物にとっては必要である。少し大げさに書いているかもしれないが、こういうのは人間関係にもよくあることだ。僕はこれをすることで利益を上げることができるが、僕がこれをすると誰かは被害を被る。そういうときは話し合いが必要になるだろう。ただ、人間と植物ではそんなことできない。そういえば、花粉症は北海道では発生しないというのは本当だろうか。どこか、花粉の飛ばない国に行きたいという気もする。花粉症で苦しめられるというのは日本を離れる十分な理由になりうると思うのだ。


 昨日、おそらく花粉症のせいだと思うのだが、朝起きたときから鼻が詰まって息苦しく頭には酸素が回らず、体は火照っていて喉も痛くとにかく散々だったので学校も休ませてもらった。そして病院へ行き薬をもらって寝たらすっかり良くなったというわけだ。それにしても医療費っていうのは高いね。診察は数分だったにもかかわらず薬代と合わせて4000円くらい取られたものだ。お医者さんにはそれだけの価値があるということだろう。がんばれば学校にも行ける体調だったので休んだのには少々罪悪感があるけれど、まあ今日はすっかり元気になったのでよしとしよう。だいたい、休んでもいいことは特にない。あとで取り返すものが増えるだけだからしんどい。


 昨日感じたことは「病は気から」ということだ。花粉は今も相当に飛んでいるはずなのだが、現在は症状はほとんど収まっている。薬の影響によるものはもちろんあるだろう。ただ、それに加えて「病院へ行き、薬をもらって服用した。」というえもいわれぬ安心感が大きいだろう。たとえばかぜになったときだってそうだ。医者に診てもらうのはもちろんだが、友だちと会ったりすると症状が軽くなった気がするのだ。別に錯覚であっても構わないと思う。事実かどうかはおいておいて、「感じ方」が良好になったのならそれでいいのだ。小学校のときは家が近い友達が、放課後に、配られたプリントとか宿題を持って家を訪ねてくれるのを心待ちにしていたものだ。

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