Ⅹ.Anniversary

 今日は、僕が通っている高校の70周年記念式典が行われました!

誠におめでとうございます。70年ですか、長いですね。一人の人生並みの長さはあると思います。まあこの学校が何周年を迎えようが、僕には関係のないことなんですけど。それにしても、今日の式典の来賓者はなかなか豪華でした。スペイン大使とか枢機卿様がいらっしゃっていましたね。うちの学校がカトリックということもあってなかなかのお偉い方が来ていました。そういえば、学校の敷地内に修道院があるんですよね。そこで神父様方は寝泊まりしているらしいですが入ったことがないのでわかりません。なんか治外法権みたいな感じもする。卒業するまでには入ってみたいな。中学からうちの学校に入っている人は宗教の授業があって聖歌とか歌わされるらしいけど、僕は高校から入ったのでよくわからないな。


 今日の式典はなかなか豪華でしたね。相当なお金がかかっているんだと思いますよ。日本フィルハーモニー交響楽団に頼んで校歌を演奏してもらったりとか、なんかドキュメンタリーみたいな動画も手が込んでいた。まあ、一番心に残っているのは来賓の人の話が長かったってこと。枢機卿様、スペイン大使様、管区長様とか。まあうちの校長先生は話が短くてわかりやすかったから、いつもいい先生だなと感じている。「人生はわくわくするものだ。そのなかでも、人のために動いているときが最もわくわくする。」と「人は他人のために存在している。」これが口癖なんだと思う。英語の教員だから、流暢な英語で言ってたけど。スペイン大使の祝辞で、僕は今日スペイン語というものを初めて生で聞いた。知らない言語ってこんなわからないものなんだなあと当たり前のことを実感した。日本人にとってはスペイン語も英語も外国語であるが、後者は少しは聞き取れるようになっている。それに計り知れない時間をかけてきたものだという実感もした。司会の人がスペイン語で大使に呼びかけていたのだが、異言語が伝わると幸せだろうと想像できる。僕だって、オンライン英会話でフィリピン人講師に拙い英語であったとしても、意味を汲み取ってもらえたときは相当に嬉しいものだ。


 本校の卒業生で、今は神父である方が言っていた。なぜ私は神父になったのかということだ。ひとつはカトリックの学校である本校に入ったこと、そしてそこでカトリックに触れたことらしい。僕からすると神父に限らずとも「聖職者」というのはなかなか遠い存在なので新鮮な話を聞いたと思う。高校を卒業してカナダの大学に行き、後にイタリア(?)かどっかの大学で博士号を取ったあとは日本で神父をしているらしい。僕は断言できる、僕は聖職者にはならないだろう、と。それに加えて、今聖職についている人はどうやって生活しているのだろうと疑問も感じたが、そのへんはなんかあるのだろう。美しいだけの世界じゃない。


 日本にいる僕にとっては、ひとつの宗教を信じるというのはなかなかどのようなものか理解できない。海外の人からすれば、日本の方こそ理解されないものだと思うよ。よく言われる話だが、初詣で神社仏閣に行ったり、お盆でお墓参りに行ったり、クリスマスを祝ったりとかね。「日本教」とすらも呼べる、独自のあり方だ。それがいいのかわからないけど。将来、”What is your religion?"と聞かれたときにはちゃんと説明できるようにはしておきたいね。

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