4.王将

 私は今、やや興奮しながら、書いている。私が一番好きなプロ棋士である羽生先生が昨日から二日間にわたって行われた、「王将戦第4局」にて藤井聡太王将に勝ったからだ。これで、4本先取の王将戦において、両者が2勝ずつしたことになる。今後も羽生先生を応援していくことになる。


 私が将棋を始めたのはいつごろであろうか。詳しくは覚えていないが、父と指して徐々に覚えていったということは記憶にある。何回も指しているが、父に勝ったのは一回だけだ。父と最後に指したのも、おそらく小学生のころのことなので、やはり詳しく覚えていない。将棋というものはきわめて論理的である。将棋というものはいろいろなものに例えられる、たとえば盤上の戦場であったりとか、人生であったりとか。今までこれほど人工知能が発達しているにもかかわらず、将棋において絶対的な真実「棋理」は見つけられていない。ちなみに、将棋を始める幼児用に開発された「どうぶつしょうぎ」では後手必勝の法則というものがあり、先手が最善手を指し続けたとしても、78手で後手が勝つらしい。将棋においてそのようなものが発表されたらどうだろうか。私は並々ならぬ衝撃を受けるだろうけれど、プロ棋士の先生方のそれには計り知れないものであろう。将棋というものを非常に難解なものにしていることとの一つに、「持ち駒」というものがある。これは、相手から取った駒を自分のものにして使えるということである。チェスにはこれがない。これに関するひとつの説を紹介する。非常に興味深いものだ。王将を指揮官、それ以外の駒を兵士に例えてみる。西洋では、捕虜は殺すのに対し、日本では古来より説得して仲間にするということから、「持ち駒」のルールが規定されたというものだ。また、「打ち歩詰め」というルールにも触れておきたい。取った歩で相手玉を詰ましてはならないというものだ。考えてほしいことは、もともと「取った歩」というものは敵であったはずだ。また、歩というのは最弱の駒である。それを懐柔して味方にした。最弱の兵士が、裏切り、昔使えていた主君を殺すのはよくないということなのだろう。この話を父から初めて聞いたとき、納得したことを覚えている。


 将棋盤には81マスしかないのにもかかわらず、無限である。「81マスの宇宙」などという言葉もあるが正鵠を射ている。将棋に一生を費やす人も多々いる。これからも将棋の発展を祈願して筆を置くこととしよう。

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