第87話 茜差す部屋で語られる真実とは(6)

「でも、実際に彼女の思い通りにはならなかった訳よね」

「そうです。恐らく彼女が想定していた以外のイレギュラーな事態が起きてしまったんです。降矢先生が保健室の冷蔵庫にコーヒー缶を入れた所までは彼女の思い通りだったんでしょう。でも、その日に限って熊谷先生が別のノンカフェインコーヒーを学校に持ってきていた。あまつさえそれを降矢先生に一本渡してしまったんです。これは偶然だったんですよね」

 今宮先生が言っていた事だ。あの日、熊谷先生からフル先が別のコーヒー缶を貰ったと言ってたという話。

「ええ。彼の様子を見て流石に私もカフェインに気を配らなきゃって思ってね。私は知りあいの医療関係者からお勧めのコーヒーを取り寄せたの。そしたらそれを知った彼がいつも飲んでいる物以外の物を試したいから一本くれって言ってきたの」

 そしてその後、エリナがやって来て彼女【熊谷先生に冷蔵庫の中のコーヒーを持って行ったのかな?】と聞いてきたという。

 その時は彼女が何でそんな事を聞くのかわからなかったし、いきさつを説明するのも面倒だったので、熊谷先生はただ【持っていったよ】と答えてしまった。つまりここで完全な取り違いが発生した訳だ。

「なるほどそういう事だったんですね。その様な理由から降矢先生の元には睡眠薬入りのコーヒーが届かなかった。けれどエリナはコーヒーを飲んだことを疑わなかった。そして屋上へ出て着々と計画を進めた訳です」

「でも、屋上で工作を進めるというのは不安じゃなかったのかしら。だってコーヒーを飲んでいたとしても、薬がいつ利き始めるかは分からないじゃない」

 確かに、理科準備室の真上とはいえそこから部屋の様子が見えるわけではない。どうやって彼女は計画を実行するタイミングを計るつもりだったのか。

「はい。それについても考えがあります。思い出して頂きたいのは五時に入って、熊谷先生から降矢先生へ複数回電話を掛けていたという事実です。でも、あの時に使われたのは熊谷先生いう所のビジネス用携帯でしたね」

 でも、その実あの携帯電話はエリナが所有していたものだった。という事はあの日フル先に電話を掛けたのもエリナだったということだ。

「つまり、二見エリナさんは屋上に上がって降矢先生に電話をかけた。理由は睡眠導入剤の効き目を確かめるためにって訳ね」

「はい。電話に出なければ寝てしまっている可能性が高いし、寝ていなくても薬が効いていれば呂律がまわらないなど口調に特徴がでるかもしれない。そこで何度かかけ直した。でも、様子が変わらないことにしびれを切らした彼女は理科準備室まで自分で覗きにいったんです」

 かと言って余計な証拠は残せない。だから、彼女はそのままの恰好で下に降りた。

「その時の恰好も三角巾にゴム手袋だったっていう事?」

「はい。恐らく靴も履かずに靴下のままです。そして理科準備室を訪れた。普通だったらそんな恰好、降矢先生に不信感を抱かれるかもしれません。が、彼はすぐ隣でクレープの試食をしていた事を知っていました。だから、そこに違和感は余り感じなかったのでしょう」

「でも、その後彼女はどうしたのかしら。彼女の期待通り降矢先生が寝ちゃうって事はない訳よね」

「でももう、ここまで来たら後戻りはできないですからね。とりあえず彼女は降矢先生をベランダに誘い出したんでしょう。そこで力尽きてくれればいいと想ったのかもしれません。でも、降矢先生の様子は変わらない。それどころか、目の前に垂れ下がっているロープに気づき彼女が自分を殺そうとしている事が分かったのではないでしょうか。そして身の危険を感じた彼は逆にエリナをそこから落としたんです」

 その方法は例えばこうだ。フル先がエリナに向かって【おい、熊谷先生が下で何かこっちに向かって言ってるぞ】とか何とか声を掛ける。驚いて柵から下に顔を向けた彼女をそのままドンと突き落とす。こんな所だろう。

「そういう事か。で、流石に状況から言って正当防衛が認められるわけもない。彼が自分の犯行を隠すためにエリナさんの元のスマートフォンを操作してメッセージを入れた訳ね」

「そうです。恐らくえりなのもう一台のスマホは鞄の中に入れてあった。それを使って遺書を作成した訳ですね。そして、屋上にあがりロープを始末した後にスマホを屋上に柵脇に置いたんです」

 更には熊谷先生が呼び出されて無人になった保健室に鞄を置きに行ったのだろう。  

 何故かというと転落現場の屋上に置いておくとする。すると、転落時彼女が鞄の中にスマホを入れておいて手元から離れた可能性が出てしまう。

 そうなったら逆に工作した可能性を疑われてしまうかもしれないからだ。そうなっては元も子もない。

「なるほどそっちのスマホはいいとしてもう一台はどうしたのかしら。屋上からも現場からも見つからなかったわよ」

 そう、現場から見つかって警察に回収されたのは普段エリナが使っていたエメラルドグリーンのカバーが嵌っている物。となれば熊谷先生から貰ったもう一台は彼女が持っていたことになる。

「それは勿論、熊谷先生が回収したんです。先生はエリナ転落の知らせを受けてすぐに彼女の傍に駆け寄ったそうですね。その時に回収したんです」

 周りの人達は近づく事なんか出来なかったはずだ。そこへエリナの元にやってきて追いすがるように身を寄せた先生は誰にも気づかれずにスマホを手にできたのだろう。

「凄いね、まるで見てきたように言うじゃない」

 私の言葉を受けて先生は皮肉めいた口調で言った。でも、それは飽くまで皮肉。私が本当に見たという意味で言った訳ではない。が、それに私はきっぱりと言い放つ。

「はい、実は私見てるんです」

「な、何ですって?」

 流石にまさかそんな言葉が返ってくるとは思わなかったのだろう。私の言葉に彼女は驚きの声をあげた。

「私が保健室にいる時、机にしまっている所をこの目ではっきり見たんですよ。間違いありません、ピンク色のスマートフォンでした。」

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