第85話 茜差す部屋で語られる真実とは(4)
「それはつまり降矢先生がやったっていうの? でも、あの時彼は私の傍にはいなかったよ。お酒に薬を混ぜる事なんかできなかった筈だけど」
お酒に睡眠薬などを混ぜて飲ませることによって、通常の酒酔いよりも更に強い酩酊状態を作り出すことができる。そんなことはちょっと知識があればわかる事。だからこそ、フル先は自分が疑われるような素振りはしなかった筈だ。ではどうしたか。
「ええ。その通りです。私も降矢先生がやったとは思っていません。人にやらせたんです」
「ふーん。それって犯罪行為じゃない。そんな危険な行為をしてくれる人なんているのかな」
「普通ならいませんよね。でも、降矢先生はその時、丁度自分のいう事を聞かせられる人がいました。言うまでもありません、校長先生です」
宮前麻衣の一件。フル先は彼女に証言書まで作らせて明確な証拠を握っていた。フル先はそれを使い、飲み会の席で熊谷先生の飲み物に薬を入れ、前後不覚状態になった熊谷先生を家まで運ぶように指示させたわけだ。
「なるほど、校長先生は降矢先生からその時脅迫された訳ね」
横から滝田さんが合いの手の様に言葉を挟んだ。
「その通りです。降矢先生は熊谷先生をタクシーに乗せ貴方の家まで運ばせた。着いた先でどうしようとしたのか。嫌な話ですが想像は付きます。無理やり乱暴するとか。裸を写真にとってそれをネタに脅迫するとかそんな所だったんでしょう。ところが、ここで予想外の事が起きます」
私は言葉を切って一瞬熊谷先生の方を見ると小さくすみません無神経なことを言ってと付け加えた。そこに滝田さんが声を上げる。
「ハプニングが起きたって言うの? 何か降矢先生の計画を狂わす様な出来事かしら?」
滝田さんが興味深げにいった。熊谷先生は黙っている。
「狂わせたというのは正確じゃないかもしれません。寧ろ、彼の計画を後押ししてくれる出来事だったんじゃないかと思います」
「つまり計画って言うのは熊谷先生をその……自分の好きなようにするっていう内容の事よね」
「そうです。彼は熊谷先生に自分のいう事を聞かせることが望みだった。頭の中でグロテスクな欲望をたぎらせていた事でしょう。その最中に熊谷先生のスマートフォンが鳴ったんです」
「スマートフォンっていうと、誰かから連絡が来たっていう訳ね」
「そうです。そして状況から考えればそれもすぐに思い当たります。エリナからでしょう」
「ああ、なるほどね。彼女と熊谷先生が恋人同士なら夜遅くまでの飲み会参加は心配事だったでしょうね。終わる時間を見計らって電話をかけてもおかしくないわね」
でも、意識がほとんどない熊谷先生は出ない。そこで何度かかけ直す。そしてディスプレイに表示されるその名前を脇でフル先はじっとみていた。
「降矢先生もエリナと熊谷先生が幼馴染で今でも親しいという事くらいはしっていたでしょう。だから、一度電話がかかってくるくらいでは何とも思わなかったかもしれない。でも、何度も切ってはかかってくるのを見て不信感を抱いた。そして、スマートフォンの中身を覗き見た訳です」
その結果、彼は二人の秘密の関係を知ってしまったのだ。多少の動揺はあったかもしれない。でも、フル先にしてみればこれを知れたのは大きな幸運に思えだろう。そして熊谷先生とエリナにとってみれば大不運でもあった。
「そっか。つまり降矢先生はそれをネタに熊谷先生に対して自分の好きな様に出来るカードを手に入れたみたいなもんだもんね」
「そういう事です。そしてこの事実を押さえる事が出来れば無理やりその後熊谷先生の自宅に押し入ってどうこうする必要もない。いつでも好きにできるようになった訳です」
「死んだ人間の事をいいたかないけど、完全なくクズ野郎って奴ね。まあ、脅迫犯っていうのは一度やると味をしめるっていうけど、彼もそうだったわけか」
恐らく、彼は熊谷先生に対してエリナとの事を引き換えに関係を結ぶことを強要し、結婚を迫った。熊谷先生はそれに抵抗できるはずもなくのんでしまった。
「そういうことでしょうね。結果、降矢先生と熊谷先生は婚約することになった訳です。そしてこれがあの悲劇。二見エリナ転落事件につながるのです」
そう。ここからが本番だ。今までのは謂わば枕のような物。この話をする為にここまで長い前振りをしなければならなかったのだ。
「あの子は、自分から落ちたんじゃないの? 私はそう思ってるんだけど」
私の言葉に今まで黙っていた熊谷先生は顔を歪ませながらそういった。が、その口調は弱弱しい。
「いえ。違います。私は彼女の死には人的介在があったと想っています」
それは当然だ。そうじゃなかったら先生を呼び出してこんなことはしていない。
「じゃあ、誰かが殺したっていうの? それって、まさか私を疑ってる訳じゃないよね?私はあの日あの子が落ちたと聞いてすぐにかけつけたんだよ。ずっと保健室にいたし、何も出来る訳ないじゃない」
「ええ。勿論です。動機から考えても貴方がエリナを殺そうとしたとは思えません。では、他に彼女を殺そうとした人間がいたかですが」日奈や麻衣とは揉めていたのは間違いない。でも、彼女達がわざわざエリナを殺そうとしていたとは思いにくい。
「一番の候補は降矢先生でしょうか。でも、彼は熊谷先生を従わせていた。秘密が知られれば貴方の立場が悪くなることはエリナも重々承知していた筈です。彼には絶対的アドバンテージがあった。わざわざエリナを殺そうとするとは考えられません」
「ならば、犯人はいないってことじゃない。やっぱりあの子は何かの間違いで落ちてしまったんでしょ」
この期に及んで彼女は未だその結末が世に出る事を良しとしないようだった。でも、ここまできたらもう遅いのだ。
「いえ。私はそうも思いません。そこで発想を逆転させてみました。二見エリナを殺そうとしていた人物はいなかった。でも、逆に彼女が殺そうとしていた人物なら心当たりはありますよね。自分から卑劣な脅迫により恋人を奪った男。降矢先生です」
つまり、エリナを誰かが殺そうとしていたのではない。彼女がフル先を殺そうとしたという所から一連の出来事は始まったのだ。
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