第77話 彼と彼女の婚約事情は

「二人の婚約のきっかっけて、夏休み前にあった先生達の飲み会だったって聞いたんですけ」

「夏休み前の飲み会? ああ、あったなそんなの」

 この流れで聞くべきか迷ったが、他に聞く人がいないし仕方ない。

「熊谷先生がお酒のせいで寝ちゃったので、降矢先生が手助けして、タクシーに乗って付き添ったって聞きましたけど」

 それを契機にお礼をした事から付き合いが深まったという様な話だった。

「そうだったそうだった。熊谷先生もいつもはそんな事無さそうなんだがな、夏だったし疲れがでて酔いが早く回ったのかもな」

「降矢先生が手助けしたっていう事は二人は近くの席にいたんですか」

 参加した先生達は他にもいた筈だ。そしてその時点では二人共まだ親しくないとも聞いた。なら何故付き添いがフル先だったのか。

「いや。そんなことはなかったな。降矢先生は俺の隣にいて熊谷先生は離れた席だったよ。校長の隣だったかな。あの時何故か校長が随分張り切ってる感じでさ。料理とか飲み物の差配も率先してやってる感じだった」

「でも、途中から具合を悪くしたと。それで、何で降矢先生が送っていく事になったんですか」

 今聞く限りでは彼である必要性が余り感じられないが。

「かなりぐったりしてたんで、力がある男の方が良いだろうっていう事だった。その上で降矢先生の家の道行と熊谷先生の方向がほぼ一緒でな。熊谷先生の家から降矢先生の家まで歩けない距離でもないということで彼が帰るついでに連れてくのが良いだろうって、校長判断だったんだ」

「校長先生が指名したんですか。で、でも。大丈夫なんですか。こんな事言いたくないですけど、教師同士とはいえ男女の事ですよ」

 しかも、フル先は熊谷先生へ対して強引に迫ったりしたとも聞く。

「いや、正直言えばな。こっちも酔っぱらっちゃっててさ、あんまり考える余裕もなかったというのもある。ただ、思い返せば大丈夫だったかなとは思ったよ。結果大丈夫だったんだがな」

「え? だ、大丈夫って何がですか」

 大丈夫というのは何か間違いが起きていない事が確認された様な言い分だった。でも、なぜ今宮先生にそれが分かるのか。

「いや、その後な、何人か二次会がてら残れる者同士飲み直そうって話になったんだよ。で、駅の傍の店に入ったら、三、四十分くらいしてかな。降矢先生から電話があったんだ」

 何かと思って出てみると、【今、熊谷先生を自宅に送り終わった。帰ろかと想ったが、もし、まだ残って二次会などがあるなら戻って参加したい】そう言ったそうだ。

「で、実際に来たんですか?」

「ああ、ちょっとしてからやって来たよ。全部の時間を考えたら彼女を自宅に送って、それほど間が空いたとは思えない」

 お酒で弱った事を良い事に男が女を襲う。無理やり関係を迫って、しかもそれを写真などに撮りそれをネタに弱みを握る。

 ひょっとしたら二人の間にそんな事があったんじゃないかと疑ったのだが、どうも今宮先生の話を聞いていると違うようだ。

「じゃあ、熊谷先生が降矢先生と婚約したのは本当に送り届けてくれたっていう事がきっかけってだけなんですかね」

「そんなのは分からんよ。でも、男女の中って言うのはちょっとした事でくっついたり別れたりするもんだからさ」

「じゃあ、熊谷先生は降矢先生の事本当に想っていたんですかね」

「俺もあの二人のプライベートを見た事がある訳じゃないし、学校でべたべたするタイプでもないからわからんな。でも、そうだ。丁度あの日。先週の金曜日だ」

「どうかしたんですか」

 その日はいつの事かは確認するまでもない。私にとって忘れようと言ったって忘れられない事が起きた日だ。

「降矢先生はノンカフェインのコーヒーを買って飲んでたんだよ」

「はい、それは聞きました。保健室の冷蔵庫使わせてもらってたとか」

 確かカフェイン中毒を起こさない為の予防措置だとかいう名目だったらしい。

「そうそう。良く知ってるな。職員会議が終わってさ、職員室に戻ろうとしたら、降矢先生にあってな。手にコーヒー缶を持ってたんだよ」

 今宮先生曰く、それがいつもフル先が飲んでいた銘柄とは別物だったのにきづいたとの事。

「銘柄までみんな知ってたんですか」

「ほら、職員室の冷蔵庫に入れている事もあるからさ。ノンカフェインコーヒーなんて他に飲んでいる人がいないし、同じメーカーの同じものだから覚えちゃってたんだよ」

 他人の飲んでいる物なんて記憶するものかなと思うが、共有の冷蔵庫を使っていて、それが特殊なモノであればあり得る事かもしれない。が、

「その時は違うものをもってたんですね」

「うん。それがなんでも熊谷先生に貰ったんだって言ってた。彼女もカフェイン中毒気味なところがあって、少し控えようかと思ってたらしいんだよ」

「確かに、熊谷先生も自分にその気があるみたいなこと言ってましたね」

 昨日の朝だったか聞いた話だ。あの様子だとフル先みたいに離脱症状が酷くてしょうがないという訳じゃないんだろうが、身近にそういう人がいれば気を付けようという気になるのは分からないではない。

「で、彼女が買ったものをおすそ分けしてもらったっていう話なんだ。偶には気が変わって良いなんて嬉しそうに言ってたよ」

 言いながらフル先が亡くなったという事が急に身に染みたのかもしれない。今宮先生はシミジミとした口調になっていた。

 それに対して私はお礼を言いつつ、話の切り上げ時を探る。

「そうですか……。えっと、あの、すみません。色々聞いてしまって。後は何かないですか」

「ん? いや、大丈夫だ。それより、もう一度聞くがお前こそ大丈夫だろうな。余り無理するなよ」

 その口調には本心からの心配がこもっていた。どうも、私の話につきあってくれたのも、少しでも気がまぎれる様にとの心遣いだったらしい。

「ええ。大丈夫です。じゃあ、私は戻りますね」

 頭を下げて私は進路指導室を後にした。

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