第9話 雨と冤罪
ブロンズに助けを求めるように、首は動かさず、視線のみを横に流す。
『あなたたちは何者?』
まだあどけなさが残る女性の声は確かにそう言った。
眼前の鋭いツルはちびとブロンズを脅すかのようにその先端を向けている。
返答次第ではいつツルに襲われてもおかしくない。
ちびでは軽率なことを言いかねない。こういうのはブロンズに任せた方が賢いだろう。
沈黙するちびから思いを汲み取ったのか、ブロンズは静かに口を開けた。
「僕たちは悪いドラゴンではありません」
非常にシンプルな返答だった。林の中の声の主は間髪入れず、「そんなこと誰でも言えるわ!」と声を荒げる。
「すいません。僕たちはあなたのことを何も知らないので、どんな返答を望んでいるのか分かりません。まずは話し合いませんか」
「話し合いなら今してるわ」
「じゃあ、このツルを降ろしてくれ。それとも、『僕たちは悪いドラゴンです』とでも言えば解放してくれるのかい?」
ブロンズが突然発した、重圧を含んだ鋭い言葉に、一瞬、女性は狼狽えたかのように言葉に詰まった。数拍置き、動揺を隠すようなわざとらしい低い声を出す。
「……そしたら、刺す」
「でしょう。僕たちもあなたも情報が少なくて困ってるってことです。まずは、話し合いましょう」
「ん、もう! あんたは黙って! そっちのちっちゃいの! あんたが話して!」
「……ぼく!?」
痺れを切らした声に唐突に指名され仰天し、目を剥く。
「えっと、えっと……」
「僕が話してるんだ。急に変えないでくれ」
「うっさい、自分の立場が分かってるの?」
ブロンズの威圧はもう効かないようだ。音を立ててツルがブロンズの首元に迫った。
「自分の硬さに随分自信があるみたいだけど。私が貫けないとでも思った? それと……」
声がこちらを向いた。
「次、変な真似したら横のお友達も串刺しにするから」
ブロンズは口をつぐみ、動かなくなった。
その様子に満足した女性の意識がこちらに向いたのを感覚で理解する。冷や汗が吹き出た。ゴーストに追われている時とはまた違った緊迫感に圧迫される。
木々が生暖かい風になびき、緊張に生唾を飲み込むちびを嘲笑うかのように葉を揺らした。いつの間にか分厚い雲が空を覆っている。
「あなたたちはどこから来たの?」
最初の質問。
脳みそをフル回転させ、どう答えるべきか、潜考する。無鉄砲に答えるのは賢い判断とは言えない。かといって時間を使って長考するのも好ましいとは言えないだろう。
「崖の上から、き、来ました!」
数瞬の思考の末、導き出された答えは非常にシンプルなものだった。回りくどい言い方は性に合っていない。変に自分を偽れば、かえって不審がられるだろう。
「ふん、嘘はついてないみたいね。で、さっきの暗緑色のドラゴンは一体誰?」
「え……、なんでポイズンのこと知ってるの!?」
「見てたからに決まってるでしょ! はやく質問に答えなさい!」
ちびたちが崖の上から降りてくる様子を確認した上で試していたらしい。正直に真実を語っておいて良かった、とちびは安堵する。
いや、安堵している暇などない。次の質問は既に始まっているのだ。
ポイズンの身の上話を思い出そうとしたちびは、彼が大して自分の情報を語ってないことに気がついた。
ブロンズに暴かれた嘘を除けば、《聖樹》出身であることと130年生きていることしか彼の口からは語られていない。
「ポイズンは……ポイズンっていう名前で……気さくなドラゴンで、毒を操れて、130年生きてて……」
一つ一つあげていく。先程のこともあるため、正直にすべてを伝えるべきだと判断する。
しかし、
「《聖樹》出身で……」
その言葉を発した途端、ずんっと空気が圧迫感に支配された。意図せず息が詰まり、背筋に冷たいものが走る。言葉が出ない。殺気が背中に突き刺さる。発言を間違えてしまったことは明白であった。
「《聖樹》……」
小さく呟かれた、怨恨を孕んだ言葉は曇天に溶けていった。息をすることも忘れてしまいそうな黒い感情が渦巻いた空気の中、冷たい雨粒がぽつりとちびの頭の上で弾けた。
まるで拍手が盛大に広がるかのように、あっという間に雨の音は辺りに飽和していった。
騒がしく鳴き始めた林とは対照的に、女性の声は低く、掠れたようなものだった。
「そう……やっぱり……あんたたちだったのね……」
雨の中でもはっきりと届いたその言葉に、ちびの脳はけたたましく警報を鳴らした。
考えるよりも先に体が動く。
ブロンズを突き飛ばし、自分はその場から反対側に転がるように離脱した。刹那、先程まで立っていた場所にツルが突き刺さった。あと一歩でも遅かったら串刺しになっていただろう。
泥まみれになりながらもブロンズの無事を視認し、安堵する。同じく泥を被った彼は何が起こったのか分かっていないようだった。
体勢を整えながら森の中に声を投げかける。
「どうして攻撃してきたの!? ぼくたち、悪いことなんて何もしてないよ!」
「黙りなさい……」
地面に突き刺さっていたツルが再び顔を持ち上げる。土によって茶色く汚れた先端は渦巻き状に何度も捩れ、鋭い針のようになっていた。
「あんたたちだったのね……リーフを殺したのは……ッ!」
「…………え?」
耳を疑った。聞き間違いではない。今、確かに彼女はあの心優しい青年の名を呼んだ。
「リーフを知ってるの!?」
「やっぱりリーフのこと、知ってるのね。もう何も訊かないわ」
彼女はちびの質問に答えなかった。
代わりにツルがその身を回転させながら迫ってくる。そうすることで殺傷力を上げているのだろう。
横に跳んで寸前でかわす。ブロンズとの距離が更に空いた。二匹が分断するように意図的にツルを操っていたようだ。
「待って! ぼくたちはリーフを殺してない! 殺すわけがない!」
「話が飛びすぎだ、どうしてポイズンが《聖樹》出身だからって僕らがリーフを殺したことになる?」
「《聖樹》のやつらは信用できないわ! あんたたちも《聖樹》から来たんでしょう!?」
「違う! ぼくたちは崖の上の村で……わっ!」
ツルが頬を掠めた。僅かに付いた傷口から血が流れ出す。
数本のツルがちびを追う。喋っている暇などない。再び横に跳んで避けようとするも、右足が動かずその場で倒れ込んだ。見ると、ツルが足に巻き付いていた。足元の注意が疎かだった。
喉に熱を溜め、倒れたちびの背中を狙うツルに向かって振り向きざまに火球を放った。近距離で爆発が起こり、その衝撃で吹っ飛ばされ、同時に足の拘束からも脱する。
「ちびっ!」
吹っ飛んだちびを先回りしていたブロンズが受け止め、更に生成した銅で追ってきていたツルを撃墜した。
「あー! もう! 見えにくい! もういい!」
痺れを切らしたかのような声に続き、正面の草むらが揺れた。
そこから現れたドラゴンは実に既視感のある姿をしていた。
四足歩行のドラゴン。エメラルドグリーンと白のグラデーションがかかった体は雨粒によって美しく輝いている。
その姿がリーフと重なった。偶然では片付けられないほど容姿が似通っている。
「…………」
言葉が出ない。つまり、彼女とリーフは同じ種族のドラゴンなのだろうか。
「これでよく見えるわ。終わりにしましょう」
彼女の背後、木々の中からちびたちを取り囲むようにして数多ものツルが顔を覗かせた。その数は優に三十を超えるだろう。
雨足は強くなる一方であった。
ちびの冒険 まっしろしろすけ @shirosuke0000
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。ちびの冒険の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます