第8話 ポイズンと別れ

 ちびとブロンズが背中に乗ったことを確認すると、ポイズンは軽々と大空へ飛び立った。


 びゅうと風が顔に叩きつけられ、反射的に目を閉じる。前が見えない恐怖からポイズンに必死にしがみついていたちびだが、おそるおそる目を開け、感嘆の声を漏らした。



「わあ、すごい……!」



 解放感、そして爽快感。


 いつも見ている青空が心なしかより近くに感じられた。


 空を飛んだことのないちびにとっては初めての感覚だった。



「わ、景色がきれー!!」



 下には崖に面して池が広がっていた。その奥側には林があり、更に奥には草原と花畑が見えた。


 空を飛んでいるドラゴンはいつもこんな美しい景色を眺めているのか、と妬みを覚えてしまいそうなほど、見えた光景は強かにちびの心を感動で焦がした。



(あれ……?)



 林から少し距離を置いた草原の中に、どこかで見たことがあるような、既視感のある木が集中して生えていた。


 誰かが意図的に生やしたかのような、不自然な生え方だった。



(もしかして……いや、間違いない)



 疑問は確信に変わる。


 あの木は……。



「ほらちび、下も見てみろ」



 ポイズンの声で現実に引き戻される。


 声に倣い、視線を下げ、遥かに遠い地面に思わず身震いする。滝壺へ飛び込むという経験をすでにしているものの、目が眩むような高さにはいつまで経っても慣れることはないだろう。



「見て見てブロンズ、すごいよ! ぼくたち飛んでる!」

「うん、見てる。すごいね!」

「飛んでるのは俺だっつーの」

「ううん、皆で飛んでるの! ほら!」



 ちびは背中の小さな翼をぱたぱたと動かし、満足気に笑みを浮かべた。



「はは、本当だ。お前は飛んでるな」



 横目でこちらを確認し、「でも、ブロンズは飛べないだろ?」とポイズンは笑いながら言った。



「僕だって翼はあるよ」



 ちびが振り返ると、ブロンズは銅で作ったコンパクトな翼を器用に浮かし、本当に生えているかのように見せていた。


 全員で笑い合い、何故かお互いの翼を褒め合う。翼の形が綺麗、銅色なんて唯一無二、大きくてかっこいい、と言い合い、その都度笑った。


 しかし、リーフや村のことがちらつき、心の底からは笑えなかった。


 だが、束の間の一時は、たしかにちびの心に静かな安息をもたらした。




 △▲△




 楽しい時間はあっという間に過ぎ、惜しい気持ちがありながらもちびとブロンズは地面に降ろしてもらった。



「あれ、そういえばポイズンって体から毒出すんだよね……? 触ってよかったの?」



 我ながら恐ろしい発想に顔が青冷めていくのを感じる。



「ああ、それは大丈夫だ。毒分泌するっつても一週間で5ml程度だ。さっき水浴びしたばっかだから毒はほとんどねえよ」

「ほとんど……?」

「まあ、大丈夫だ」

「あやふやだね!? ほんとうに!?」



 ポイズンはにやにやしている。からかわれていると気づき、ちびはむっと軽く睨みつけた。



「はは、すまん、すまんって。実際本当に大丈夫だ。俺の体から出る毒は飲んだりしない限りはドラゴンに効かないくらい弱いから、心配すんな」

「そっか、ならよかった……」

「毒に弱いドラゴンは体表からでも効く時があるから “ほとんど” なんですね」

「流石だな、そういうことだ」



 感心した様子で頷き、ポイズンは仕切り直すかのように二、三回翼をはためかせた。



「本当はもっと先まで送ってやりたかったが、俺も仕事があってな、見捨てるわけじゃないんだが、すまない」

「いえ、全然大丈夫です。背中に乗せてくれて本当にありがとうございます」

「ありがとう!!」

「ああ。これからどこに向かうんだ?」

「えーっと……」



 ブロンズと顔を合わせる。今まで逃げることで精一杯で、更に村の外のことは何も知らないため目的地の決めようがない。


 だが、ちびは漠然と目指すべきところを思い浮かべていた。ブロンズはそれを読み取ったのか、小さく頷いて見せる。


 視線をポイズンへ戻す。



「ぼく、《聖樹》に行ってみたい!」



 予想どおりだったようで、ポイズンはにっと笑った。



「おう。その時はまた《聖樹》で待ってるぜ」

「うん!」

「すまん、色々言いたいが、もう行かなきゃいけねえ。じゃあ、気をつけてな。絶対死ぬんじゃねえぞ?」



 ポイズンは両翼を広げ、姿勢を低くした。《聖樹》出身のドラゴンの挨拶だ。


 最後にちびとブロンズと目を合わせ、大きく飛び立った。



「またね!」



 あっという間に崖の上に消え、静寂が残った。彼の陽気さと心強さは自分たちの心の支えになっていたのだ、と痛感する。



「良いドラゴンだったね!」

「うん。できればもっといて欲しかったけど」



 「提案なんだけど」とブロンズが切り出す。崖の上から視線を移すちび。



「ここでポイズンの帰りを待つのはどう?」



 彼の考えを読み取り、ぽんと手を叩く。



「確かに。仕事? が終わるまで待ってそのまま《聖樹》まで連れてってもらえばいいんだ」

「ポイズンには悪いけど、見知らぬ土地を歩き回るよりかはここで息を潜めて安全に《聖樹》に向かえた方が良い」



 考えずともちびは頷いた。話を聞く限り、ポイズンは《聖樹》を拠点にして仕事をしているようだった。帰還する際についでに背中に乗せてもらえれば一直線で《聖樹》に向かうことができるだろう。



「それまで身を隠す場所が欲しいけど……」



 あたりをぐるりと見回すブロンズに、池の方角を指し示す。



「あっち、おっきな横穴があるよ」



 上空から見た限りでは池が崖に面しているだけに見えたが、側面から見ると、実際は崖の下はドーム型の空洞になっており、洞穴のような見た目になっていた。


 日光が届かず、影が差しているちょうど良い足場が奥に見える。周りは水で囲まれているが、もし辿り着ければ雨も凌げ、身も隠せるだろう。


 それを伝えると、



「うーん、隠れるにはいいと思うけど、ちびの言ってるみたいにもし雨が降ったら水かさが増えて危ないんじゃないかな? ……あと、僕はそこまで辿り着けない」

「あ、そっか……」



 ブロンズの鈍色の体は重く、もし着水でもしたら泳ぐこともできずに溺れてしまうだろう。



「他になにかいいところは……」



 そう言いかけて林方面に首を回したその時、細長く鋭利なものがちびの眼前に突きつけられた。あまりにも突然のことに状況が飲み込めず、体が固まる。


 突きつけられたのは先が尖った蔦だった。林の中からいくつも伸び、まるでちびたちを逃さないように囲んでいた。


「動かないで」



 若い女の子の声だった。これも林の中から聞こえたが、姿は見えない。



「そのまま崖の方を向いて。何か変なことをしたら、刺す」



 ブロンズに助けを求めたい一心だったが、堪えて言葉のまま、木々に背中を向けた。同時に、それまで抑えられていた恐怖心がむくむくと膨れ上がった。


 もし、このドラゴンがゴーストたちを統括する《マスター》だとしたら?


 ブロンズと力を合わせたところで万に一つも勝ち目はないだろう。


 頼れるポイズンはもういない。何か一つのミスで容易に死ねる。


 ちびは今更ながら、自身が窮地に立っていることに気がついた。


 もっと慎重に行動すべきだったのだ。


 ポイズンと一緒にいた時間のせいで、まるで自分が強くなったかのような錯覚を覚えていたのだろう。



「単刀直入に訊くわ。あなたたちは何者?」



 この質問だ。この質問の返答次第で、命運が決まる。

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