第6話 ポイズン
「おえええ……」
川のほとりでうずくまるちびと、その背中を擦るブロンズ。二日前に食べた猪の肉らしきものが流されていく。腹の中のものを全て出し尽くしたはずだが、吐き気が収まる気配は全く無い。
「ぐええ……」
「水は飲んじゃだめだよ。何時間か安静にしてからじゃないとまた吐いちゃう」
頷き、口を濯いでから顔を上げる。頭がくらくらした。酷い気分である。
「……さっきのは、なに?」
水面を見つめたまま、軽くえづきながら言葉を絞り出す。
すっぱりと切断された首、地面に転がる頭、更に切断面から白い骨のようなものが見えていたのを思い出す。瞼を閉じなくともそれらは鮮明に思い出すことができた。今も何十メートルか後ろの木に引っかかっているだろう。
「確証はないけど、僕らの村を襲った紫のドラゴンーーゴーストだと思う」
「どうして、どうしてゴーストが死んでいるの?」
「……この森に来たのはゴーストだけじゃないのかもしれない」
発言の意図を理解できなかったが、ちびは口を挟まず次の言葉を待った。少し間を空け、ブロンズが喋りだす。
「……つまりは僕らの味方さ。誰かが助けに来てくれたんだ」
彼は明るい口調でちびに告げ、「そうだろ?」と言ってみせた。
背後でブロンズが優しい笑みを携えていることは見ずとも容易に想像できた。
それは希望であり、願望であることはちびでも理解できた。そして、それらにすがらずにはいられないほど自分たちが追い詰められていることも理解していた。
(崖を降りたらゴーストには会わないってブロンズは言った。けど、死んでるけど、ぼくたちはゴーストに会った。会わない保証なんてどこにもないんだ。それに、もし、ゴーストをやっつけたのが味方じゃなかったら? ゴーストよりも強いやつがいて、仲間割れを起こした可能性だってある……)
ちびにも思いついたことだ。ブロンズなどとうの昔に思いついていることだろう。
ブロンズには気づかれないよう深く息を吐き、頭の中の考えを払拭した。きっとまだブロンズは後ろで微笑んでいるはずだ。「そうだね」と笑みを返そうと振り返ったその時、
「おい」
どこからか知らない男の声が飛んだ。
体が強張り、作りかけの笑みはそのまま顔が引きつった。周囲の空気が緊張の糸でピンと張り詰める。
「誰かいんのか?」
ブロンズと顔を見合わせた。ちびが何か言う前にブロンズが口を開ける。
「誰ですか?」
返事はすぐに返ってくる。
「俺? 少なくともお前らの知り合いではないと思うけど。どこにいる?」
「…………」
ブロンズは目で『罠かもしれない』と訴えた。ちびは静かに立ち上がり、いつでも炎を吐けるよう準備を整える。気分は最悪だが、一発程度ならば撃つことができるだろう。
「だんまりか? おーい」
声は川の下流の方角から聞こえてくる。木々や野草が邪魔して先が見えないため、こちらから姿を確認することは難しい。
ブロンズはちびに向かって頷いてみせた。どうやら行くことを決めたようだ。
ちびが先頭になり、足音を立てずゆっくりと移動する。口は常に開き、いつでも炎の球を撃てる状態だ。
透明な小川の向こうには小さな池があった。その真上のみ葉の天井が広がっておらず、明るい日差しが差し込み、水面に反射してきらきらと輝いていた。しかし、水は少々濁っている。
その池の中央で誰かが半分だけ水に浸かっていた。
身長は一メートル五十センチほどあり、体は黒寄りの緑色をしている。二足歩行のドラゴンで腕は細長く、大きな翼は体の半分を占め、体格もがっしりとしていた。
彼は半目のような無気力な目でこちらを見つけ、「お」と声を上げる。
「さっき返事したのってお前らーー」
「わああああっ!!!」
「え、ちょ!?」
ちびの口から炎の球が飛び出す。この二日で相当追い込まれていたのだ。反射的に攻撃してしまったのも無理もなかった。
自分めがけて飛来する炎の球にぎょっと目を剥くドラゴン。そこで初めてちびは「しまった」と気がついた。
幸い、爆発は起こらなかった。というのも、相手のドラゴンが足元の水を操り障壁を作ったからである。元々エネルギー不足で弱々しい攻撃だったため簡単に受け止められた、という理由もあるだろう。
「あぶねえ!? おい! 挨拶代わりにブレス吐くとかどうかしてんだろ!」
「ご、ごめんなさい!」
勢いよく頭を下げ、めいいっぱいの謝罪を見せる。その際横目でブロンズを確認したが、彼は頭を下げていなかった。それどころか厳しい視線を池の中のドラゴンに送っている。そして、口を開く。
「すいません、ですが、僕はまだあなたを信用できません」
ブロンズは小声で「頭を上げて」とちびに伝えた。その間も目線は相手のドラゴンから一切離れない。
「警戒されてるな。まあ、とりあえず自己紹介といこうじゃないか」
会話の途中でちびが頭を上げたのを確認し、黒緑のドラゴンは翼を地面と平行に広げ、丁寧にお辞儀をした。
「俺はポイズン。この通り、《聖樹》出身のドラゴンだ」
「《せいじゅ》?」
ちびが首を傾げる。ブロンズは微動だにしない。
「あ? 知らないのか? おいおい嘘だろ」
ポイズンは姿勢を直し、小馬鹿にするような笑みを浮かべた。
「ざっくり言うと、《聖樹》は超でっかい木だ。んで、そこにいろんなドラゴンが住み着いてる。この世界で一番ドラゴンが集まる場所で、どんな辺鄙なとこに住んでても誰だって一度くらいは名前を聞くくらいすげえとこだ」
「それはどこに?」
鋭い眼光を光らせながらブロンズが問う。
「ここよりずっと遠くだぜ。ダリア火山の向こう側まで行って、更に火山が見えなくなるくらいまで行けばある」
ダリア火山というものを知らないが、恐らくは崖の上から見た火山だろう。
その姿は快晴でも霞んでいたほどだ。もし《聖樹》に向かうとするならば途方も無い道のりになるだろう。
(質問したことに全部答えてくれるし……悪い雰囲気も感じない)
そんなちびの内心など知らず、ブロンズは質問を続ける。
「じゃあ、君はどうしてこんな辺鄙な場所に?」
「俺は旅の途中。《聖樹》から来た。で、水浴びしてたらゲロが流れてきて、文句言おうと思って呼び出したら出会い頭に炎吐かれて俺怒り通り越して呆れ中。今ここ」
「それは本当にごめんなさい!!」
再び頭を下げるちび。
「まあこれでも130年生きてるんでね、俺の心は寛大だからーー」
「130年も生きてるの!?」
話を遮り、その上で罪悪感など一切感じさせない目を輝かせるちび。
村のドラゴンは全員ちびよりも年下であり、自身より長く生きているドラゴンはリーフしかいなかった。そんな彼でも生きていたのは10年程度で、100歳を超えるドラゴンは遥か上空を飛んでいる者以外、見たことがなかった。
(130年もすごい! もっと近くで見てみたい!)
興奮気味にポイズンへと走り寄るちび。
「あ、ちょっと、ちび! 駄目だ!」
ブロンズの静止の声が届き、池に入る直前でちびははっと我に返った。
(まだ敵かどうか分からないんだった!)
ちびは自身の好奇心を呪った。そして、視界が黒緑色に覆われた。一瞬でちびに接近したようだった。
自身の三倍はある体を見上げ、次にこちらに伸ばされている両腕の存在にようやく気がつく。
慌てて炎を吐こうと熱を喉に集結させようとするが、先程撃った炎球で力を使い果たしたようで、上手く炎が形にならない。
そして、あっという間に両肩を掴まれた。
(ま、まずい……!)
攻撃が来ると身構えたちびだったが、それは杞憂に終わった。
「おいっ、池には入るな!」
「……え?」
ぽかんと口を開けるちび。ポイズンから見たら随分間抜けな顔をしていただろう。
「こ、攻撃しないの……?」
純粋な問いに「はあ?」とポイズンは怪訝な表情を返す。
「なんで俺がお前を攻撃しなきゃなんねえんだ? いや、確かに怒る理由はあるけどな、俺がそんな些細なことで手を上げる小さなやつに見えるか?」
彼が言う些細なこと、というのはちびが吐いたゲロと炎のことだろうか。
「そんなことよりな、この池はお前らにとっては有毒なんだわ。だから入らない方がいいと思うぜ」
「あ……そうなんだ。ありがとう」
「いいってことよ!」
にっと笑い、ポイズンはちびから両手を離した。
ちびを攻撃するタイミングはいくらでもあったはずだ。だが、彼はしなかった。
(どうしても悪いドラゴンには見えない……)
後ろを振り返り、ブロンズにそうアイコンタクトを取る。彼も一連の流れを踏まえ、ポイズンは信頼に当たるドラゴンだと判断したらしい。少し前まで放っていた鋭い空気が一転し、ブロンズの瞳は柔らく優しい目に戻っていた。
「すいません、疑ってしまって。僕はブロンズっていいます」
「あ、ぼくはちびだよ!」
「おう! よろしくな」
ブロンズはちびの横に並び、ぺこりと軽くお辞儀をした。ちびもそれに倣う。
「少し僕たちのことについて話しても大丈夫ですか?」
「ん? ああ、まあいいけど。長いのは嫌いだぜ」
「手短にお話します」
そうして、ブロンズは村が襲われた事の顛末を話し始めた。
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