第5話 逃亡3

 暗闇の中、息を潜める。風で葉が擦れる音が聞こえ、それ以外は何の音もしない。


 ずっと同じ姿勢で体が硬くなっていたため、ちびは少しだけ体勢を変えた。じゃりっと土が擦れる。


 光は差し込んでこない。既に夜になっていた。暗闇の原因はもう一つ、ちびとブロンズが身を隠している小さな洞穴の入り口を葉っぱで覆ってカモフラージュしていた。


 ブロンズが肩を叩いた。入り口を警戒していたちびが振り向く。


 ブロンズは頷いてみせた。ちびが体を見下ろすと、細かな傷が治っていることが確認できた。彼の治癒の力で治療してくれていたのだ。


 目線と仕草で「ありがとう」と伝え、視線を元に戻す。葉っぱのバリケードは風で僅かに音を立てるだけで、目立った様子はない。

 奴らが現れる時、周りの気温が下がる現象も今のところ起きていない。


 昼頃、滝の近くで交戦し、敵の目眩しに成功したちびとブロンズはそのまま森の中へ逃げ込み、そこでちょうど良い洞穴を見つけた。疲労していたこともあり、今はここで隠れ、休んでいる。

 ブロンズの目論見通り、一旦森の中に入った後はあのドラゴンたちと会うことはなかった。

 一番恐れたのはでたらめに森を燃やされることだが、今のところその気配もない。

 束の間の休息、と言ったところだろうか。


 だが、あんな事が起きた後であり、ちびの頭は休まる気配すらなかった。


 静かになると途端に村のことを思い出してしまう。今までは逃げることに精一杯で他のことを考える余裕など無かったため、尚更だった。



(リーフ……みんな……)



 幸せに暮らしていた日々を思い出し、鼻の奥がつんと痛くなった。

 寝て過ごした家も、美しい花畑も、花の冠も、みんなも、全て燃やし尽くされた。

 きっとこれは夢なのだと自分に言い聞かせる。そう信じなければ、そう信じていかなくては自分が壊れてしまいそうだった。



(いや……違う。復讐するんだ。例えこれが現実でも夢であっても、ぼくは復讐する)



 再び肩を叩かれ、少し前と同じ光景が繰り返された。ブロンズは洞穴の奥へ行き、手招きをした。


 目尻に浮かんだ涙を拭い、限界までブロンズに近づいたところで彼は小声で話し始める。



「朝になったらここを出よう。それまで休もうか」

「朝? 今じゃなくて?」



 同じく小声で返す。闇に紛れて行動した方が見つかりにくいのではないか、とちびは考えた。

 ブロンズは躊躇なく頷いてから続ける。



「これは僕の推測になるけど……朝か夜かなんて関係ないと思うんだ。奴らーー仮に“ゴースト”と呼ぶけど、彼らは目がないだろう?」

「でも……ぼくは見られた気がしたよ。それに、目が見えなかったらあんな正確に攻撃できない」

「そうだね。つまり、視覚じゃない何かで周りを見ているんだ」

「……それって、音とか?」

「それも含む。音も、匂いも、風の感触も、その全てで周りを見ているんだ」



 次第にブロンズの伝えたい事が理解できてくる。



「えっと……つまり目が見えてないから夜も朝も関係ないってこと?」

「そう。そういうこと」



 満足げにブロンズは頷いた。

 葉っぱのバリケードが擦れる音がして、ちびとブロンズは一斉に目を向けた。特に異変はない。またもや風で擦れただけみたいだ。



「夜は交代で休もう。異変があったらすぐ知らせて。と、言っても、どうにかできる状況にはならないだろうけど……」



 ブロンズは肩を落とす。洞穴は袋小路になっているため、見つかってしまったら一巻の終わりだ。



「ぼく、安全に逃げられるようにお祈りしておくよ」

「うん。ありがとう、ちび。僕もそうするよ」



 最初の見張りはちびが買って出た。というのも、暗がりでもはっきり分かるほどブロンズが疲れ切った顔をしていたからだ。彼は元々体力がある方ではない。長いこと全力疾走をして、精神的にも追い詰められて疲労困憊だったのだろう。


 ブロンズは申し訳なさそうに眠りについた。途端に静かさが周囲を包み込み、抑え込んだはずの不安が膨れ上がり、同時に疲れがどっと押し寄せる。



 ちびは壁にもたれかかった。こうするとブロンズと入り口の両方を視界に入れることができる。



(もし後ろを振り返った時、ブロンズがいなかったら……怖い)



 そんなことあるはずがない。だが、ありえもしない一筋の考えはちびの中に簡単に入り込み、不安と混ざり合ってしまっていた。



(もしも、ブロンズまでいなくなっちゃったら……ぼくは……)



 違う、と首を振る。紫に包まれた村の記憶がフラッシュバックし、ちびの心の奥を沸々と燃やす。



(ぼくが守るんだ。絶対奪わせてたまるもんか)




 △▲△




 数回の交代を繰り返し、朝日がバリケードの隙間から差し込み始めた頃、ちびとブロンズは移動を始めた。

 


 生い茂る木々のせいで日光は遮られ、森は暗かった。前が見えない、ということは全くもってないが、突然物陰から何かが飛び出してきた時、反応できる自信はなかった。



「今朝は肌寒いね」



 ブロンズが小声で言った。周囲に大きな生物の気配が無いことは確認済みのため、紫のドラゴンーーゴーストが近くにいるわけではなさそうだ。



「もしかしたらゴーストの接近に気が付かないかもしれない。だから、その時のためにいつでも動けるようにしておこう」



 ちびは「うん」と頷き、先を急ぐ。



 歩き始めて既に一時間は経ち、それでも変わらない鬱蒼とした景色にちびは焦りと苛立ちを覚えた。同じ場所をぐるぐるとループしているのでは無いかと本気で疑ったほどだ。



「ねえ、ブロンズ」



 思わず声を出す。

 しかし、すんでのところで言葉を呑み込んだ。背後のブロンズには見えないはずの笑顔を取り繕い、口を開ける。



「お腹空いてない?」



 数秒経って返事は返ってきた。



「大丈夫。僕の身体は一ヶ月食べ物を摂取しなくても生きていけるから。ちびの方こそ大丈夫?」

「ぼくも大丈夫。ブロンズより短いけど、ぼくは一週間何も食べなくても良いから」

「近くには川もあるし、喉の乾きも心配要らないから暫くは大丈夫だろうね。あとはこの森がどれだけ続くかだけど……」



 近くの川、というのは、滝から繋がっていた細長い川で、今も横約十メートル先を流れている。

 川の付近は砂利であり、植物があまり生えていないことから森の中よりも見晴らしが良いため、敢えてそこを避けている状況だ。



「リーフからは何かーー」



『リーフ』という名前を口に出し、きゅっと心臓が締め付けられたのを感じた。

 数拍置き、ちびは何事も無かったかのように話を続ける。



「ーーリーフからは何か聞いてないの?」

「ごめん。滝から先のことは聞いてないんだ」



「そっか」と返事を返し、そこで会話は終わった。両者共に、これ以上会話を続けるのは得策では無いと判断したからだ。



 ちびはぎゅっと拳を握りしめる。昨日までそこにあったはずの葉っぱは、今頃滝壺でもみくちゃにされてしまっているだろう。

 それでも右手の中には仄かな温かみがあるように感じた。



(もしも、もしもリーフがここに居てくれたら、森の声を聞いて、迷いなくぼくたちを安全なところへ連れて行ってくれたはずだ)



 リーフは森と心を通わせていた。どこで何が起こったのかを瞬時に理解し、異変があれば誰よりも早く止めにいっていた。



(森の声が……)



 ざわざわと木々が騒ぎ出し、ちびは現実に引き戻された。

 寒い。

 昨日の朝と同じ感覚だ。とてつもなく恐ろしいことが起こりそうな、漠然とした予感に包まれる。


 後ろを振り返ると、ブロンズは険しい表情をしていた。彼も異変を感じ取ったらしい。



「草に身を隠してやり過ごそう」



 小さな声で告げられたその提案にちびは即座に頷き、姿勢を低くする。


 うつ伏せになったちびの頭に何かが滴った。



「……?」



 その正体を確認しようと顔を静かに地面から離し、見上げる。


 ただの木だ。


 否、違う。二股に分かれた木の間に何かが引っかかっている。あれは、何だろう。


 まじまじと見つめ、解像度が上がる。


 尾先がすっぱりと切断された、細長い尻尾。そして、それに繋がっているのは、当たり前の如くドラゴンの体だ。

 そのドラゴンは、だらんと無気力に四肢を宙に投げ、仰向けになって寝ているようだったが、指先一つ動く気配がなかった。


 その答えは単純明白、首から上にあるはずのものがなかった。

 切れ味の良いナイフで果物を切り落としたかのように、ちびの方へ向けられたその断面は綺麗に切断されていた。


 その切断面から紫色のどろりとした液体が溢れ落ち、今度はちびの目の前に落ちた。



「ーーーー」



 体の震えが止まらない。叫び声も声にならず、口から空気が漏れた。


 死んでいる。


 そう確信した瞬間、胃の奥から何かが迫り上がってくるのを感じた。

 何とか堪え、荒い息を整えながら視線を落とす。



(何が起こっているの……? だって今のドラゴンは、ぼくたちの村を襲ったあの紫のドラゴン……)



 そこまで思考して、ちびは目を見開いた。先ほどまでは草で隠れていたそれが、見える。

 紫の血の重量で押し潰された草むらの奥、そこに頭が転がっていた。


 突き出された舌も、ほっそりとした顔も、土と自らの血で燻んだ色をしている。

 目はないが、こちらを見ているようにしか思えなかった。



「うっ」



 限界だった。

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