第4話 逃亡2

 全力疾走で疲れ切った足をひたすらに動かす。恐怖に支配され、何かを考える余裕なんてなかった。息を切らし、何度も躓きそうになりながらもちびとブロンズは森の中をひたすらに抜けていく。


 ここがどこなのかはとうの昔に分からなくなっていた。でも、足を止めるわけにはいかない。リーフが生かしてくれたこの命を無駄にはできない。




「ちび」




 ブロンズが立ち止まる。ちびも慌てて立ち止まり、その拍子に足元から小石が転がった。小石は1メートルほど転がり、次の瞬間、地面に吸い込まれるようにして消えていった。




「崖だ」




 じりじりと歩み、ちびは下を確認する。おそらく50メートルはあるだろう。下にも森が続いているらしく、はるか先まで緑が続いている。生まれてはじめて見る、目がくらむような高さに思わず体を震わせる。




「リーフが前、村から西に数キロ離れたところに崖があるって言ってたことがあった」




 ブロンズは息を吸って続ける。




「崖を避けるには、このまま崖沿いに『火山』の方向に迂回しながら下っていけばいずれかは地面につける。でも、そんな時間が僕らに残されているとは思えない」




 ちびは頷く。火山はちびたちから見て斜め右手側にあった。とはいっても遠すぎて霞んでいる。天気が良くなければ最悪見えなかったかもしれない。


 火山と一緒に視界に写ったもくもくとした黒煙が、村から立ち上っていた煙と重なり、ちびは思わず目をそらした。




「少なくともリーフと戦っていたあのドラゴンは僕らが逃げたことを知っているはずだ。……きっと追ってきている」




 今まではただがむしゃらに道を突っ走ってきたから追いつかれずにすんだのだろう。だが、もし敵が追ってきている場合、迂回するとなると、その距離はぐっと縮まる。それに、あの数だ。仲間を呼んでぼくたちを捜索しているとすれば、状況は考えるまでもなく絶望的だ。


 考えているとちびは腹が立ってきた。何にこんなにも苛ついているのか、それを理解するには心当たりが多すぎた。


 リーフを殺したあいつ。みんなを殺して、村を焼き払ったあいつら。ちびたちの自然を奪ったあいつら。自分の無力さ。未だ恐怖に震えている情けなさも。あるいは、その全部。




「……ぼくたちが何をしたっていうのさ」


「それは……」


「毎日楽しく暮らしていたんだ。美味しいものを食べて、みんなと遊んで、ブロンズが作った銅を取り合って、森で迷子になったぼくをリーフが何日もかけて助けてくれたときもあった。色々あったけど、充実してた……。ぼくたちは誰かに迷惑をかけたの? 本当に、ただ幸せに暮らしていただけだったのに……」




 ブロンズは延々と続く森を見下ろしながら黙り込んだ。




「ぼく、決めたよ」




 森と空は、はるか先の地平線上で一つになっていた。ちびは拳の中に恐怖を閉じ込めた。そして、もう二度と出てこられないよう、力いっぱい握りしめた。




「強くなって復讐する。すべてを奪ったあいつらを皆殺しにする」




 ブロンズはさして驚きはしなかった。小さく頷き、顔を上げる。




「僕もそれ、やってもいいかな」


「……! うん、もちろん」




 でも、とブロンズは火山を指さした。




「まずはここから『火山』の方角に向かう。今の僕らじゃ到底勝てない相手だから、逃げるんだ。逃げて、強くなって、復讐を果たそう」


「……うん、分かった」




 右を向き、歩き始めたブロンズを追いかけるちび。




「でも、迂回するんだったら追いつかれちゃうかもしれないよ」


「うん。というか、確実に追いつかれるね。あのドラゴンたちは地形を無視して飛んでるみたいだし」


「あ、そっか……つまり崖から降りたあとも安心できないのかな」


「いや、木々が僕らを隠してくれるだろうし、下の森は広いから、よっぽど運が悪くなければ追いつかれる心配はない思うよ」




 その前に追いつかれてしまうのでは意味がないじゃないか。とある音が聞こえ、ちびは外まで出かかった言葉を飲み込んだ。


 かすかに聞こえる、水の音。それも、流れが早い。




「そう、ただ迂回するだけじゃ駄目さ」




 ちびの考えていることが分かったらしく、ブロンズは若干得意げに振り返った。




「だから、ショートカットしよう」




 それの全容が見えてくる。


 ちびとブロンズの前でごうごうと音をたてる滝は、圧倒的な存在感でそこに鎮座していた。




「まさかブロンズ、嘘だよね」




 冗談半分でブロンズを見るが、彼はやる気満々だ。とても嫌な予感がする。




「ちびが考えてる通りさ。危険だけど……ここから滝壺に飛び降りる」




 崖端に寄り、下を確かめる。やはりというべきか、高い。




「他に方法は……」


「ちび。風にのって煙の匂いが僅かにする。もしかしたら、でたらめに森を燃やして僕達を探しているのかもしれない。すぐそこに迫ってきてると考えてもいい。数秒後にだって見つかっているかもしれないんだ。こうするのが最善策さ」


「う、うん……」




 ブロンズがそこまで言うならば、今からすることはこの状況で一番正しいことなのだろう。


 ちびはそう考え、腹をくくった。ちびの表情の変化を読み取り、ブロンズは安心した顔で頷く。




「分かってくれてありがとう、ちび。まずは僕が行くよ」




 そう言い、ブロンズは30センチほどの縦長の銅を創り出した。それを両手に一本ずつ持ち、崖を背にして二本の銅を肩の上に担ぐようにして構える。


 ブロンズのすぐ後ろは崖で、その下に滝壺はなく、地面が広がっていた。




「え、えっと、何をする気?」


「僕は重くて水に入ったら沈んじゃうからね。まあ、見ててよ」




 そう言うなり、体勢はそのままブロンズは背面に飛んだ。あっという間に姿が見えなくなり、ちびは慌てて崖の下を覗き込む。


 ブロンズは二本の銅を崖の表面に突き刺し、削りながら下に降りていっていた。落下の速度が若干落ちている。しかし、高さ半ばのところでバランスを崩し、勢いよく地面に激突する。




「ブロンズ!!」




 焦って叫ぶが、ブロンズはけろりとした様子で手を振った。


 彼の体は頑丈にできている。その身一つで岩を割ることだってできるくらいだ。余計な心配だったらしい。


 ブロンズは滝を指さした。次はちびの番だと伝えているのだ。


 ちびは生唾を飲み込み、ごうごうと音をたてる滝の横に立った。覚悟は決めた。あとは飛び込むだけだ。しかし、恐怖からか体が震える。大丈夫だと自分に言い聞かせる。




「よし」




 ぎゅっと口を結び、足に力を入れる。その時だった。


 ぞくりと嫌な悪寒が走り、ちびはほぼ反射的に後ろを振り返った。




「あ……」




 木々の間から、紫の煙のようなものを纏ったドラゴンが姿を現した。それも、3匹。




(さっきぼくが叫んだから、それで場所がバレたんだ)




 そのうちの中央に浮かぶドラゴンが口を開けた。何度も見たあの紫色の光がちびに狙いを定める。


 考えている暇なんかない。


 踵を返し、崖から跳ぶ。すぐ真上を紫色の炎がかすめた。あと少し判断が遅かったら焼き尽くされていただろう。




「ちび!」




 ブロンズが叫ぶと同時に水面に叩きつけられ、勢いのまま水中に投げ出される。体中に痛みが走った。


 急いで上へ向かってもがくが、伸ばしたはずの手は何故か地面をえぐった。




(あ、あれ……? 上ってどっちだっけ……?)




 えぐられた地面から土や泥が舞い上がり、ちびの視界を奪う。口から空気が漏れ、代わりに砂利が入り込んだ。




(はやく戻らないと!)




 焦れば焦るほど土が視界を覆い、貴重な空気が逃げていく。




(空気……あっ)




 ちびはすべての空気を吐き出した。限界を迎えたわけではない。ある方法を思いついたからだ。




 自身から生まれた空気の泡は確実に水面へ向かって上昇していく。ちびは冷静にそれを追いかけ、水面から顔を出した。




「ぷはっ……!」




 空気を吸い込んだのもつかの間、




「ちび! 危ない!」




 ブロンズの声が響く。




「え……」




 なにかできるわけでもなく、すぐ真横に着弾した紫の球が爆発を巻き起こす。


 水しぶきとともに吹き飛ばされ、ちびは地面を転がった。さっき痛めた体の箇所が悲鳴を上げる。爆発の影響で水からは上がれたようだ。




 なんとか顔を上げると同時に体が地面から離れた。ブロンズの手がちびの体を支えている。ちびを抱きかかえて走っているようだ。


 すぐ背後で爆発が起き、熱風が届く。見ると、三匹のドラゴンが滝の中間あたりで繰り返し紫の球を撃ち続けている。




「ちび、爆発力高めの頼めるかい?」


「うん……!」




 抱えられたままちびは口を開け、意識を集中し始める。


 その間、ブロンズは半円状の水際を走りながら銅を三つ生成した。それらがそれぞれ敵に向かっていき、一つは当たらなかったものの、ドラゴンたちのバランスが乱れた。反撃の暇も与えず更に追加の銅が襲いかかる。ただの銅といってもそこそこの威力で射出されているので当たれば痛いはずだ。たまらず攻撃が止む。


 その隙にブロンズが足を止め、ちびの狙いが完璧に定まった。




「今だ!」




 ここぞとばかりに打ち出された炎の球が中央のドラゴンに命中し、中規模の爆発を巻き起こした。熱風が吹き荒れ、煙が両者の視界を遮る。


 しばらくして煙が晴れ、三匹のドラゴンは言葉にならない声で小さく唸った。


 そこにちびとブロンズの姿はなかった。

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