第3話 逃亡

「ちびっ!」




 ドンっと突き飛ばされ、ちびは川の中へ転がった。直後、大きな爆発音が鼓膜を貫く。


 幸い川は浅瀬で、ちびはすぐに体勢を立て直せた。先ほど自分が立っていたはずの地面は黒く焦げ、煙を上げていた。その中央に、リーフを守るようにしてブロンズが立っていた。


 ちびは状況が理解できなかった。


 なぜ、ブロンズは自分を突き飛ばしたのか。どうして爆発音がしたのか。ブロンズがリーフを守っているのか。


 その答えは、空を見上げることであっさりと出た。


 ちびとブロンズから距離五メートルほど、紫色の煙を纏ったドラゴンが浮いていた。


 飛んでいるのではなく、浮いている。


 ちびは目を凝らす。煙で見にくいが、確かに翼はない。顔は細めで口はあるが、目と鼻がなく、長い手足はだらんと無気力に伸びていた。尾はなぜか先端がすっぱりと切断されていた。身長はちびの2倍程の1メートルはある。


 その恐ろしい容貌にちびは震えが止まらなくなった。逃げろと脳は警報を打ち鳴らしているが、体が動かない。いつの間にか、目はそのドラゴンに釘付けになっていた。


 ブロンズは自分を守ってくれたのだ、とちびは心を落ち着かせながら理解する。そして、こいつがリーフに怪我をさせたのだとも理解した。


 そう思うと、今度は怒りが湧いてきた。目の前のドラゴンを睨みつける。不思議と体は動いた。


 大きく口を開け、息を吸い込む。喉の奥にちりちりとした熱気が溜まるのが分かった。


 狙いを付ける。ばっちりだ。


 勢いよく息を吐くと、ちびの口から炎の球が飛び出した。それは一直線に空に浮かぶドラゴンへと飛んでいく。まさか反撃されると思っていなかったのか、炎の球はあっさり命中した。ドラゴンが火に包まれる。


 確かな手応え。ちびはもう一度息を吸い込む。そして、二回目の発射。再び命中。


 汗を拭い、ちびは荒い息で未だ空に浮かび、火に包まれているドラゴンを睨みつける。すると、そのドラゴンが纏っていた紫の煙が肥大化し、いとも簡単に火を消し去った。


 確かに目はなかったはずだが、ちびは見られていると確信した。ぞくりと背筋に冷たいものが走り、一瞬にして汗が冷汗に変わる。




「ア……ア………アア……」




 そいつはなにやら低い声で呻くと、周りに大小さまざまな紫の球を出現させた。その数は10を超える。


 攻撃される。


 ちびは慌てて息を吸い込み始めるが、遅い。どう考えても間に合わない。




「ア……アア…………」




 全ての球がちびに向けられた時、横から飛んできた何かがそのドラゴンの頭に勢いよく当たった。




「こっちにもいるよ」




 ブロンズが生成した銅が手から発射され、次々とドラゴンに当たっていく。




「アア…………」




 ふらつき、落下するドラゴン。そこにちびの追撃が飛んだ。


 着弾、爆発し、熱風が吹き抜け、ちびはその間にブロンズの元へと駆け寄った。




「ブロンズ、ありがとう。さっきは……」


「いいから、今のうちにリーフを運ぶよ」




 頷き、リーフの肩を持つ。生ぬるい液体が、リーフからちびの背中を伝っていった。


 猶予はない。早く村に帰って、安全なところで治療しなければならない。


 焦燥感に駆られ、ちびは後ろの気配に気がつかなかった。


 体に衝撃が走り、ぐるぐると視点が回って、地面に叩きつけられる。ようやくそこでちびは吹き飛ばされたことに気がついた。




「ぐっ……」




 横からブロンズの呻き声が聞こえる。ちびと同じ状況のようだ。


 混乱する頭で顔を上げると、すでにそこには、紫の煙を纏ったドラゴンが立っていた。ちびたちを見下ろし、そいつは口を開ける。ちびと同じ原理で口の中にエネルギーが集結し、喉の奥から紫の光が覗いた。


 体を動かそうとするが、痛みが走るだけで全く動かない。無理やり立とうとすると激痛が走り、ちびは地面に倒れ伏した。


 祈るようにして重い頭を動かし、わずかに横を見るが、ブロンズは微動だにしない。気を失っているのか、はたまた……。


 全てを諦めたちびは、紫の光を見つめながら、悔しさに奥歯を噛み締めた。




(もう、だめだ)




 紫色の光は一瞬、大きく発光し、その口から飛び出した。紫の炎がちびの視界から全てを奪っていく。そして、ちびとブロンズもその炎に飲み込まれそうになった時、それは起こった。


 炎は急に方向を変え、ちびの右上を掠めていった。


 目の前にいたはずのドラゴンは誰かに押さえつけられ、もがいている。




「リ、リーフ……!?」




 血まみれでもなお、リーフはドラゴンを押さえつけ、その喉元に食らいついた。


 奴が纏う紫の煙が再び肥大化し、強烈な風を巻き起こす。しかし、しっかりと喉元を捉えているリーフは離れない。


 今度は紫の球が出現し、リーフ目掛けて発射されたが、様々な方向から勢いよく飛んできた葉が球を貫き、リーフに辿り着く前に爆発させた。


 リーフは横目でちびを見た。優しい目だった。彼は、逃げろと目で訴えた。




「そ、そんな、無理だよ」




 口を開けたドラゴンが、リーフに向けて紫の炎を吐き出した。身を焼かれ、それでもリーフは離れない。ちびは声にならない叫び声をあげた。精一杯体を動かし、リーフの元へ少しずつ這い寄ろうとする。




「来るなっ!」




 怒声が響き、ちびは呆然とした。


 リーフはちびや村のみんなに対して、いつも笑顔で、温厚で、優しかった。彼と会ってから今まで、怒声を浴びせられたことなど無かった。




「ち……び」




 リーフは優しい声に戻っていた。炎の攻撃がようやく止まり、皮膚が焦げた臭いが辺りに広がる。トレードマークの美しいグラデーションは、見る影も無くなっていた。




「《マスター》……で……ありながら……なにも、守れなかった……僕を、……恨まないでくれ。そして……誰も、責めないで……」




 喉を焼かれ、かろうじて掠れ声しか出なくなったリーフは咳き込み、続ける。




「楽しかった……ほんとう、に…………。ありがとう…………ちび、ブロンズ…………みんな…………」




 宙に浮いた葉っぱが、力無くちびの足元に落ちた。




「行け…………これが、ぼく、の、……最後の……仕事…………。…………は、村、……んなを………避難…………」




 ドラゴンに葉っぱが襲いかかる。体を切り刻まれたドラゴンは低い声で悲鳴を上げた。しかし、再び口を開き、炎の準備を始める。やつもこれが有効打だと気がついたらしい。


 そしてもう一度あれを食らえば、リーフは……。




「ちび」




 後ろから声がして、振り向く。ブロンズが立っていた。ちびも力を振り絞り、ふらつきながらもなんとか立ち上がる。




「行こう、ちび」




 彼は顔を顰めながら頭を押さえ、小さく言う。気絶していただけだったらしい。そのことに安堵するが、ブロンズの申し出にちびは素直に頷くことができなかった。




「でも、ブロンズ! リーフを助けないと! ぼくたち三匹だったら倒せるよ!」


「ダメだ。ちびの攻撃も、僕の攻撃も全く通ってなかった。僕が攻撃した箇所も再生されてる。それも、恐るべき速さだ。リーフも、もう戦える状態とは言えない……」




 ぐにゃりと景色が曲がっていくようだった。絶望に打ちのめされ、それでも全員が助かる方法をちびは模索する。しかし、そんな方法があったらブロンズが先に考えついているはずだ。なにも、思いつかない。




「それに、ここでもたもたして、リーフがやられたら……僕たちじゃ、あいつを止められない。誰かが村に伝えなきゃ、全員死ぬんだよ。リーフもさっき、村のみんなを避難させてって言ったんだ」


「じゃあ、ブロンズが村に伝えて! ぼくはリーフと一緒に戦う!」


「ちび! ふざけたこと言わないでくれ!」




 激昂するブロンズ。リーフに向けられる紫の光。村のみんな。ここで過ごした日々。リーフの笑顔。村のみんなの笑顔。


 それらが全てぐるぐると脳内を回り、埋め尽くし、ちびは呼吸が荒くなった。迷っている時間なんてない。全滅か、それとも、リーフ一匹の犠牲で済ませるか。決断が迫る。




「…………行こう、村に」




 ちびが言うと、ブロンズは苦しげに頷いた。




「分かってくれってありがとう、ちび。僕だって、辛い」




 ちびは足元の葉っぱを拾い上げ、しっかりと握りしめた。


 ブロンズと共に森の道を走って戻る。背後で爆発音が聞こえた。そして、静まり返る。聞こえるのは、ちびとブロンズが茂みを踏む音だけだ。ちびは泣き出しそうになるのを堪えながら、一歩一歩確実に踏み締めていく。

 村に近づく。ちびは汗を拭った。全力疾走したせいか、体が暑い。炎の球も撃ったことで体温が上がっているのだろう。




「ちび、待って」




 ブロンズの声で急ブレーキをかける。ブロンズは呆然としていた。この顔を見るのは、今日で二回目だ。祈る気持ちで彼の視線の先を見る。




「うそ……」




 村が紫色に染まっていた。否、紫の炎に包まれていた。


 村の上空にはあの紫の煙を纏ったドラゴンが無数に浮いており、炎を吐いて、全てを燃やし尽くしていた。


 いつか寝転んだ草原も、美しい花畑も、空ですらもくもくとした黒い煙に覆われていた。


 森にも火が移り、もう少しもすればあっという間に燃え広がるだろう。


 体が暑かったのは村、そして森が燃えていたからであった。




「みんなは、どうなったの……?」




 目線はそのまま、ブロンズに尋ねる。




「村の、みんなは……!?」




 ブロンズが顔を伏せたのが分かった。


 いつもなら、みんなはまだ寝ている時間だ。ちびたちは、あのドラゴンが五メートルも接近する瞬間までその気配に気がつけなかった。寝ている状態なら、なおさら気がつけなかっただろう。


 その答えが導く結果を、ちびだって理解していた。しかし、尋ねずにはいられなかった。信じたくなかった。




「逃げよう、ちび。あそこに行ったって、どうにもならない……」


「なんで……なんで、どうして!」




 村に背を向け、二匹で走り出す。


 涙が溢れた。




(どうしてこんな目に……? ぼくたちが、何をしたっていうの? なんで、なんで……)




 村から離れ、見知らぬ景色の森の中をただひたすら走る。


 手の中の葉っぱは、既に茶色く命を失っていた。




(もっと、ぼくが強ければ。そうすれば、みんな助かった。もっともっと、強ければ! )




 その日、ちびは固く決意した。強くなる、と。


 そして、村のみんな、リーフの仇を討つ、と。

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