第2話 異変
『ううぅ……ひぐっ……』
どうしようもない不安に駆られ、ちびは泣いていた。
森の奥深く、日光は木々に遮られ、幼いちびには今が昼か夜かも分からなかった。
『ぐすっ……うえぇん……』
森に響くのは、ちびの泣き声だけだ。得体の知れない恐怖に押しつぶされそうになる。涙で顔はぐちゃぐちゃになり、前も見えなかった。
『誰かいるー?』
その時、誰かの叫び声が聞こえ、ちびは顔を上げた。息を止め、木に背中を押しつけ、涙を拭いながら辺りを見回す。
『確かここら辺から……あっ』
声の主が草むらから顔を出す。確かに目が合った。
そのドラゴンは草むらから飛び出し、ゆっくりとちびのそばへやってきた。緑と白のグラデーションがかかった、綺麗な体だった。
ちびと同じ幼さだと見受けられたそのドラゴンは、警戒するちびへとにこやかに歩み寄る。
『もう大丈夫。大丈夫だよ』
声も出せずに震えていたちびだが、そのドラゴンの笑顔を見ているうちに次第に恐怖心が消えていった。
このドラゴンは、悪い子じゃない。
一度そう思うと、今まで張り詰めていた警戒心も全て解け、再び涙が溢れてきた。
『名前、分かる?』
ちびは泣きながら答える。
『うぐっ……ち、ちび……』
その子は少し驚いた顔をしたが、ちびが涙を拭った後には温かい表情に戻っていた。
『そっか、ちびか。僕はリーフ。よろしくね』
そこで目が覚めた。
寝ている間に泣いてしまっていたらしく、ちびは目尻を拭った。外は明るくなり始めていた。
(今でもあの日のこと、思い出すなあ)
あれがちびとリーフの出会いであった。そして、2匹で生活をしているうちに、リーフがどこからかブロンズを引き連れてやってきた。初めて会った彼は無口で、泥だらけで、体の銅は太陽が当たっても輝きさえしなかった。
しかし、ちびたちと過ごすうちに打ち解け、今では村のみんなーーどこからかリーフが連れてきたドラゴンたちに好かれる存在にまでになった。
そう、この村は、リーフが保護した身寄りのない幼いドラゴンの集まりで出来たものだった。
(あー! 気分転換気分転換! 顔でも洗いに行こう)
ちびは立ち上がり、枕元に置いた花の冠を一瞬眺め、それから近くの川へと向かう。川は森を少し進んだ先にあり、歩いて片道三分ほどだ。いつもはそこで水を飲んだり、体を洗ったりしている。
まだみんなは寝ているらしく、昨夜のような騒がしさは村のどこにもない。当たり前の静けさだが、ちびは妙な胸騒ぎを覚えた。
森に入る。森は、異様に静かだった。
いつもは鳥が美しい旋律を奏で、蝶が舞い、ミノムシが挨拶と言わんばかりに顔にぶつかり、川のせせらぎからは時たま魚の跳ねる音が聞こえてくるほど、ここは森の生き物たちで賑わっていた。
しかし、今は鳥の声どころか虫一匹見当たらない。
何かがおかしい。ちびの胸騒ぎは確信へと至った。
もう少しで川というところで、がさりと背後で物音がした。振り返るよりも早く、何者かの手がちびを掴む。
「!?」
声にならない悲鳴をあげるちび。しかし、ちびを掴んだ手をよく見ると、それは鈍色をしていた。
「……ブロンズ?」
この色の持ち主は彼しかいない。ちびが呼びかけると同時に草むらからブロンズが姿を現した。ブロンズは「しっー」と、もう片方の手の指を口元に寄せる。
「ちび、気付いてる? この違和感」
極限まで近づき、ブロンズはちびに耳打ちをした。自分の感じていた違和感をブロンズも感じとっていたことを知り、安心したちびは大きく頷いた。
「うん。静かすぎるって思う。ブロンズはどうしてここに?」
「起きたらちびが歩いて行くのを見て…………」
口籠るブロンズ。
「……なに? ちゃんと話してよ。どういうこと?」
ちびが急かすと、ブロンズは少し間を置いて、話し始める。
「変なことを言うかもしれないけど、もしかしたら、このままちびが戻ってこないような、そんな気がして……」
「そんな、まさか。冗談はよしてよ」
引き攣った笑みでちびは言う。しかし、ブロンズはこんな冗談を言うドラゴンではない。それに、言うのを渋ったのも、きっとちびを心配させないためだ。
ちびをからかっていないことは明らかだった。
「……うん。ごめん。変だったよね、忘れて」
ブロンズはちびから離れ、掴んでいた腕を離した。
「ともかく、この静けさに違和感があるのはちびも同じらしい。考えうる原因は、そうだね……森の生き物を脅かすほどのドラゴンが来た、とかが妥当かな」
「あぁ、なるほどね」
それはたまにあることだ。一定の強さを持つドラゴンは、その強さ故に覇気を出し続け、他を近づかせない。ちびは近くで見たことがないが、遥か上空を飛んでいるドラゴンから覇気のような圧を感じたことがある。
そのような覇気を出せるドラゴンは、子供ドラゴンたちにとっての憧れであった。いつもは騒がしい村のみんなも、そんなドラゴンを見るとうっとりと声も出さずに見惚れていたものだ。
「森の生き物がいなくならないうちに注意しないといけないね」
ちびは頷く。
川に近づいていくほど、周りの温度が下がっていくのを感じた。寒気で身震いが止まらない。
「ブロンズ……なにか、変だよ」
「だね……慎重に行こうか」
姿勢を低くして先を行くブロンズに倣い、ちびも同じ体勢になって後に着いていく。
(これは、覇気? いや、全然違う……。もっと別のもの……恐怖?)
ちびが考えていると、いきなりブロンズにぶつかった。
「いてて……ごめん。どうしたの、ブロ、ンズ…………」
呆然と立ち尽くすブロンズの横に並び、その視線を追いかける。視界が開けて、すぐそこに川があった。透明で綺麗なはずの水は一部が赤黒く染まり、その手前に誰かが背中を向けて倒れていた。
「あ……え……?」
ぱくぱくと口を動かす。赤く汚れていて確認しづらいが、緑色と白のグラデーションがかかった体に、ちびは見覚えがあった。
でも、そんなはずはない。
「そ……んな、ねえ」
「ち、ちびっ」
飛び出して駆け寄り、ぐったりとした体を揺らす。顔を確認し、ちびは息が止まった。
間違いない。リーフだ。
昨夜、一緒に話したリーフだ。
僕を救ってくれた、リーフだ……。
「うそ、なんで、どうして。リーフ」
胸に耳を当てる。
ドク、ドクと心臓音が聞こえ、ちびは泣き出しそうになりながらもホッと胸を撫で下ろす。
その時、背筋が凍るような、確かな異変を感じた。
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